(画像/三酸図)
「孔子様、この人は偉い人だよ。あるときにね、カンタイという人が、孔子様を憎んで、斧で斬り殺そうとしたのさ。ところが孔子様は、-私は天から徳を授かっておる。さてカンタイよ私をどうする-とおっしゃって、泰然自若として座っていらしたんだ。するとカンタイは孔子様を殺しどころか色を変えて逃げたのだそうな。それからずっと後に、ワウモウという人があったのだよ。ある時に黄巾の賊といふ馬賊が攻めて来た。するとワウモウは孔子様の真似をして、-私は天から徳を授かってる。さて黄巾の賊よ私をどうする-と言ったが、その言葉の終らないうちに、ワウモウの首は、すぽりと前に落ちていたそうだ」
「老子様は、おっかさんのお腹(なか)に、七十年居たのださうな。だから産れた時、もう髪がまっしろで、歯が抜けていたのだって」
「誰だれだって産れた時は、歯が無いんですよ」
「悉達太子というのは、中天竺マカダ国、浄飯王のお子様で、カビラ城にいなすったのだが、あるとき城の外を通る老人を見て、人間はなぜあんなに、年をとって、病気になって、そして死ぬのかという事を考えたのです。(生れて老人になつて病気になって死ぬ)どうしても其のわけが解わからない、人間が老人にもならず、病人にもならず、死なない方法はないかと考えたが、わからないので、とうとう太子様はお城をぬけ出して、雪山という所へ行って、アララ、カララという仙人について、何年も何年も修行した末、やっと、わけが解ったのです」
「どんなに解ったのですか。」
「生れなかったら……生れなかったらいいんですよ」
「生れなかったら」
「生れなかったら、年もとらず、病気にもかからない。死にもしない」
「何だい、そんな事……」
「だつて、それだけの事が、人間にはなかなか、わからないんだよ。それが本当に解ったので、悉達太子様は、今にお釈迦様と云って尊敬されるのです」
「イエス・キリスト様というのは、此の人もお釈迦様と同じように、ダビデ大王という偉い王様の子孫でしたが、ユダヤ国の王様にならないで、貧乏人や病人のお友達になって、親切を尽したので、何にも悪い事をしないのに、悪い人にそねまれて殺されたのです」
-そしてこの四人の聖人が一緒に同じ壺の酢をなめた-
「お待ちなさい。笑い話ではありません。孔子様は、この壺の中のお酢をなめてみて、これは酸っぱいと申しました。すると老子様は、酸っぱいものを酸っぱいというのはそれは常識である。しかしよく味わって見ると、このお酢は少しく淡い。水っぽい味がすると申しました。それを聞いたお釈迦様は、酢を酸っぱいというのは道理だ。酸っぱいものが少し淡いと云うのももっともだ。しかし、よくよく味わってごらん、このお酢には甘い所があると申しました。そこで最後にキリスト様は、酢は酸っぱいものだ。それにこの酢は淡い。水っぽい。のみならず少し甘い。これは腐敗しかけているのだ。これはぶちまけて、新しくつくり直すがよい。と、申しました。諸君、そもそもこの四聖の言葉は……」
(引用/沖野岩三郎「愚助大和尚」より)
さて、・・・・・のあと、そもそものはなし。
「孔子様、この人は偉い人だよ。あるときにね、カンタイという人が、孔子様を憎んで、斧で斬り殺そうとしたのさ。ところが孔子様は、-私は天から徳を授かっておる。さてカンタイよ私をどうする-とおっしゃって、泰然自若として座っていらしたんだ。するとカンタイは孔子様を殺しどころか色を変えて逃げたのだそうな。それからずっと後に、ワウモウという人があったのだよ。ある時に黄巾の賊といふ馬賊が攻めて来た。するとワウモウは孔子様の真似をして、-私は天から徳を授かってる。さて黄巾の賊よ私をどうする-と言ったが、その言葉の終らないうちに、ワウモウの首は、すぽりと前に落ちていたそうだ」
「老子様は、おっかさんのお腹(なか)に、七十年居たのださうな。だから産れた時、もう髪がまっしろで、歯が抜けていたのだって」
「誰だれだって産れた時は、歯が無いんですよ」
「悉達太子というのは、中天竺マカダ国、浄飯王のお子様で、カビラ城にいなすったのだが、あるとき城の外を通る老人を見て、人間はなぜあんなに、年をとって、病気になって、そして死ぬのかという事を考えたのです。(生れて老人になつて病気になって死ぬ)どうしても其のわけが解わからない、人間が老人にもならず、病人にもならず、死なない方法はないかと考えたが、わからないので、とうとう太子様はお城をぬけ出して、雪山という所へ行って、アララ、カララという仙人について、何年も何年も修行した末、やっと、わけが解ったのです」
「どんなに解ったのですか。」
「生れなかったら……生れなかったらいいんですよ」
「生れなかったら」
「生れなかったら、年もとらず、病気にもかからない。死にもしない」
「何だい、そんな事……」
「だつて、それだけの事が、人間にはなかなか、わからないんだよ。それが本当に解ったので、悉達太子様は、今にお釈迦様と云って尊敬されるのです」
「イエス・キリスト様というのは、此の人もお釈迦様と同じように、ダビデ大王という偉い王様の子孫でしたが、ユダヤ国の王様にならないで、貧乏人や病人のお友達になって、親切を尽したので、何にも悪い事をしないのに、悪い人にそねまれて殺されたのです」
-そしてこの四人の聖人が一緒に同じ壺の酢をなめた-
「お待ちなさい。笑い話ではありません。孔子様は、この壺の中のお酢をなめてみて、これは酸っぱいと申しました。すると老子様は、酸っぱいものを酸っぱいというのはそれは常識である。しかしよく味わって見ると、このお酢は少しく淡い。水っぽい味がすると申しました。それを聞いたお釈迦様は、酢を酸っぱいというのは道理だ。酸っぱいものが少し淡いと云うのももっともだ。しかし、よくよく味わってごらん、このお酢には甘い所があると申しました。そこで最後にキリスト様は、酢は酸っぱいものだ。それにこの酢は淡い。水っぽい。のみならず少し甘い。これは腐敗しかけているのだ。これはぶちまけて、新しくつくり直すがよい。と、申しました。諸君、そもそもこの四聖の言葉は……」
(引用/沖野岩三郎「愚助大和尚」より)
さて、・・・・・のあと、そもそものはなし。
でも私もやはりパンを焼くようなことをやってみたいと思います。