愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

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2014年01月29日 | Weblog
名城公園キャンパス新設に伴う研究室引っ越し作業が始まった。本日私の研究室から蔵書と資料が運び出された。200箱ほどの量。一日がかりになるかと思ったが,専門業者が4時間足らずで作業を完了させた。さすがだ。運び出された蔵書と資料は,一時的に日進キャンパス内の保管所に留め置かれ,3月に新キャンパスに搬入される。

ところで,本日定期試験の採点を完了させた。2科目のうち,1科目は,過去10年で最も解答の出来が悪い。わずかな部分点すら与えようのない答案が続出。白紙答案も結構ある。なぜこうなったかといえば,試験直前の最終授業に大半の学生が出席しなかったからだろう。そのときに,試験問題にかかわる重要事項を説明した。そこに出席していれば,試験対策ができたはずなのに。台風の影響で,学期内最終授業日が補講日にずれ込んだため,面倒くさがって出席しなかったのだろう。

昨今の大学業界では,厳正な成績評価が求められている。2科目とも厳正に答案を採点して,成績評価を行った。
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2014年01月24日 | Weblog
現在秋学期定期試験の答案採点中。

流通論の試験で,卸売業という漢字を書けない学生が毎年何人も存在する話は昨日書いた。今日,垂直的分化という用語の表記を間違っている学生が少なくない数でいることを見出した。

どう間違っているかというと,垂直的文化。何か伝統的な文化のようだ。メソポタミアあたりにありそうか? 垂直的分化は経済学や経営学ではおなじみの専門用語で,商学部の学修ではしつこく出てくるだろう。流通論では,商業の存在に関する文脈で出てくる用語だ。授業中何度も表記した。試験問題文にも垂直的分化は登場している。結局,意味も分からず覚え,訳が分からないまま答案を書いているということか。

ともかく,厳正な成績評価を求められているので,そうするだけのことだ。
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2014年01月23日 | Weblog
自分が担当する科目の秋学期定期試験終了。

例年のことながら,学生たちの答案は「できていない」。試験の直前の授業で,重要項目と称して,試験問題に関連する事柄を説明しているのに。試験勉強をしてきた形跡のない学生が多数いる。勉強しなくても,いままで何とかしてもらってきたんだろうな・・・。

ところで,なぜ,卸売業という漢字が書けない学生(流通論の履修者)が例年何人もいるのか。御売業と書いてある答案が毎年いくつも見つかる。卸売業は一般的な経済用語だし,授業中何十回も表記しているが。今の大学生はどこかで御売業という用語を高頻度で見る機会があるのか?

ともかく,厳正な成績評価を求められているので,そうするだけだ。
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卒論発表会

2014年01月17日 | 卒論
先日,ゼミの補講として,卒論発表会を開催しました。例年通り,実質的には審査会です。すなわち,ゼミの2,3,4年生が参加し,卒論に関する口頭発表について評価する会です。

今回は,卒論提出後あらかじめ4年生が相互評価して,修正点を指摘し合い,問題点のある卒論については書き直しがなされました。その書き直しを踏まえて,発表が行われました。発表者は4年生全員です。その発表に対し,2,3年生が100点満点で採点し,さらにコメントを記入しました。また,4年生は自分以外の発表者に対して採点しました。

評価基準は,例年通り,研究目的の具体性,情報収集(調査)の徹底,内容の独自性,論理性,プレゼンテーションの巧みさでした。

1位になったのは,竹内祐太「顧客満足とロイヤルティの関係についての研究」でした。これは,顧客満足と顧客(もしくはブランド)ロイヤルティに関する理論的文献をサーベイし,自分なりに両者の関係定式化を試みた卒論です。

