愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

会話力

2011年05月25日 | 就職
数年前,愛知学院大学にアメリカの元大統領クリントン氏が来訪されました。本学の講堂における元大統領の講演会を一部学生が聴講しました。

聴講したうちの学生が就職活動で出会った東京の有名国立大生にそのことを話したそうです。そうすると、その国立大生は細かく講演の様子を聞いてきたそうです。うちの学生はそれを捉えて,「さすがに有名国立大生は会話が違う,鋭いことを聞いてくる」と感心したように私たちに話すのでした。

しかし,よくよくその状況を聞いてみると,国立大生は世界のトップ政治リーダーだった元大統領が大学で講演したという事実に興味を持ち,言葉を変えて講演の様子を何度か質問したに過ぎないことが分かりました。論理の矛盾を問い質したわけでも,国際政治に関する見解を訊ねたわけでもないのです。

にもかかわらず,レベルの高い会話をしかけてきたと感心するのは,うちのその学生がその程度の会話すらしていないからだろうと感じました。事実の説明すらしないきちんとしない会話に終始しているということです。

会話力というのは,実は重要なコミュニケーション能力です。これが身についている学生は学業でも就職活動でも優位に立ちます。この会話力とは,少数の仲間内で(コンテキストを共有している人たちと)言葉のやり取りをするだけでなく,世代や立場の違う人たちや,見ず知らずの人たちとも言葉のやり取りができることを指します。コンテキストを共有していない人たちと言葉のやり取りができることが重要なのです。

そういう会話では,詳細で,論理的な説明を要求されます。一度説明したことを,言葉を変えて再度説明することも求められます。そして,逆に相手の説明を理解し,不十分な場合には言葉を変えて聞き直すことも求められます。したがってボキャブラリーの豊富さが必要なのです。ボキャブラリーが豊富であるためには,幅広い生活体験を積むと同時に,広範囲に書物を読んで多くの言葉に触れて,それを蓄えておかねばなりません。また,コンテキストを共有していない人たちと言葉をやり取りする訓練を積むことも必要です。訓練しなければ能力の向上はありません。

会話力のない学生が私の身の回りには多いのですが、そういう学生はたいてい普段少数の友人としか会話していません。コンテキストを共有している仲間としか会話しないので、会話力が向上しないのです。先の国立大生はコンテキストを共有しない他大学学生との言葉のやり取りを積極的に試みたに過ぎません。それをすごいことだと感じたうちの学生は、コンテキストを共有しない人物との会話の経験を積んでこなかったのでしょう。

学生が会話力を向上させるためには、新聞、雑誌、本を毎日読む癖をつけるとともに、コンテキストを共有しない人との会話を積極的に行う必要があります。簡単に行うならば、私のようなおじさん教員と世間話をするというのがいいでしょう。世代が違い、立場が違う教員と学生では、同じ大学に属していたとしても、生活面ではコンテキストを共有しません。勉強のこと以外に、趣味、買い物、レジャーなどに関するよもやま話をすればいいのです。難しい話をする必要はありません。

ちなみに、昨今、学生がよく「就職活動で圧迫面接を受けた」と騒いでいるのを耳にします。しかし、よく状況を聞いてみると、面接者が圧迫を意図して加えたのではなく、コンテキストを共有しない学生に詳細な説明を求めたに過ぎないと思えることが多いのです。「そんな程度で圧迫なんて言っていると、この先自立して生活していけないんじゃないか」と老婆心ながら思います。ただ、学生は会話力を鍛えれば、感じ方が変わるのだろうと想像しています。


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感化

2011年05月13日 | 運営
ダイヤモンド・オンラインに大学図鑑の監修者が語る正しい受験生の親入門講座という記事が載っていました。つぎの内容が書かれていました。

『親子の受験問答集――こう答えたらいいかもしれない!』

Q1 子供が「第一志望は××大にする」と、突然、言い始めました。オープンキャンパスに参加して気に入ったようなのですが、名前も聞いたことがない大学です。将来性はあるのでしょうか?

A1 大学の将来性や、その子供の将来にとっての是非は、もちろん誰にも予測できないことです。その上で、「名前も聞いたことがない大学」についての一般論を申し上げますと、「無名大の学生が有名大の学生よりも、イキイキしている例はほとんどない」。


大学教員の立場で言うと、全くその通りなので反論はありません。有名大学を訪ねると、そこには学生の笑顔があふれていますが、無名大学を訪ねると、そこには学生の無表情があふれています。有名大学では学生は遅くまでキャンパスに残って、勉学や課外活動を行っていますが、無名大学では学生は授業が終わるとさっさと帰ってしまい、夕刻無人の空間が広がっていることが多い。

オープンキャンパスや大学説明会では、教育内容の説明として、カリキュラム、施設、教員を紹介することがほとんどですが、実は大事なのは在学生の実態なのです。有名大学と無名大学の教育の差は、カリキュラム、施設、教員の差ではないといえます。無名大学にもいい先生がいて、練られたカリキュラムがあり、立派な施設が並んでいます。それらが有名大学よりも優れている場合もあります。決定的な差は学生です。そしてこの学生が学生自身にとって教育的意義を持っています。

有名大学には、何か学んでやろう、向上してやろう、面白いことであっと言わせてやろうという意欲を持つ学生が多くいて、周囲の学生を感化し、自分たちも刺激を受けて能力を高めています。有名大学に行く価値があるとすれば、それはカリキュラムや施設ではなく、学生の良い感化力だろうと思います。学生は教員から学ぶよりも多くのことを周囲の学生から学びます。学生間の感化が何より重要な教育要素なのです。

さて、愛知学院大学。中部地方ではそれなりに名が通っています。教員やカリキュラムは,私が言うのもなんですが、そこそこのレベルを保っています。広大なキャンパスに整った設備が並んでいます。一流大学とは言えませんが、無名大学とも呼べません。ただ、学生のイキイキ度はいま一つです。ぬるい雰囲気がただよっています。

大学全体の雰囲気を変えることはできませんが、せめてゼミでは有名大学と同じような雰囲気を作り出したいともがいてきました。学内でどうせ俺たちは・・・という言い訳をする学生が無表情に座っている光景を見ることがありますが、ゼミでは徐々にそれを払しょくできつつあります。笑い顔と真剣な眼差しを毎週見ることができるようになりました。ただ、意欲あふれイキイキしているのはまだ一部のゼミ生にとどまっています。今後は能力・意欲の劣る「いま一つな学生」を感化して、ゼミ生全員がイキイキとする雰囲気を作り出したいと思っています。
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