愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

終わりなき旅路

2014年12月28日 | 運営
今,ゼミの3年生には名古屋マーケティング・インカレの本大会で発表した内容の改善,4年生には既に提出した卒論の修正を行ってもらっています。3年前からほとんどの学生に同様の作業を必ずやってもらっています。

このやり直しについて,3年生の中には不満を持つ者がいるようです。9か月ほどかけて何とかやりきった成果に対し,イベントが終了した後になぜもう一度検討しなくてはならないのか理解できないようです。しかし,うちのゼミの活動において,とても重要な作業であるので,指示を撤回する気はありません。今後も下級生たちには同じことを指示します。

なぜ重要であるのか? まず,彼らに一端を経験してもらっている研究活動が,常に反省と改善を繰り返す,終わりなき旅路であるからです。研究活動においては,簡単に答えは出ません。一見答えが出たと思っても,今までとは違った視点で振り返ってみれば,その答えが間違いである,あるいは不十分であると気づくことがあります。また,1つの問題が解決したと思っても,それから派生して新たな問題が出るのが普通です。一度自分たちが出した答えが不十分ならば改善を図る,新たな問題に気づいたならばその解決に乗り出すのは,より優れた活動を行うために当然のことです。

研究発表コンテストにゼミ生を参加させているのは,単にイベントを経験して欲しいからではありません。そこで勝って欲しいからでもありません(高い評価を受ければうれしいですが)。それへの参加をインセンティブにして,彼らに知的能力を向上させて欲しいから参加してもらっています。より深い思考の訓練のために参加してもらっています。

彼らにしてみれば,イベントの経験そのものがその参加目的なのかもしれません。だから,それが終われば一段落。終わったことに対して,再度検討することなどばかげたことなのでしょう。

しかし,それでは知的能力を高めることはできません。私の目から見れば,今回彼らの発表は60点の出来でした。優秀賞に選ばれた他大学生たちのものは80点の出来。このまま放っておけば,彼らは60点を70点,80点に高めるための能力を得ることはありません。他大学生に追いつくこともできません。60点の能力のままです。終わった後だからこそ,冷静に自分たちの不十分な点,間違いを振り返ることができます。その振り返りの後に,詳細な検討を行い,改善を図る余裕もあります。

終わりなき旅路という性質は,研究活動に特有ではありません。全ての仕事がそういう性質を帯びています。ビジネスの世界では,plan do check action(計画,実行,反省,改善)サイクルという考え方が普及しています。計画を実行した後の,反省と改善があるから,向上があるのだと,優れた企業人は考えています。ゼミ生たちもマーケティング論の講義で学んだはずです。ゼミの3年生は,近いうちに就職活動を経験します。その時,PDCAサイクルを常に意識して動いている企業人に応対するために,彼らにはその考え方を身をもって把握しておいて欲しいのです。

なお,4年生は,昨年の経験があるので,卒論のやり直しにはあまり抵抗はないようです。当然のことと受け止めて,しつこく文献を読んでいるゼミ生もいます。今の3年生が来年このようになってくれると,知的能力の向上を,私も,自分たちも感じることができるでしょう。
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2014年12月13日 | 運営
今月15日が卒論提出期限です。ゼミの4年生は何とか卒論を提出しました。しかし,結論に至るロジックが不明瞭,あるいは主張を支える根拠が不十分なものが存在します。半数には提出後書き直してもらう予定です。既に本人には申し渡してあります。こちらから指示していないゼミ生でも書き直し希望があれば,受けつけます。

1月9日に,補講として,卒論発表会を開きます。そこで,4年生には,修正を加えたものを発表してもらう予定です。その発表に対して下級生が評価します。その時の指摘を受けて,必要があれば4年生にはさらに卒論を修正してもらう予定です。1月末まで粘ってもらいます。

3年生で,名古屋マーケティング・インカレ本大会発表を辞退した者は基本的に辞めてもらうのですが,1月9日の卒論発表会で,4年生と一緒に発表して,卒論に準じた評価が得られたならば,単位取得の可能性を残すと本人たちに申し渡しました。それに向けて,先日,予定しているテーマを開陳してもらいましたが,絶句してしまいました。レジュメをきちんと作ってきている者がわずか1名。プレゼンにおいてレジュメを用意するのはゼミでは当たり前のことになっているのに。しかも,レジュメなしのプレゼンで表明したテーマは,教科書の内容を写して終わりになるようなものか,自分にとって身近な店舗の売上高を向上させる策を考えるという極めて安直なもの。おそらく何もやってなくて,苦し紛れに表明したのでしょう。とにかく,出席をし,何か発表らしきものをやり,年度末まで時間をやり過ごせば,単位をもらえるのだろうという甘えが垣間見えました。1月9日に卒論に準じた評価を得る発表しなければ,単位取得はありえないとここで明言しておきます。

うちのゼミではグループ・ワークを重視してきました。2年次と3年次は,ほとんどの作業をグループ・ワークで行います。学生同士が教えあう,助け合うことは,教員から教えを受けるよりも,学習のモチベーションが高まり,深く学ぶことになると考えているからです。しかし,それは間違いかもしれないと考えるようになりました。何もしないただ乗り学生が存在すれば,グループ・ワークは瓦解してしまうのです。何もしない学生が何も学ばないばかりか,他の意欲ある学生も腐らせてしまう結果になります。来年度のゼミの教育方針を早急に考え直す必要があるようです。
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反省

