愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

ベストセラー

2017年12月26日 | Weblog
日販調べの2017年のベストセラー本(総合)は,佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』(小学館)です。雑誌『女性セブン』連載のエッセイ集だそうです。読んだことがないので感想はありませんが,私はかつて『女性セブン』に書評を何度か書かせてもらったことがあるので,その雑誌のエッセイには関心があります。近いうちに読んでみようと思っています。

新書(ノンフィクション)のベストセラーランキングに目を転じてみると,3位に,河合雅司『未来の年表』(講談社現代新書)が入っています。この本は経済を中心とした日本の将来予測をしたものです。話題を呼び,今でも多くの書店で平積みされています。どんな内容かといえば,「人口減少日本でこれから起きること」というサブタイトルがついているように,国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口に基づいて,将来日本社会で何が起きるのかを年表のように記述したものです。例えば,2018年国立大学が倒産の危機へ,2020年女性の2人に1人が50歳以上に,2033年全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる,2040年自治体の半数が消滅の危機にという具合です。

人口の将来推計は,戦争のような非常事態に陥らない限りは,確度の高い予測です。それに基づいて日本社会の変化を論じることは妥当性のある議論です。この本は,日本社会の少子高齢化や人口減少はこれからが本番で,社会の衰退が急速に進むことを予測しています。今後人手不足が恒常化し,あらゆる分野で後継者難になり,インフラや科学技術を維持することはできなくなり,ゴーストタウンが日本中を覆う状況を示唆しています。現在政府は少子化対策を進めていますが,出産の可能性の低い50歳以上の女性が女性人口の過半数を占めるようになると,出生率は上がったとしても,出生数自体は増加することはなく,人口減少には歯止めがかからないといいます。もう手遅れではないかというのです。筆者はこの状況を「静かなる有事」と表現しています。弾丸を使わなくとも,国家が滅びていくというのです。

未来ある学生にはぜひ読んで欲しいと思います。将来,人口減少で,社会が活力を失い,経済が衰退する中で,組織そして社会を背負わなければならなくなるのは,今の学生たちだからです。最近の卒業生や今の4年生たちは,空前の就職状況に沸いてきました。一人でいくつも内定を獲得することができた幸運な状況です。後輩たちもしばらくはその恩恵にあずかることができるでしょう。ただし,これは「静かなる有事」の序曲であるかもしれないのです。幸運は,景気回復のおかげというよりは,少子高齢化に伴う生産年齢人口減少(15~64歳の働き手)のおかげでしょう。生産年齢人口は過去20年で1,000万人も減っています(8,700→7,700万人)。各組織が現状の業務を維持しようとすると,当然人手不足に陥るわけです。人手不足は今後猛烈な勢いで進行する見込みです。人手不足をAIが補うという楽観的な予測もありますが,機械が人間に完全になり替わることができるでしょうか。就職先獲得がつかの間の幸せに終わる可能性があるのです。

併せて読んで欲しい類書に,NHKスペシャル取材班『縮小ニッポンの衝撃』(講談社現代新書)があります。2016年にNHKテレビで放送された番組内容を書き起こしたものです。これは,少子高齢化・人口減少に伴って,今進行しているいくつかの自治体の破綻,衰退,改革のルポです。北海道夕張市の財政破綻,島根県雲南市の住民自治組織などを先進事例として捉えることによって,将来の日本社会全体を覆う「縮小現象」を写し出そうとしています。夕張市の財政破綻のルポはなかなか衝撃的です。ゴーストタウン化が進行し,インフラの維持すらままならなくなる社会の姿を知ることができます。
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日本で学ぶ

2017年12月19日 | Weblog
学部の卒論の提出が終わりました。つぎに来月,大学院の修士論文の提出期限を迎えます。現在私は大学院生の研究指導を行っていないので,修士論文の主査を担当することはありませんが,研究科主任という立場にあるので,修士論文の審査の進行を管理しています。

毎年,留学生数名が修士論文を提出します。最近,本研究科の留学生の修士論文で少々気になることがあります。以前は,企業経営や経済構造等について,母国と日本との国際比較をする研究が多かったのですが,最近は母国の経済や企業経営のみを対象とする研究ばかりになっています。とくに中国人留学生がそうなっています。不思議な気持ちでいっぱいです。なぜならば,本学には,中国経済(企業も含む)を研究するための資料と専門家が十分存在しないからです。