顧客満足を獲得すれば,企業は自ずと顧客からのロイヤルティを獲得することができるという了解に疑問を持ったことが,この卒論執筆の動機になっています。そして,理論的文献から両者の定義や発生ロジックを引用して,その関係を検討しています。つぎに,顧客ロイヤルティを心理的ロイヤルティと行動的ロイヤルティ(リピート購買)に分け,顧客満足ある・なし,心理的ロイヤルティある・なし,行動的ロイヤルティある・なしを組み合わせて8つの関係を導出しています。さらに,顧客満足があるにも関わらず,行動的ロイヤルティーがない場合のロジックについて検討しています。

顧客満足の獲得が重要であることは,マーケティングの研究・実務上強調されています。そのことに異論はありません。ただし,顧客満足を実現することと,売上高や利益を得ることは次元の違うことだという認識が看過されがちなのが気になります。竹内君の卒論はそのことを取り上げています。なお,この卒論は学部優秀卒論賞にノミネートされます。

今年度は,理論の検討,アンケートやヒヤリングによる仮説の検証,ケーススタディーによる法則性の導出,歴史の検討など,様々なアプローチが見られました。かつてはケーススタディー一辺倒だったことを考えると,進歩したと思います。また,既存研究を検討し,それを踏まえて,自分なりの考えを導出する卒論もいくつか見られました。この点も進歩です。

数万字分の内容をわずか20分間に凝縮して発表するのは大変高度なプレゼンテーションです。4年生が,学生生活の集大成として,最後にそれを経験し,能力向上を果たしたならば,良かったと思っています。
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To make a resolution

2014年01月01日 | Weblog
大学教員になってもう17年になります。大学内では今だに若手扱いなのですが,これまでの経過を振り返るには十分な年月を積み重ねていると思っています。これまでを振り返って,今年の計を立てたいと思います。

私が大学教員をしていることを,中学,高校,大学の同級生たちが知ったら,大変驚くでしょう。中学から大学にかけて,私は勉強が好きな,優秀な生徒・学生ではなかったからです。「吉本に行けよ」(関西ではあほな子供に必ずいうセリフ)といわれるお調子者です。

中学と高校は一貫校に通っていましたが,成績は6年間ずっと下位でした。最下位争いをしたこともあります。高校3年生の時に,これでは大学には入学できないと改心し,受験勉強を頑張り,大学入試に合格しました。ただし,普通の高校生が何とか頑張って私立文系大学に入学したというだけのことで,とても明晰な頭脳の成果とはいえないでしょう。

大学学部時代も成績は悪かった。教育学部で心理学を専攻しましたが,学問内容に全然ついていけず,やる気をなくしていました。当然単位を落としまくり,4年生になって,1年次の必修科目を複数履修しなくてはならない羽目に陥りました。履修制限単位数上限まで履修し,就職活動しながら卒業論文も書くという状況だったのです。

そんなぼんくらのくせに,何を思ったのか,大学院に進学することを思い立ちました。元々,ビジネス現象,とくに商業に関心を持っていた私は,心理学は自分には合わなかったが,商学ならば自分は真剣になれるだろうと,甘く考え,受験勉強に取り組みました。学部と比べれば入試の競争倍率は低く,焦点が絞られた取り組みやすい試験だったので,運よく合格して,母校の商学研究科修士課程に入学しました。そして,マーケティング・流通を専攻しました。

ちなみに,入試が終わった4年次秋のゼミにおいて,その担当の先生に,卒業後の進路を聞かれ,「大学院進学」と答えたら,「冗談だろう?」に一笑に付されたことを今でも思い出します。その程度の学生だったわけです。その会話で気まずくなって,それ以降先生にも他の学生にも何も話せなくなりました。ゼミの同級生のほとんどに進路を隠したままになりました。

