愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

日本で学ぶ

2017年12月19日 | Weblog
学部の卒論の提出が終わりました。つぎに来月,大学院の修士論文の提出期限を迎えます。現在私は大学院生の研究指導を行っていないので,修士論文の主査を担当することはありませんが,研究科主任という立場にあるので,修士論文の審査の進行を管理しています。

毎年,留学生数名が修士論文を提出します。最近,本研究科の留学生の修士論文で少々気になることがあります。以前は,企業経営や経済構造等について,母国と日本との国際比較をする研究が多かったのですが,最近は母国の経済や企業経営のみを対象とする研究ばかりになっています。とくに中国人留学生がそうなっています。不思議な気持ちでいっぱいです。なぜならば,本学には,中国経済(企業も含む)を研究するための資料と専門家が十分存在しないからです。

日本の大学(大学院)の中には,中国経済を研究するための資料や専門家が十分に存在しているところがあるでしょうが,わざわざ日本に出てこなくても,中国の大学(大学院)や研究機関で中国経済を研究できるように思います。母国ならば,一次資料の渉猟が容易であるし,なにしろ生きた経済の変化を感じながら研究ができます。ひょっとすると母国では自由な研究ができないため,そのメリットを享受できないが故に日本に留学するのかもしれませんが,もしそうならば,中国経済の専門家による指導体制が整った大学院に進学すべきで,うちの研究科でわざわざ中国経済を取り上げることには首をかしげます。

結局,安易に論文を仕上げるために,本人には分かり易く,書き易い題材として母国の経済事情を取り上げるのでしょうか。学究のためというよりは,文字通り「遊学」のために日本に留学している院生にとっては,それが合理的なのかもしれません。最近は,それに加えて,留学生にとっては,日本経済が衰退しているため,研究対象として魅力がないので取り上げないのではないかと考えるようになりました。実際,1人当たりの国民総所得では日本は先進国で最低レベルに位置しています。アジアではシンガポールが日本をはるかに上回っています。学術・技術においても日本がアジア最高とは言えなくなっています。

しかし,たとえ「遊学」であったとしても,高い費用と長い時間をかけて日本の大学院にわざわざ留学するのであれば,やはり日本でなければ学ぶことができない対象に焦点を当てるべきでしょう。したがって,衰退して学ぶ対象ではないと感じたしても,日本の大学院でこそ学べる「生きた日本」を研究すべきだと思います。

日本で常態化した長期にわたるデフレ,急速な高齢社会の到来や人口減などは,他の先進国では見ることができません。日本経済の衰退は,日本の特殊現象なのかもしれませんが,ひょっとすると世界の先駆なのかもしれません。中国経済は現在高度成長を経験していますが,もしかすると数十年後少子高齢化によって衰退に向かうかもしれません。その時,その対策のために,日本経済衰退の研究が活きる可能性があります。今衰退の真っ最中にある日本を感じ取り,その原因や過程を研究することは,母国の将来のために必要なのかもしれないのです。

近年やたらと外国人が日本人や日本文化を礼賛するテレビ番組を見るようになりましたが,うすうす衰退を感じている日本人が,外国人による自国礼賛(誇張や曲解も含め)で自尊心を保とうとしているようで,私は少々気持ち悪さと悲しさを感じます。外国人の中にはあの手の番組を冷ややかに見ている人がいるようです。自国礼賛よりも,私を含め日本人は日本経済(あるいは日本の他の分野)の衰退を真正面から冷静に受け止めて,先駆的現象としてその原因と過程を分析して,留学生はじめ外国人に提示できるようにすべきなのかもしれません。


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