愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

就職活動準備

2013年11月24日 | 就職
あと1週間すると,3年生の就職活動が本格化します。ゼミでは何度かこのことを話題にしました。

重要なことは,企業研究による受験先選択とモチベーションの維持だと説明しました。うちの学生を見ていると,まともに企業研究をしていません。そもそも,就職活動に消極的な態度で挑むため,準備不十分なまま受験に臨んでいます。したがって,名前を知っている消費財関連企業やメディアによく登場する企業ばかり受験します。倍率数百倍を潜り抜ける心構えも差別性もないので,当然あっけなく落ちます。そして,2,3社受けてうまくいかないと,あきらめるケースが非常に多い。打たれ弱い学生が多いのです。

なお,4年ゼミ生は9月に全員就職先が内定しました。過去最もうまくいったのかもしれません。必ずしも志望する企業で内定を獲得することができなかったのかもしれませんが,望んでいた業界で就職することはできそうです。個人的には,小売業界を希望して内定を得たゼミ生が例年より多く出たことをうれしく思っています。

ゼミ3年生にはその4年生の経験もきちんと見聞きして欲しいと思います。自分の直接経験から学ぶだけでは手遅れになります。他人の経験から学び,事前準備する姿勢が大事です。


ゼミ3年生には,具体的作業として,最低限,就職対策本や筆記試験対策本を買うことと,今定期購読している日経ビジネスをきちんと読むよう指示しました。筆記試験対策は手を付けやすいと思うのですが,うちの多くの学生はまともに取り組みません。また,経済紙を読むこともしないのです。

以下の記事は筆記試験が意外に重要視されていることを示しています。全入大学が増加し,企業は大学の学力選抜・養成機能を信じなくなっています。受験勉強フリー学生を信用しない企業が増えているようです。

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「算数できない…就活生の学力低下“受験勉強フリー”世代の恐るべき実態」(産経新聞 2013年9月17日)

近年の就職活動で避けては通れない壁の一つとして、「筆記試験」が挙げられる。少し前のデータだが、2011年度の大学生協就職本ランキングでも、上位5冊が全て筆記試験対策関連書籍であり、学生の関心の高さが見受けられる。現在では筆記試験の種類・受験形態も非常に多様化している。筆記試験の大半は、選考過程の中でも序盤、「面接に進む前」に実施されることが多い。いわゆる受験者の「足きり」である。どれだけ企業研究をしても、会社や仕事に対する熱い想いがあっても、筆記試験で結果を出せなければ面接にすら進めない。

学生が必死で対策に取り組むことも当然である。当然、大学のキャリアセンターでも筆記試験対策には力を入れている。中には外部の予備校などの有名講師を招き、講義を実施する大学もある程だ。しかし、ここ数年で学生の学力に大きな変化が感じられるという。関西圏の大学を中心に、筆記試験講座を実施している講師に話を聞いてみた。

「顕著に感じるのは「学力の差が大きく開いている」ということですね。筆記試験の科目では数学関連の問題が多いのですが、問題を解ける学生と解けない学生の差があまりにも大きい。極端な例だと、分数の通分ができなかったり、方程式の概念が分からなかったりと、正直、小学生の算数レベルから指導する場合もある程ですよ」

また、ある大学関係者はこう語る。「学生の学力低下は、何も学生本人だけの問題だとは言い切れません。ここ最近、AO入試や推薦入試が大幅に増えたので、『受験勉強をせずに大学に入る学生』が増加しているんです。一般入試でも、『受験さえすれば事実上合格にする』という基準を設けている大学もあると聞きます。少子化の影響で学生の獲得争いは熾烈な状況ですので、『大学への入学』は容易になりました。しかし、『きちんと企業から内定をもらって卒業する』というハードルが徐々に高くなっているように感じます。」