修士課程では,学問の面白さを知りましたが,大学教員になることは夢にも思わず(とても自分のような頭の悪い人物が就く仕事ではないと思い),終了後はとある商業コンサルタント会社に勤めました。中小小売業者の経営支援を行う会社です。しかし,この時に大学における学問の重要性を理解しました。必ずしも学問は机上の空論とは言えないと実感したのです。仕事上の人間関係に辛さを感じていたこともあり,もう1度きちんと学問に取り組みたいと考え,2年弱勤めた会社を辞めて,博士後期課程の受験勉強を始めました。受験科目のフランス語に泣かされ,気が変になりそうでしたが,運よく入学することができました。

博士後期課程時代は,コンビニと家庭教師のアルバイトで研究費を稼ぎながら,その合間に勉強するという日々でした。精神的・肉体的にはきつかった時代ですが,もっとも充実していたと振り返ることができます。ただし,ぼんくらぶりは相変わらずで,指導教授には,毎週不勉強さと頭の悪さを嘆かれ,怒鳴られていました。その指導教授の弟子には10名ほど大学教員になった人物がいますが,その中で,私がもっとも出来が悪かったといっていいでしょう。厄介者の私は堂々と同窓会には出席できません。

博士後期課程の時,指導教授の紹介で,山梨学院短大の非常勤講師をやることになりました。出来の悪い弟子に経験と経歴を積ませようという心遣いだったのでしょう。そうすると1年経過した後に,運よく,そこで専任講師に就くことができました。ここから私の大学教員としての経歴が始まりました。

短大の学生たちは,勉強熱心とはいえませんでしたが,人懐っこく,こちらの教示をすぐ受け止めて,反応を返してくれました。こちらのダメな指導ははっきりとそれが分かるように反応が返ってきます。逆にいい部分はその旨の評価がすぐ返ってきます。鍛えられました。その時から,自分の大学教員としての役割や価値は何なんだろうと考え続けています。

4年間山梨学院短大経営学科で専任講師を務めた後,愛知学院大商学部に移り,今に至っています。愛知学院大の学生は,山梨学院短大の学生と比べ反応が薄く(よく言えばクール),悩みは深くなりました。しかも,移った当初は大教室授業が多く,私語で荒れてしまうため,クラス・コントロールに消耗してしまうことも悩みを深くしていました。愛知学院大では一貫して,流通論を中心担当科目としています。1年生向けに,流通の基礎を教えています。商学部におけるマーケティング関連科目の基礎になります。

自分のような頭の良くない人物が,大学教員になった(紛れてしまった)意義は何なのか。ゼミの先生に大学院進学は冗談だろうといわれるレベルの人物が,大学で教える意義は何なのか。

間違いなく,研究の先端にいて知を切り開くことではないでしょう。ぼんくらの私がそんな存在になることはありえないでしょう。期待もされていません。ちなみに,私は自分を研究者だと自称したことはありません。おこがましくてそんなことはとても口にできません。

大学大衆化時代の今,私立大学において入試のための勉強をしたことがない学生は,半数を超えます。高校時代勉強についていけなかった人物でも楽に大学に入学できます。中堅以下の私立大学ではきちんと勉強したことのない学生が大半になっています。うちの学部でも同様です。

今,私の大学教員としての役割は,勉強のできない学生の心を理解し,そのニーズを察知することではないかと考えています。勉強のできない学生が,なぜ大学の授業が理解できないのか。それを知ることができるのは,同じく,勉強ができなかった,そして授業が理解できなかった私のようなぼんくら教員ではないかと思うのです。

今年の抱負は,自分がぼんくらであることを再認識して,勉強のできない学生の気持ちとニーズを正しく理解することにしようと思います。ただし,逃げ回って楽をするという,教育上誤ったニーズは捉えないこととします。

1年生向けに流通論を担当していることは,重要な任務だと考えています。高校段階で,まともに勉強してきていない学生が,いきなり初年次に専門教科を学んで,理解できず,大学が嫌になるケースはかなりあるでしょう。流通論でも同じことが起きているでしょう。今までも改善を積み重ねてきましたが,今年はこれに重点をおいて,授業再生の工夫を積み重ねていきたいと思います。
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