バイユー ゲイト 不定期日刊『南風』

ブルース、ソウルにニューオーリンズ!ソウルフルな音楽溢れる東京武蔵野の音楽呑み屋バイユーゲイトにまつわる日々のつれづれを

震災後の市民運動、行動…。

2013-06-27 | 社会・経済

先週土曜日のバイユーLIVE『東日本大震災・被災動物救済AID』。20数年ぶりに自分がLIVEをやる、ということが大きすぎて気がついたら終わっていた…感じなのですが。それらについて思っている事をこの際、記してみたいと思います。

今回の「原発事故による警戒区域、避難地域に取り残された犬や猫、現地で救済活動を続ける方々を東京三鷹から後方支援」という渡辺さんの活動と行動を共にした経緯についてはこちらをご覧下さい。
そこにも書いていますが、個人的にこの動物たちの問題が最も優先されるべき、多くの人が賛同するべき事案であると思っているというわけではありません。事実バイユーゲイトとしては「震災で親を失った子どもたちの進学、奨学援助」に絞って細々と活動を続けていますし、バイユー企画に何度も参加してくれている三鷹の人気バンド『古道具』は被災地に楽器を贈ろうという「こどもの音楽再生基金」の為のチャリティLIVEを続けています。
今回の『被災動物救済AID』開催は「どれが一番」「誰が正しい」「何が正しい」とかではなく、自らの判断でキャパシティに応じた出来る事をやる、まず信念を持って動くという、渡辺さんたちの姿勢に共感したからに他ありません。縁あって、親密な関係を築いている人の真摯な行動に協力した、ということです。もちろん納得して。

あの震災以降、いろんなことが変わってしまいました。価値観の根本が変わってしまったという人も多いはずです。政治的であるなんてことからとても遠いスタンスだった自分ですら、この国の政治の動きが非常に気になります。選挙結果に、投票率の低さに絶望的な気持ちになったりもします。
若者だった頃…大学の入学式も卒業式もサークルにも参加しないくらいに式典や集会、人が集う事が嫌いだった僕が、少々意にそぐわない部分があったり、居心地が悪くっても、時にはデモや集会に出向かざるを得ないかなぁと思ったりしていることに驚いてもいます。
こんな意見の人たちと一緒にされるのは、一緒と思われるのは嫌だなぁという特別な?個人でありたいという気持ちに蓋をしてでも「現状は良くないという声がしぼんだりはしていない」ということを示す為。群衆の一員となることも厭わないと思うようになりました。震災~原発事故~そしてこの国の右傾化。まさかこんな自己中心的な自分が政治的であったり、市民運動を注視したり、ましてや数合わせの一人でもかまわないと思わざるを得ない時代がやってくるとは思いませんでした。

そんな昨今、反原発などの運動について「こんな方法論では間違ってる」「もっと効果的な方法が」という意見を様々なところで目にします。そして本当にその通りと思う意見も多いです。僕の気性に極めて近い意見も多い。
でも今必要なのは「ならどうする、どうしよう」であり。
意を唱える、問題意識や分析力の高く鋭い方々にはなんとか効果的な方法を指し示して欲しい、もしくはより良い道を探る事に全力を注いで欲しいと思うのです。
多くの方の意見を目にするにつけ、鋭く感心するもの多数。その方たちがいずれ素晴らしい行動を示してくれそうな予感もします。
でもそこまでに至らない自分は「このままじゃ駄目だ」という意思表示をするくらいしかないのです。
やみくもにNO!や理想論だけじゃなんにも始まらないのかもしれません。でもNOの声がゼロとなるわけにはいかないと思うのです。
「NO!」の人波の中には感情的なだけの方もいるでしょう、具体的なヴィジョンのない人に限ってNO!なのかもしれません。市民運動の高揚感が過ぎて的外れな行動や、攻撃をする人々がいることも確かです。

僕にだって、もっとオリジナルで切れ味鋭い自分自身でいたいという気持ちがないでもありません。でもデリケートな側面もある諸々の問題故、皆に指し示すような考えや妙案を見つけられない自分は「愚かな群衆」と呼ばれることもある人波の一部になってでも、居心地の悪い思いをしてでも「NO!の声がなくなってはいない!」ということを示すべきだと思っています。

その他大勢でいることを望んだ事なんて今まで一度もないし、個であることを脅かす物事こそが敵、でした。でも今、時にその他大勢となるも致し方ないのかもしれないと思っています。

語るべき、鋭い洞察力を持っている皆様。是非「こうしよう」という意見を発信していただきたいと強く思うのです。
いろんなところに可能性を秘めた意見や鋭い視点を多く見つけるのですが、結局行きつくのは「今行動している人の愚かさ」「気持ち悪さ」を突く形になることが多いようで、少し残念に思っています。
もちろん、間違いを鋭く指摘するというのはジャーナリズム的意見交換のあるべき姿かもしれませんが、今は平時ではありません。「悪い奴ら」はを喜ばせるだけの争いでなく。少々の愚かさには目を瞑って、議論するならいかに効果的な成果を出すかをこそ、意見し合って貰いたいと思うのです。自分の意見の正当性やオリジナリティや個を主張する批判ではなく、「どうしよう」「こうした方が」という建設的批判をこそ期待したいのです。
そのようなところに至る言葉を持たない僕は、日々の生活に専念しつつ目の前に出てきたこと(出来る事を)をひとつひとつやっていこうと思います。そのひとつのカタチが先日の『被災動物救済AID』でした。これだけでなくバイユーはこれからも震災遺児への奨学基金への募金企画を続けていきます。

そしてもちろんですが、意見の違う方を攻撃する気はありません。行動しない人が間違っているとも思いません。別にエセ平和主義でもないのですが…無意味な争いより目の前のことへの対処を!まだまだ何も終わっていません。

何より目の前といえば、自分の日常。バイユーをより居心地の良い場所にしたいと心より思っております。
でも選挙には皆に行って欲しいなぁ~。

以上、駄文でしたー。