日本の大学(大学院)の中には,中国経済を研究するための資料や専門家が十分に存在しているところがあるでしょうが,わざわざ日本に出てこなくても,中国の大学(大学院)や研究機関で中国経済を研究できるように思います。母国ならば,一次資料の渉猟が容易であるし,なにしろ生きた経済の変化を感じながら研究ができます。ひょっとすると母国では自由な研究ができないため,そのメリットを享受できないが故に日本に留学するのかもしれませんが,もしそうならば,中国経済の専門家による指導体制が整った大学院に進学すべきで,うちの研究科でわざわざ中国経済を取り上げることには首をかしげます。

結局,安易に論文を仕上げるために,本人には分かり易く,書き易い題材として母国の経済事情を取り上げるのでしょうか。学究のためというよりは,文字通り「遊学」のために日本に留学している院生にとっては,それが合理的なのかもしれません。最近は,それに加えて,留学生にとっては,日本経済が衰退しているため,研究対象として魅力がないので取り上げないのではないかと考えるようになりました。実際,1人当たりの国民総所得では日本は先進国で最低レベルに位置しています。アジアではシンガポールが日本をはるかに上回っています。学術・技術においても日本がアジア最高とは言えなくなっています。

しかし,たとえ「遊学」であったとしても,高い費用と長い時間をかけて日本の大学院にわざわざ留学するのであれば,やはり日本でなければ学ぶことができない対象に焦点を当てるべきでしょう。したがって,衰退して学ぶ対象ではないと感じたしても,日本の大学院でこそ学べる「生きた日本」を研究すべきだと思います。

日本で常態化した長期にわたるデフレ,急速な高齢社会の到来や人口減などは,他の先進国では見ることができません。日本経済の衰退は,日本の特殊現象なのかもしれませんが,ひょっとすると世界の先駆なのかもしれません。中国経済は現在高度成長を経験していますが,もしかすると数十年後少子高齢化によって衰退に向かうかもしれません。その時,その対策のために,日本経済衰退の研究が活きる可能性があります。今衰退の真っ最中にある日本を感じ取り,その原因や過程を研究することは,母国の将来のために必要なのかもしれないのです。

近年やたらと外国人が日本人や日本文化を礼賛するテレビ番組を見るようになりましたが,うすうす衰退を感じている日本人が,外国人による自国礼賛(誇張や曲解も含め)で自尊心を保とうとしているようで,私は少々気持ち悪さと悲しさを感じます。外国人の中にはあの手の番組を冷ややかに見ている人がいるようです。自国礼賛よりも,私を含め日本人は日本経済(あるいは日本の他の分野)の衰退を真正面から冷静に受け止めて,先駆的現象としてその原因と過程を分析して,留学生はじめ外国人に提示できるようにすべきなのかもしれません。

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師走

2017年12月17日 | 卒論
今年度の卒論提出締め切りを先の金曜日迎えました。うちのゼミでは4年生2名が何とか教務課に提出しました。ただし,「無事終了」かといえば,それには程遠く。

卒論の体裁は整えていましたが,内容には問題山積です。何しろ両方とも,結論が欠落しています。不十分に調べ物をした結果の報告にとどまっています。結論のない論文などありえないのですが,現状ではそうなっています。したがって,今後1か月かけて,書き直してもらいます。冬休み中にじっくり調査と思索を続けて,休み明けに再提出してもらう予定です。2つとも,先行研究の渉猟や現状分析のような春学期には済ませておかなければならなかった基本的な作業をおろそかにしたためか,例年と比較して仕上がりが悪かったといえます。11月も後半になって,ある4年生が文献の渉猟と読み込みが甘いが故に執筆が進まず,まごまごしていたのを見かねて,私が1時間足らずで必要な文献を調べあげて入手し,それをその4年生に渡して執筆すべき事柄を指示した場面がありました。さすがにその時恥ずかしさを感じて欲しかったところです。

学部全体に,提出期限までに,体裁(要求される字数)を整えて,提出しさえすれば,単位は取得できて,卒論は無事終わりという意識が蔓延しています。それを払拭すべく,うちのゼミでは例年,一度提出しても,不十分な点があれば継続的に改善を図るように,冬休みに書き直しをしてもらっています。学生生活最後の冬休みを,学生生活の集大成をまとめ上げる期間として欲しいのです。

来年1月13日土曜日にゼミ内で卒論の審査会を開きます。提出した4年生相互,下級生(2,3年生)によって,卒論を採点してもらいます。その結果を受けて,成績評価を決定します。

1人30分間の持ち時間で発表してもらう予定です。例年通り,発表レジュメをA4用紙1枚に限定し,発表内容の焦点を絞ってもらいます。そのうえで,他にパワーポイントで説明補助資料を作成してもらいます。内容の改善に加えて,4年生にはプレゼンテーションの能力をしっかり身に着けて卒業して欲しいと考えています。