また、企業の人事担当者にも話を聞いた。「業種や職種にもよりますが、極論を言うと、『学力や筆記試験の結果が仕事の出来に直結する』とは言えません。しかし、社会に出て仕事をする中では、『自分で物事を考える力』や『現状を分析する能力』、『多少の困難でも諦めない継続性』が欠かせません。これらのことは勉強を継続して行う中で培われる可能性が高い。あまりにも筆記試験の点数が悪い学生であれば、『この子は困難なこと(この場合では勉強のこと)があればすぐに投げ出してしまうのでは?自分で物事を考える力が乏しいのでは?』という印象を抱いてしまいます。」

就職活動で企業の人事担当が最も重きを置いて評価する点は『個々の人間性』であることは間違いないし、筆記試験の点数が良ければ内定を獲得できる訳でも無い。しかし、勉強を継続して行う中でこそ身に付く能力や素養もある、ということを忘れてはいけない。
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個性,創造

2013年11月18日 | Weblog
教育界では過去30年様々な改革が行われました。その支柱の一つが,個性重視という考え方です。大学においても,個性重視のために,入試が改革され,カリキュラムがいじられました。

はたして本当に個性重視の教育が今実現できているのでしょうか。今後実現できるのでしょうか。私は懐疑的です。そもそも個性重視の教育改革が本当に必要なのでしょうか。

個人的見解ですが,教育機関で強調しなければ,個性が形成されないとは思えません。人は基本的にみな異なるDNAを持って生まれ,異なる生育環境の下で育ちます。その過程で自ずと個性的な人物になります。当たり前のことですが,個人個人はみな違っているのです。

個性重視教育の重要性を聞くたびに思い出すものがあります。クラシック音楽です。クラシック音楽では,演奏者は,過去の作曲家が作曲したものを,楽譜通りに演奏します。演奏者が勝手に編曲することは認められません。編曲があった場合には,まともな演奏とはみなされません。

作曲者の意図を探り,楽譜通りに弾くために,演奏者は徹底的な訓練を経験します。大半のクラシック音楽の楽曲は簡単に楽譜通りに弾けるものではありません。楽譜通りに弾くためには,かなり高いレベルの技量が演奏者に要求されます。演奏者の訓練の過程では,反復練習の連続です。同じフレーズ,同じ指使い,同じ姿勢を何度も何度も繰り返して叩き込みます。

徹底的な反復練習を経て,楽譜通りに演奏されるクラシック音楽。かつて私はこんなものは退屈だと思っていました。楽譜通りの演奏の場合,同じ曲ならば,どの演奏を聴いても同じだし,機械で奏でても同じではないかと思っていました。

しかし,生の本格的な演奏を何度も聞くうちに,その考えが間違っていることを悟りました。同じ曲であっても,演奏者(あるいは指揮者)が違えば,曲は違った表情を持つのです。まず,上手か下手かということが明確に出ます。そして,同じぐらいの技量の演奏でも,テンポが速い・遅い,音が固い・柔らかい,アクセントが弾んだ感じ・落ち着いた感じなど様々な点で異なるのです。演奏者の個性がきちんと出ているのです。

反復練習が個性を殺したりはしないのです。個性の重視などとわざわざ唱えなくても,クラシック音楽の演奏には明瞭に個性が表れています。クラシック音楽のファンはそれが面白くて,演奏会に通い,同じ曲の演奏者違いのCDをコレクションします。

商学部のようなビジネス系学部でも,部分的に,以上と同様の考え方を捉えてもいいのではないでしょうか。とくに,知識の獲得のため,学生が反復学習することを重視すべきではないかと思っています。大学であっても必要なのではないかと思うのです。

個性などは自ずと表出するのだから,それよりも,社会で要求される知的能力を学生が持てるように訓練するほうが重要だと思うのです。そのためには,反復学習によって知識の記憶を課すこともありうるでしょう。これは,近年の教育界ではつめこみ学習として忌み嫌われている手法に関連しています。つめこみ学習の概念はあいまいですが,私には,反復学習によって,知識を覚えさせることは,それほど酷い教育手法とは思えません。