2014年12月07日 | 名古屋マーケティング・インカレ
名古屋マーケティング・インカレ本大会が12月6日に開かれ,公式の行事は終了しました。私は校務のため,予選途中で退席せざるを得なくなり,その進行を把握していません。したがって,例年書いている本大会の概要と最優秀賞に対するコメント等は,今回は書けません。

今年度のうちのゼミの3年生による名古屋マーケティング・インカレに対する取り組みについては,春学期からあきれ果てる出来事がいくつかあったため,もうブログでは触れないことを決めていました。しかし,ゼミ生と私への戒めのため,ここできちんと反省を記述しておいた方が良いと思うようになりました。

うちのゼミの取り組みについては大失敗でした。過去最低だったと思います。

ゼミ3年生たちは,春学期,大会エントリー前,4つのチームを編成し,研究テーマ探しをしていました。しかし,一部メンバーが何もしないゆえに,全く進まないチームが出たため,それを解散させ,3チームに集約しました。それでエントリーをしました。ただ,エントリー後も,何もしなかったゼミ生はやはり何もしないままでした。そして6月に1回目の中間発表会に参加しました。例年ここでゼミ生の意識は変わります。他大学生の真剣な取り組みや発表レベルの高さに触れ,自分たちもきちんとやらないと恥をかくと認識するようになります。何もしないゼミ生もここで変わってくれると期待していました。

しかし,その期待はうち砕かれます。その後も結局何もしないままだったのです。何もしないメンバーがいるチームではリーダーのみが発表準備を進めることになりました。そのリーダーの頑張りは空回りし,そのチームは,2回目の中間発表会後の11月まで迷走し,ころころとテーマを変え,何をやりたいのか自分たちでもわからなくなっていました。最終的には,本大会までに発表内容を作り上げる見込みがなくなったので,私の方から本大会辞退を勧告し,その手続きをとりました。過去,中間発表会に参加したのに本大会を辞退したチームは,全参加大学において,発生しなかったため,前代未聞といえるでしょう。

最初の段階で何もしないゼミ生を辞めさせておけばよかったと反省するのですが,それでは教育にはならないという思いもあります。他大学生と触れ合う中で,真剣に研究発表に取り組む雰囲気が生まれるのが,名古屋マーケティング・インカレの良いところです。1年間近く,競い合い,協力し合う場面が多々存在し,そこに包まれて,ダメ学生が変わっていく様子をずっと見てきました。その効果がなかったというのは,私には驚きです。問題が提起されたかもしれないと感じています。何かダメゼミ生のモチベーションを上げる方法がなかったのか悩んでいます。

なお,本大会を辞退したチームのメンバーには,現状ではゼミの単位は取得できない,基本的には今すぐ辞めてもらう。ただし,単位取得のチャンスをここで与えないのは,教育上問題があるので,1月の卒論発表会の時に,4年生の卒論発表と並んで,研究発表を行い,そこで卒論に準じた評価が得られたならば,単位取得について道をひらくと私から指示しました。

何もしないゼミ生がいたためか,残りのゼミ生の取り組みはいつもより遅れがちで,ゼミ全体で停滞した雰囲気がありました。本大会に出場し,発表をやり終えたチームについても,結果は芳しいものではありませんでした。

他大学チームと比べ,アンケート調査やヒヤリング調査をしつこく実施する姿勢にかけていました。ほどほどの妥協をしてしまい,うまくいかなければ何度でも調査する,様々な角度からデータを収集するということはありませんでした。アンケート項目について,yes かnoを聞くような単純なものを考え出すだけで,特定の事象が生じた背景を拾い上げるような質問を盛り込んでいませんでした。そのために,薄っぺらな調査になってしまいました。私は,そのような状況に対して,失敗からのリカバリーを考えていない調査をしていると何度か指摘しているのですが,ゼミ生たちは理解しませんでした。

また,先行研究の検討を春学期から指示しているのですが,それが不十分になっていました。ゼミ生においては,現地調査のような「アクティブ」なことをやれば,事足れりという認識だったのかもしれません。研究発表を行うには,先行研究の検討が欠かせないのですが,それが十分理解できないままだったのです。

春学期からずっと指摘していたのは,質問のダメさでした。中間発表会から本大会まで,他チームの発表に対し,うちのゼミ生はほとんどまともな質問ができませんでした。実は2年次からずっと質問は低調でした。やり方を教えてきましたが,それを実践したゼミ生は少数でした。質問ができないというのは,致命的です。研究発表の内容が理解できない,関心がないということを示しているからです。

私はもっとしつこく同じことを指摘すべきだったと考えています。しつこく言わないと人は動かないのです。10聞いて,1を知るというのが実情なのです。何もしない一部ゼミ生の存在の影響で,あまり重い負担を与えてもゼミ生たちは対処できないだろうという考えがずっと頭をよぎっていたのです。いつしか要求レベルを上げないようになっていました。しかし,きちんと取り組んでいるゼミ生にそのような考えを適用すべきではなかったのです。悔いの残るような研究発表をさせないことが重要だったのです。

私たちの生活や仕事で大事なのは,失敗から学ぶことです。今回の失敗から,何を学ぶことができるのか,次回のゼミではゼミ生に呼びかけてみたいと思います。
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