なお,3年生の研究発表も2つともやり直してもらっています。先月うまくいかなかったアンケート調査をやり直してもらい,その結果を卒論審査会の時間に発表してもらいます。ゼミ生には plan do see に基づいて,常に反省によって改善し続ける姿勢を身に着けて欲しいと考えています。したがって,「課題を期限に提出したらそれで終わり」にはしません。反省と改善,これらが人の能力向上には欠かせないのです。


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恒例

2017年12月03日 | 名古屋マーケティング・インカレ
恒例の名古屋マーケティング・インカレ本大会が終わりました。今月2日名城大学で開催されましたが,大崎先生はじめ名城大学の学生・関係者には大変お世話になりました。

私は校務に忙しく,今年度は本大会しか出席できなかったため,全般的な感想を述べる立場にないのですが,例年通り,参加学生たちはよく頑張っていました。自分に身近な出来事からテーマを探す,コラボした企業に関する戦略提案をするというものが多かったのですが,いずれにしてもよく調査をしていました。プレゼンテーションについてもよく工夫し,練習を積み重ねてきた跡が見えました。とくに決勝に残ったチームは,調査にかけた努力の水準は非常に高く,プレゼンテーションは巧みでした。

自分のゼミ生については,例年通り,底辺にいるという印象です。文献の読み込みは中途半端だし,調査は不徹底。何よりプレゼンテーションは問題だらけでした。私が聞いても何を話しているのかよく分からない内容であったといえます。

なぜこうなったかというと,テーマに関する知識がないのに,「ああでもないこうでもない」と机上の議論を繰り返していたからです。知識のない者同士の議論は空論で終わります。そんなことで数か月も費やしてしまいました。夏休みから秋にかけて何も進みませんでした。例年決勝に残ったチームは,早い段階(夏休み前後)で企業や専門家に対するヒヤリング,探索的な消費者アンケート調査,実態観察などを行って,試行錯誤を深めた上でテーマを絞り込んでいきます。しかし,うちのゼミ生は,その間,空論で時間を費やしていました。PBの選択行動や,商品の再購買行動など消費者の行動を俎上にのせていたので,早い段階から消費者に対する調査(アンケートに限らない)を行って,テーマを深める糸口を得るべきでした。結局,時間切れ直前で慌てて思い付きのアンケート調査を中途半端に行って,得られたデータに強引な解釈を施して,発表につなげることしかできませんでした。プレゼンテーションの改善を考える間はなく,やっつけ仕事の発表をしてしまいました。

昨年度もそのような調査には消極的で,机上の空論に時間を費やしていましたが,今年度同じになってしまったのは,私の指導が悪かったと反省しています。もともと私の指導力が低い上に,近年は公務に忙しく,以前と比べて大会へのコミットメントが弱いことが,ゼミ生の消極的態度に拍車をかけていると感じています。今年度私は中間発表会には出席できませんでした。本大会に丸一日出席するのは5年ぶりです。

ゼミ生の研究発表が他大学学生と比べて低調なのは,ゼミ生本人と私に問題があるのは間違いないのですが,大学の施設も影響を与えているかもしれません。うちのキャンパスにおいて,学生は,平日コンピュータルームは午後6時半,図書館は午後7時半(開館は8時まで)しか利用できません。土曜日は昼までしかキャンパス内にとどまることができません。日曜祝日は立ち入り禁止。授業が終わった後,キャンパス内で勉強や課外活動をする機会がほぼないのです。この前祝日に,研究発表の準備のため,私が学生を伴ってキャンパス建物内に入ろうとすると,警備スタッフに「学生を建物内に入れないでください」と注意されて,唖然としました。もちろんキャンパスが使えなければ,あえて外に出てしまえばいいので,ゼミ生にとって言い訳にはならないかもしれませんが。

来年は参加大学・チームが大幅に増加する見込みです。そうなると,うちのような枯れ木も山の賑わいにしかなっていない(本当に)ゼミが参加するのは,大会運営の負担になるし,他大学学生との交流上浮いた存在(実際には沈んだ存在)になるので,受け入れてもらえず不参加の可能性があります。もしそうなれば,残念なことですが,やむをえません。今後ゼミの活動方針を見直したいと思います。

追伸。本大会懇親会で悔し涙を流している学生が何人もいました。ある学生は,自分の力を発揮できず,決勝に残れなかったことを悔やんでいました。私は慰める言葉を思いつかなかったのですが,研究発表の評価は一元的ではなく,様々な評価軸があるので,今回たまたま1つの評価が出たに過ぎないことを話しました。そして,能力不足を自省できるのは,実際には能力が高まって,要求水準が高くなっている証拠だとも話しました。いつうちのゼミ生は悔し涙を流せることになるのか。


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