愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

エントリー締め切り

2010年05月27日 | 名古屋マーケティング・インカレ
今週末に名古屋マーケティング・インカレのエントリー締め切りがやってきます。本日はその締め切り前最終の3年生ゼミを行いました。

エントリーの際には,エントリー・シートに記入して提出しなければなりません。そこには研究テーマ,研究概要,研究価値を説明する欄があります。本日は,各チームにそのシートに記入してきてもらって,それを説明してもらいました。ゼミ生たちの興味の共通性に基づいて分けたチームは4つです。

研究テーマは,クチコミに関するもの,ファストフードの低価格化に関するもの,ロスリーダーに関するもの,電子書籍に関するものと様々でした。方向性は何となくあるものの,研究テーマとしては実に不十分でした。研究テーマには以下のような問題が見られました。

思いつきで決めてしまっているので,研究する意義が希薄である。
自分たちが知らないことを調べて知るというパターン(調べて終わり型)にとどまっている。
大きすぎてとても手に負えない。
具体性がなく,結論が見通せない。

などなど。本日,各チームに問題点を指摘して,考え直しを指示しました。今日は徹夜して,明日夜までにエントリー・シートを送信して欲しいと伝えました。どうなるかは分かりません。例年通りといえるかもしれません。

研究はテーマが命で,これがきちんと定まれば半分近く研究が進んだも同然ということが出来ます。ですから,簡単にはエントリー・シートを埋めることは出来ないのです。一旦決めても,今後変更・修正しなければならない場面は何度も出てきます。テーマを固めていく過程こそが研究なのかもしれません。

うちのゼミ生はじめ,インカレに参加する全学生は,今週悩み抜いてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疑うこと

2010年05月22日 | Weblog
NHK大河ドラマの影響で,現在坂本龍馬人気が盛り上げっています。関連グッズが飛ぶように売れ,高知をはじめとする龍馬ゆかりの地への観光客も増加しています。

しかし,私は坂本龍馬が好きにはなれないし,世間ほど評価していません。なぜならば,坂本龍馬を語る一部の人が嫌いだからです。胡散臭さを感じる人がいるのです。それに引きずられる形になっているのです。

じつはこういうことは一般によく見られることです。語られる内容ではなく,語る人によって「語りの評価が決まる」ということです。先の場合は,語る人が負の影響をもたらしている訳ですが,通常は,語る人の正の影響が注目されます。つまり,「あの立派な人が言うのだから,その話は重大に違いない」「立派な人がほめたのだから,あの製品(あるいは人)は優秀に違いない」というような状況に対してです。実は学問の世界にも見られます。

学生にはこの影響力を理解して,学習・研究を振り返って欲しいと思います。「アメリカの偉い学者が唱えていた理論だから正しい」「有名大の先生がテレビで語った話だから重要だ」「大新聞で賞賛されていたから注目に値する」などの思考。そういう思考に陥っていないかどうか,本当にそれでいいのか疑って欲しいのです。

そして,「本当はその説は間違っているのではないか」「その説はもう現実にあてはまらないのではないか」という疑念のもとに,通説を検証しなおしたり,新たなアイディアを投げかけてみたりして欲しいのです。今,卒論や名古屋マーケティング・インカレ発表のテーマ設定をゼミ生たちはしていますが,その「疑いのステップ」を踏んで欲しいのです。

学生の研究発表を聞いていると,本に書いてあること,新聞の記事に記されていることを疑うことなく,メディアの影響力を受けて,そのまま切り取って正しい説として提示しています。インチキの紛れ込む余地の大きいインターネット情報でさえそのまま正しいものしています。中には,その通説を自分の意見のように語る者さえいます。それでは他人の思考に支配されるメディアの奴隷のようなものです。高等教育を受けたと称するには値しません。つたなくとも,常に合理的に疑いをさしはさむ思考を訓練して欲しいと思います。

とはいえ,なかなか難しいのは良く分かります。専門外とはいいながら,何しろ学者の末席を汚している私自身が,「胡散臭い語りべ」に引きずられて,坂本龍馬評価を下してしまっているのですから。龍馬は過大評価されているというは本当なのかもしれませんが,それについてきちんと資料を調べて,検証してからそう判断するのが本道ですね・・・はい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域性はあるか

2010年05月09日 | Weblog
現在上海万博が開催されています。愛知万博開催から5年経ちましたが,あの騒動を懐かしみながら,上海万博の報道に接しています。

上海万博では一部お客さんのマナー問題でトラブルが起きたと報じられています。中国におけるこの問題は北京オリンピックが始まる前から繰り返し報じられてきました。とくに列に並んで待つことができない人々が悶着を起こすので,いかにきちんと並ばせるかということに政府や主催者が腐心しているという報道が,中国に対する嘲笑を含んで,日本で流されてきました。

さて,今,私はリニモ(東部丘陵線)で通勤しています。ここでの体験は中国を笑えなくしてしまいます。毎朝,混雑時,藤が丘駅で乗車指導が駅員によって展開されているのです。「二列になって並んでください」「前の人との間隔をあけずに並んでください」というアナウンスが列車ごとに流され,さらに駅員による個別指導が行われます。乗車後も,「入り口付近に立ち止まらずに奥まで進んでください」「あいている席にきちんと座ってください」「座席に荷物を置かないでください」という指導があります。毎日しつこい指導があるのは,名古屋の人々(ここに集う人も含め)に乗車マナーが身についていないからでしょう。実際,往き(藤が丘駅乗車)では何とか指導に従ったとしても,帰りでは元の木阿弥だったりします。ちなみに,リニモは愛知万博のために作られた路線です。

これは別段リニモに限られないかもしれません。名古屋で地下鉄に乗ると,「入り口付近に立ち止まらずに奥まで進んでください」というアナウンスをしょっちゅう聞きます。十年前にこちらに移住したときにそのアナウンスに驚いた記憶がありますが,いまだに繰り返されています。東京や大阪で,私の知る限りそんなアナウンスを聞いたことはありません。そして,あいかわらず入り口付近に立ち止まる人が多いので,下車時に押し合いへし合いして混乱しています。総じていうと,名古屋は交通マナーの悪い都市という印象を持っています。名古屋の人々は混雑への適応方法を学習していない(しない)とも思います。

ある意味,これが地域性というものなのでしょう。いまうちのゼミで,卒論において,名古屋人の装いの地域性をあぶりだせないかと考え始めている学生がいます。服装についても,名古屋ならではの特徴があるでしょう。かつて「名古屋嬢」というのが騒がれたことがありましたが,それは名古屋的だったのかもしれません。

問題は,その地域性を客観的に何らかのデータによって示すことができるかということです。多くの地域性を扱う論評は,印象論で終わっています。以上の乗車マナーの話もそれにとどまっています。では,例えば乗車マナーに関する地域性をあぶりだすにはどうすればいいのでしょうか。都市ごとに,乗車に関するアナウンスについてそのメッセージ内容や頻度を集計する,乗車列の長さや形状を記録する,列に並ばずに横入りする人の数をカウントするなど色々考えられるでしょう。

実はこのような調査研究は古くからあります。今和次郎という学者が考現学というのを提唱して,日常風景や風俗を観察調査しました。人々の振る舞いや装いを徹底して記録していくのです。考現学はマーケティングの研究や実務に活かせる手法・発想を持っています。ゼミ生には,単なる印象論で終わらず,地域性を客観的にあぶりだす調査をして欲しいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする