愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

いうまでもなく卒論は重要

2015年05月16日 | 卒論
下の記事は,多くの私立大学社会科学系の学部では,学生のゼミ所属率が低く,卒論が必修でない例が多いことを問題視しています。

私はかつて,とあるマンモス私立大学の教育学部で,教育心理学を専攻していました。そこでは,卒論は必修でした。しかも,提出後は口頭試問(面接試験)が課せられました。その評価は,指導の先生(主査)に加え,他の先生(副査)も加わって行われました。卒論がきちんと書けるように,2年次から研究の方法論を学ぶことができるカリキュラムが組まれていました。ところがその母校の商学部では,卒論はゼミ論という名称で,ゼミ単位での提出と評価にとどまっていました。しかも,学生のゼミ所属率は50%程度でした。母校商学部に設置された大学院研究科に進学した時に,私はその状況を知り驚いたことを思いだします。まさに記事の通りでした。

なお,どこの大学でも,心理学系の専攻では,私が受けたような措置は普通のことのようです。人文科学系の他の専攻でも卒論が必修なのは珍しくありません。私立大学社会科学系学部の教育が特異なのかもしれません。

愛知学院大学商学部はどうなっているかといえば,赴任当初,学生のゼミ所属率は60%程度でした。卒論はゼミ内での評価にとどまり,学部において,研究の方法論や卒論執筆の作法を教える科目や機会はありませんでした。母校の商学部と同じ状況にありました。その後,本学商学部では,学生定員が大幅に減少したため,ゼミ所属率が上がり,今は90%程度になっています。その点では改善が見られています。ただし,今なお,学部のカリキュラム上,研究の方法論や卒論執筆の作法を教える科目や機会はありません。また,学部全体での提出後のプレゼンテーションや口頭試問の機会もありません。大半のゼミでは教員がきちんと指導していると思いますが,学部全体で上手に学生に卒論を書かせ,それを評価する仕組みがないため,士気が上がらず,何か本を写せば卒論になると思っている学生が存在しています。この点に改善の余地を残しています。

ともかく,卒論の重要性は昔から指摘されてきました。様々大学改革の施策が導入されても,これに変化はありません。研究活動が中心にあり,自学自習が基本である大学教育のあり方を典型的に表しているのが卒論です。改めてゼミ生にはその重要性を諭して行きたいと思っています。そして,ゼミ内で閉じた評価を行わず,私に加えて他の教員の評価も加える工夫や,体系だった執筆の方法論を学ぶ機会を設けていきたいと思っています。

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大谷大学は2万字の卒論が必修です。授業での教員向けや学生同士のプレゼンテーションで評価されたり、卒論提出後は教員の前で口述試問もあります。「大学なんだからそんなことは当たり前だ」と思う人も多いでしょうが、そうでない大学も沢山あります。

ある高偏差値のマンモス私大の社会科学系学部の先生は私に、「ウチがゼミや卒論が必修でないのは、学生の多様なニーズに応えたものだ」とおっしゃいました。一理あるでしょう。しかし、その学生が数百人で黙って講義を聞くだけの「経済学入門」だけで卒業していいのでしょうか?

学生時代に大講義を黙って聞くだけの学生生活を送っても、有名私大の文系学生は、受験時の基礎学力は高いため、割と良い会社に就職できます。でも、ゼミに所属せず、卒論を書かず、恩師と呼べる大学教員に一人も出会わない大学生活を送ることは、あまりにも空しくないでしょうか。

天下の慶應義塾大学経済学部でも、専門ゼミ所属率は6~7割です。言うまでもなく一橋は必修です。慶應では、「ゼミに入らなくても附属出身者は就職に強い」なんて話もありますが、望んでも入れなかった「ゼミなしっ子」は、入ゼミ生と比べて就職実績が劣ると内部の関係者に聞きました。

ある名門私大の経済学部長は、FD講演会で私に、「ゼミに入っていない50%の学生の就職など知らん」と言い放ちました。しかしそもそも、在学生の50%しかゼミに入れない仕組みを作り出したのは、当の大学側なのです。それならばいっそ、入学定員も半減させるべきでしょう。

