バイユー ゲイト 不定期日刊『南風』

ブルース、ソウルにニューオーリンズ!ソウルフルな音楽溢れる東京武蔵野の音楽呑み屋バイユーゲイトにまつわる日々のつれづれを

2007-06-06 | 日記・エッセイ・コラム
昨夜は愛知県在住の旧い友人が仕事で東京に来たついでにバイユーに立ち寄ってくれた。嬉しかった。
彼とは不思議に縁がある、というか縁が深い。最初の出会いは小学校の時。違う町(車で2時間以上は離れていた)、そしてもちろん違う小学校に通っていたのでほんの少し話をするだけの知り合い。中学時代は別の学校ながら同じスポーツを始めていたため、部活の県大会の会場で見かけたりしていた。高校時代も同様。この頃は小学生時代との環境の変化?もあってか更に顔を知っているだけの知り合い状態。次の機会は19歳の時。行動範囲が少しばかり接近、旧知の間柄として時々は会話をするようになった。そして自分が東京に向かう直前のある夜、背伸びして座っていた酒場の(居酒屋ではない)カウンターで隣あわせ、深酒をしていろんな話をした。その内容をほとんど覚えてないのが御愛嬌けど、たぶん頭でっかちでナイーヴでそしてクールを装いながらもバカバカしく深刻ぶった会話だったのではなかったかと思う。少なくとも屈託なく明るく笑って飲酒できるほど周囲との距離感に慣れていないガキだったはずで、記憶から抹殺されたのはそのためかと思う。深夜、東京での連絡先を渡して、高知に残る彼と別れた。

今以上にずぼらで薄情だったのだと思う。東京生活が始まったら、もちろんそれっきり。世田谷の経堂という街に4畳半フロトイレなし2万2000円のアパートを得て、バンド活動とレコード漁りとライヴ通いにのみ情熱を燃やすという潤いのまったくない生活に突入、あの年齢のみ感じられる特権、こってりと濃密な時間を過ごしていた。当時の1ヶ月の濃くて長かったこと!そのころ出会った新しい友だちに、現在下北沢でウーララを経営するSギモトがいる。とまぁそんな”潤いよりコッテリ度を追い求めた生活”のある日、1本の電話がかかってきた(電話は共同で呼出しだった。フロもトイレも電話も全て共同の経堂暮らしだった)。彼からだった。高知で深酒した夜から半年が経っていた。東京に出て来たという。驚いて話をしてみると、部屋を探してようやく決めた場所は世田谷区経堂。同じ街に越して来たのだった。その日すぐに会ってそれから彼が東京を出て金沢に向かうまでの半年間、ご近所として親しくツルんで遊んだ。昨日、彼も言っていたのだけど、なんと長くいろんなことが詰め込まれた半年間だったことか!そして特筆すべきことはその濃密な時間に”特段劇的なことは起きていない”ということ!!うだうだといろんなことを話したり一緒にレコードを聴いたり、当時始まったレンタルヴィデオ屋さんでデッキ込みの貸出しを受けて(当時はデッキも貸していた!)Bob Marleyのライヴ映像を観たりした記憶は今も鮮明だ。そんなかんじでつきあっていたのに彼が東京を去る時の記憶が特にないのが凄いといえば凄い。若さゆえか、なんとなく別れている。

その後10年近くを経て、金沢に遊びに行った時は寿司を食べさせてもらったり世話になり楽しい時間を過ごした。うーん、食べ物のことは覚えてるもんだな。でも、それまでの10年間は音信不通だった。
そしてまたお互いに消息不明の時代に入り1年ほど前に彼がmixiで発見した!と連絡をとってきてくれた。バイユーのお客さんがバイユーのコミュニティを開設して下さったうえに招待までしていただき加入したmixi。まったくの本名で登録していたゆえの出来事でした。そして昨夜の久々の再会となったのでありました。縁っていうのかな?不思議だ。特に必死にならなくても続いてゆく関係。あの、同じ街で食事をわけあったような半年間にたっぷりと貯金しているからなのか、疎遠になっている時間が特に問題に感じないし、バイユーでもちょっと久しぶりに会ったみたいな感じだった。よくあると聞く”年賀状のみで関係を無理に持続している”ために見えなくなっていることってあるのでは?と思う。ふと思い出したなら新年でなくてもまったく唐突に連絡してみればいいわけだし…。
一夜明けてそんなことを考えてしまったくらいさっぱりとして嬉しい再会でした。Oウノ寄ってくれてサンキュー。メールするよ!そしてバイユーに引っぱってこられたお友達も、楽しい時間をありがとうございました。これを機会にどうか宜しくお願いいたします。