愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

コツコツ勉強

2017年02月05日 | Weblog
現在,本学では一般入試を実施中です。本日前期試験が終了し,今後中期試験,後期試験が行われます。多くの私立大学でも同様です。

受験勉強については,過去散々批判が起きてきました。受験勉強罪悪論がジャーナリズムの世界では幅を利かせてきました。いわく,「受験勉強で得た知識は役に立たない」「詰め込み教育の最たるもので,思考力を育てない」「受験勉強は生徒にストレスを与え,個性を押しつぶす」などなど。

しかし,自らの受験勉強の経験,大学教員としての学生指導の経験を振り返ると,受験勉強は,人格形成や知的鍛錬に有益であると個人的に思います。

入試では一夜漬けは通用しません。試験の対象となる教科内容の範囲は広く,何が問題として出されるのか具体的には予想できないからです。したがって,受験勉強では,教科の内容を体系立てて理解し,数か月から数年かけて,解答の反復練習によって,幅広い知識の定着を図らなくてはならない。これは当然知識の獲得につながります。もし基盤となる知識がなければ,深い思考も創造力も生まれません。そもそも,創造とは無から有を生み出すことではなく,既存の知識を組み合わせ,それに様々な応用や解釈を施すことによって成し遂げられるものです。

受験勉強は詰め込み教育であり,思考力を養うものではないという批判がありますが,それは入試問題をクイズのように捉える人がいるからかもしれません。しかし,実際の入試問題を見ると分かりますが,クイズのように反射的に問いに答えるような問題はそれ程多くはなく,論理的に答えを導き出すものがきちんと含まれています。入試問題には論理的思考力を試す仕掛けがあります

数か月から数年間の勉強を完遂するためには,目標を定めて,それに向けた行動計画を立て,その計画を地道に実行するようにモチベーションを維持しなければなりません。目標に向けて長期的な行動計画を立てるという発想は戦略思考と呼ばれるもので,成功する社会人には必須です。そして,また,モチベーションの維持は粘り強さを生むことにもなりますが,これも社会での成功には必須です。

多くの中堅以下の大学の教員は,学生の学力不足に悩んでいます。その場合,知識の不足だけでなく,学ぶ意欲の低さ,社会への関心の低さ,論理的思考力のなさも含んでいます。それは,入試のための受験勉強をきちんとしてきていないことが大きな原因である可能性があります。少なくとも私はそのように考えています。

以下の新聞記事は私が捉えている受験勉強の効用を,分かりやすく説明しています。今受験勉強に追われている高校生には,貴重な経験の果てに,確実な前進があると信じて頑張って欲しいと思います。仮に受験で失敗し,目標とする大学に入れなかったとしても,受験勉強は無駄にはなりません。本気でそれに取り組んだのであれば,思考力の基盤や戦略思考が身についているはずです。それは,大学入学後の学修,そして社会に出てからの様々な活動に役立ちます。

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今回は、多くの人から反対意見をいただきそうな話題に、あえて触れてみたいと思う。受験勉強の話だ。過熱した受験産業の影響か、まるで受験が悪いことのように、マスコミが取り上げ、また、受験そのものが教育にとってマイナスだというような風潮ができあがった。その結果、ゆとり教育が提唱され、いわゆるゆとり世代が生まれたわけだ。それはそれでいいと思う。物事には、必ず悪い面といい面があるものだ。

そう。どんなことにもいい面があるのだ。では、受験勉強にもあるのか。私は、ある、と思っている。受験勉強は、ともすれば批判の矢面に立たされる。どういう批判が多いかというと、まずは、受験勉強で詰め込んだ知識が、その後役に立ったことなどない、というものだ。なるほど、と思う。たしかに、受験のためだけに学んだ知識や解答のテクニックそのものは、社会に出てから役に立つものではない。受験生に対するプレッシャーも、批判の理由となる。若者たちを受験から解放して、もっとさまざまな可能性を考えさせるべきだという意見がある。ごもっともだ。

では、受験勉強は、本当に人生に役立たないのか。私自身の経験で言えば、おおいに役立ったと思う。私は、月に平均して五、六本の連載をかかえている。どの締め切りも、だいたい遅れたことがない。こうして、長年仕事を続けてこられたのも、受験勉強の経験があったからかもしれないと思っている。

自ら目標を設定して、その目標を達成するために集中的に知識を蓄積し、なおかつ、問題解決のためのトレーニングをする。そんな充実した経験は他にあるだろうか。その経験が後の人生に生きないはずがない。だいたい、受験勉強が役に立たないと批判するのは、ちゃんと受験勉強をした経験がない人に多いのではないかと思うのだが、どうだろう。

詰め込み教育ではなく、いろいろな可能性を、などとよく言うが、受験勉強一つ乗り切れないで、社会に出て何ができるというのだろう。どんな世界にだってそれなりの厳しさがある。プロスポーツの世界や芸能界の競争率は、受験の比ではないはずだ。職人の世界だって、料理人の世界だって、厳しい修業が待っている。いや、そういう特殊な世界だけではない。会社員にとっても、あるいは公務員にとっても、目標設定と、目標達成のための努力はとても重要なものなはずだ。

勉強が得意な子もいれば、苦手な子もいる。それを、勉強だけでフルイにかけるのはおかしいという意見もある。もちろん、そうだ。だが、受験はすべての子供に強制をしているのではない。あくまでそれを選択した者だけがやるものだ。そして、学校の勉強は、努力すればそれなりの結果が得られる。だから、ある程度公平だとも言える。スポーツや音楽などの芸術を考えてみるといい。それは才能によって大きく左右される。とても公平とは言えない世界なのだ。苦しみを乗り越え、目標に向かって一歩一歩歩み続ける。私にとって、受験勉強というのは、人生でそういう工夫を初めて学んだ機会だったと思う。

(今野敏寄稿『日本経済新聞』2015年5月20日夕刊)
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