今、スーパーグローバル大学を含む、多くの大学が取り組んでいる「グローバル化」は、英語の授業や留学制度の充実であり、必ずしも学部教育の水準がグローバル化しているわけではありません。大講義を一方的に聞くだけで卒業して、どこがグローバル水準の学部教育なのでしょう。

教員も事務作業や入試業務で疲弊し、教育・研究に時間を割けない大学の、どこがグローバルなのでしょう。もうお気づきでしょう。「自分たちはグローバルだ」と国内に向けて言っているのは、「日本はすごい」「日本は世界から認められている」と自分で言っている本やテレビ番組と同じなのです。

(山内太地 BLOGOS 2015年05月12日)
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テーマ探し

2015年05月08日 | 卒論
今ゼミ生たちは,研究テーマ設定に頭を悩ませています。特に,4年生は卒論テーマが決まらずに,「どうしよう,どうしよう」とうめいています。そこで,卒論テーマ探しに参考になりそうな本を紹介しましす。

サンキュータツオ『へンな論文』(角川学芸出版)がその紹介本です。「珍論文ハンターのサンキュータツオが,人生の貴重な時間の多くを一見無駄な研究に費やしている研究者たちの大まじめな珍論文を,芸人の嗅覚で突っ込みながら解説する,知的エンターテインメント本! 」という推薦文がインターネット上に載っています。

それでは,サンキューさんが面白いと感じた,つぎのような論文を紹介・解説しています。
「奇人論序説――あのころは『河原町のジュリー』がいた」
「行動伝染の研究動向――あくびはなぜうつるのか」
「傾斜面に着座するカップルに求められる他者との距離」
「走行中のブラジャー着用時の乳房振動とずれの特性」
「男子生徒の出現で女子高生の外見はどう変わったか」
「コーヒーカップとスプーンの接触音の音程変化」
「オリックス・バファローズのスタジアム観戦者の特性に関する研究」

題名からして何これ?という印象を与えてしまうものもありますが,基本的には,身近に起きた現象に関する疑問に対して,答えを見つけ出そうとする論文ばかりです。

例えば,「傾斜面に着座するカップルに求められる他者との距離」という論文は,公園の斜面にカップルが座っているのを身近に見るが,他のカップルが存在する場合,当該カップルはそれとどれくらい距離をとって座るのか,どんな姿勢でいるのか,密着度はどれくらいか,それらを調査してみようという研究です。

この調査のため,研究者は,何日もかけて,港の桟橋に通い,カップルを装いながら,352ものカップルたちの座っている位置や行動を観察し,記録しています。

そんな調査にどんな意味があるのかと思いますが,以上の調査によって,心地良いカップルの空間のあり方を考察することができるというのです。それは,商業施設や公共施設の設計に参考になる可能性があります。人にはパーソナルスペース(不快に感じる人と人との間合い)というものがあります。私たちに身近な公園のカップル。その生態をパーソナルスペースから読み解こうとしているとも言えます。

文中,「美しい夕景を見たとき,それを絵に描く人もいれば,文章に書く人もいるし,歌で感動を表現する人がいる。しかし,そういう人たちのなかに,その景色の美しさの理由を知りたくて,色素を解析したり構図の配置を計算したり,空気と気温を計る人がいる。それが研究する,ということである」という表現が出てきます。まさに,研究者の心性を言い当てています。何か身近に不思議に感じたことを見つけ,それに対して,なぜそんなことが起きるのかという疑問が生じたならば研究は始まります。その疑問に未だ十分な答えがないときに,答えを自分なり見つけ出そうと考え,調査や思索にとりかかったならば,研究活動に従事していることになります。

役に立つとか,高く評価されるという考えはひとまず置いておいて,疑問と情熱に引っ張られて調査をする,これが大事です。上記の紹介論文はおそらく学会の主流からは外れているでしょう(門外漢なのであくまで想像)。それでも,純度の高い情熱が詰まっていると評されています。

なお,著者のサンキュータツオさんは,早稲田大学大学院博士後期課程で日本語学を専攻した経歴を持ちながら,芸人をしている方です。研究とお笑いを理解するサンキューさんが,研究とは,研究している本人が一番ノリノリで興奮している,エンターテイメントだと評しています。まずは,ゼミ生には,『へンな論文』を読んで,学問を面白がって欲しいと思います。

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