知識のつめこみが創造性を(そして個性も)削ぐというような言説がありますが,少々疑問です。創造性の発露であるイノベーションは,既存要素の組み合わせから生まれるということは,経営学・経済学ではよく知られています。個人にとっては,創造のためには,頭脳の中に,組み合わせるための要素がある程度なければなりません。つまり,一定レベルの知識がつまってなくては,組み合わせの起きようがないのです。創造力を身につけさせるためには,反復学習による知識記憶は不可欠だと思います。

十分な知識記憶がないと,ボキャブラリーが貧困になり,複雑な事象に関するコミュニケーションが難しくなります。ビジネス界で重要なコミュニケーション能力を養成するためにも,ある程度の知識のつめこみは必要だと思います。

近年の教育改革論議には虚しさを感じています。逆張りの教育改革が必要だと思う昨今です。
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卒論締切迫る

2013年11月08日 | 卒論
今年度の卒論の締切は12月13日です。あと1か月でゼミ4年生は卒論を仕上げなくてはなりません。先週と今週,4年生に卒論を完成見通しを発表してもらいました。

例年通りでした。例年通りには,残念ながら,高評価を与えるふさわしいものはなかったという意味も含まれます・・・。ただし,全員何とか締切までには提出できそうだという感触は得ました。今年は脱落者を出さずに済むのではないかと思っています。

レベルや進捗状況は例年通りとはいえ,今年度の卒論の特徴を把握することができました。先行研究の重要性を再三再四説いたためか,今年度は,理論的文献を読んでまとめることが従来よりきちんとなされている印象です。

理論研究を目指すゼミ生もいます。顧客満足とブランド・ロイヤルティーそれぞれの分野の先行研究を整理して,自分なりに両者の関係を理論的に解明しようというもの,小売店レイアウトの原則を導き出すために,レイアウトに関するマーケティングに関する理論を自分なりに整理しようというものなどです。

昨年度までは,安直なコピペ卒論を排除するために,一次データ収集を必ず行うようにゼミ生には指示していました。今年度は,大学らしく,学術文献のレビューや理論的な考察も行うことを推奨しました。文献渉猟が卒論作業の中心になり,内容の90%が文献からの引用になっても,自分なりの主張と,結論に至る明瞭なロジックがあれば,問題ないと指示しました。その場合は,コピペ卒論には当たらないと。

なお,4年生ゼミ長から,他のゼミの一部で見られるように,期日を何回か設けて,それごとに執筆文字数を定めて,提出させるという指導を行ってはどうかと提案されました。私はその指導には懐疑的です。もちろん,他のゼミではきちんとした指導が行われ,良い卒論が書かれていると思いますが,うちのゼミではそれはうまくいかないと考えています。

文字数の達成を促すというのは,執筆に向けた分かりやすいインセンティブですが,うちのゼミ生は文字数に拘泥し,文字数さえ満たせば卒論完成という安易な考えを起こして,コピペ卒論に走る可能性があります。ロジックが一貫しないにも関わらず,ダラダラとどこかの本の内容を写して(よく言えば引用して)字数稼ぎをして,早く卒論を完成させようという考えに染まるかもしれないのです。過去そういう卒論を散々見ました。もちろん,それを厳しくチェックすればいいのですが,学生の意識の中で字数の充足を優先させると,主張や根拠をおろそかにしてしまうと感じているのです。

ちなみに,うちの学生たちが大変だと騒ぐ,2万の字数を執筆することは大したハードルではありません。主張がきちんとあり,指示されたとおりに文献を読み,データを収集して,根拠を導出していれば,楽々それを超えることがでしょう。過去のうちのゼミの平均的な卒論文字数は2万5千から3万字程度です。

そんなことよりも,自分なりの主張,それを支える根拠,一貫したロジックを追求して欲しいと思います。


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