愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

卒論発表会

2008年12月20日 | 卒論
先日ゼミ内の卒論発表会を行いました。卒論提出後に,その内容を4年生が発表し,それを2,3年生が聴講して,評価する(4年生も加わる)というものです。今回は岩田友樹「日産自動車のマーケティング戦略」が最も高い得点となりました。最も高得点のものは学部の優秀卒論賞にノミネートされます。この卒論は,経営危機に陥った日産がゴーン氏を社長に迎えて改革を行い,一時期業績回復したものの,次第に経営問題を抱えるようになったという経緯を調べ,そのうえで,今後のマーケティング戦略のあり方を導出するというものです。アンケートやヒヤリングなどの調査は行わず,文献研究にとどまっていますが,自動車業界の現状,トヨタとの競合関係から論理的に具体的に対策を導き出そうとしています。今後の対策を,製品とチャネルの2面で導出しています。プレゼンテーションは簡潔明瞭で,卒論らしい発表でした。

ベスト3に選ばれたものは皆卒論らしかったと思います。しかし,残念ながら,全体としてみるとレベルが高いとはいえませんでした。春学期に力を入れてくれなかったのが尾を引きました。また,プレゼンテーションもいまひとつで,昨年のインカレ参加の経験を活かしきれませんでした。明るいプレゼンテーションにしようといったはみたものの,場違いなオチャラケや身内受けのちゃちゃがいくつかあり,見苦しく残念でした。面白いプレゼンテーションというのは非常に高度な技術がいるので,学生にできるものではありません。真面目にやるときと,ふざけるときの区別を,卒業時に至っても分からないようなプレゼンテーションをさせたのは私の指導不足であったと反省しています。

学生に評価をさせるのは危険であるという意見があるでしょう。でたらめな評価をするという危惧もあるでしょう。個々の評価では首を傾げるものがありました。しかし,個々の評価を総計してみると納得のいくものになりました。私がダメだなと考えたものは低得点でした。発表会後,最も低得点の卒論に書き直しを指示しましたが,もともとそう考えていたので,学生の目の確かさを知って驚きました。

学生に評価をしてもらっているのは,それが良い研究を見分ける目を養うことになるからです。何事にも良し悪しがあります。その理由を常に考えることによって,評価眼が養成されます。そして,その評価眼が自分に向けられたとき,自らの能力向上を図ることができます。

今回興味深かったのは,4年生は甘い評価をしていたのですが,2,3年生はかなり辛口の評価をしていたことでした。3年生はマーケティング・インカレを経験しました。2年生は,経験してはないもものの半数ほどがインカレを聴講しています。つまり最近それなりに良い研究を知る機会があったため,それを基準に辛口になったのでしょう。これは良かったと思います。2,3年生はその評価眼を自分に向けて欲しいと思います。そうすることで,今後の成長が図られます。
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不思議な表現

2008年12月17日 | Weblog
学生の言葉使いで、変だ、あるいは間違っていると思われるものがいくつかあります。ワープロ原稿の印刷のことを一般的にはプリントアウトと表現しますが、私の身のまわりにいる学生は揃いも揃って、コピーと表現します。「先生、原稿をコピーしてきません」、「いや今日は皆に原稿を配布することがないのでコピーは必要ない」「でも先週コピーするよう指示されました」「コピーは指示していない、プリントアウトしてきてくれといったはずだ」「だからコピーですよね」というとんちんかんな会話が繰り返されます。

大学の部局で、教務課というのがどこの大学にもありますが(学務課という場合もある)、うちの学生たちは揃いも揃ってそれを学生課と呼びます。教務課は学生の勉学や教員の教育に関わる事務処理を担当する部局です。学生課という部局は別に存在していて、それは勉学以外の学生生活(課外活動)を主に担当する部局です。しかし、学生が真っ先に駆け込む場所という意味でなのか、高校までは細かな部局分けがされてなかったためか、学生は教務課を学生課と呼びます。では学生課は何と表現するのかといえばこれまた学生課です。当然、混乱する訳です。

つぎの表現は日本中の大学で聞かれるのかもしれません。学生は学生自身のことを「生徒」と呼ぶのです。おそらくこの表現が間違いであることを指摘しても多くの学生は理解できないでしょう。生徒というのは中学・高校(中等教育段階)の学習者のことを指します。では大学などの高等教育段階では学習者のことを何と呼ぶかといえば、学生です。学校教育法で決まっています。わざわざ呼び名を変えているのは、高等教育においては、中等教育段階と違い、学習者は大人であり、自学自習を教育の基本としているからという意味合いがあったからでしょう。学生が自身のことを生徒と表現するのは10年ほど前から広がったように思います。最初は短大の女子学生が使っていたように記憶しています。今は、短大、4年制大、男子、女子問わず使っています。

こうした間違いの原因を考察してみると、単にボキャブラリーが貧困なだけなのかもしれません。しかし、自身のことを生徒と表現してみたり、自分たち中心に部局名を混乱させてみたりというのは、学生が大人になりきっておらず、高校の延長で大学を捉えているからだろうと思っています。勉学面でいえば、大学で単に授業に出て、黒板の文字をノートに書き取って、覚えるというだけでは高校と何らかわりがありません。高校の延長で捉えてもいたしかたないのかもしれません。

大学の勉学は自学自習が基本です。そして、その中心にあるのが研究活動です。大学教員は研究者であると位置づけられています。われわれ大学教員は研究論文・著書を執筆して、それを認めてもらって教員の地位を得ています。その教員の研究活動に学生を巻き込み、学生も教員の指導下研究を進めていくというのが大学教育の本道です。学生が大学を高校の延長で捉え、自身を生徒と呼ぶのは、この本道の研究にきちんと巻き込まれていないからかもしれません。学生がきちんと研究活動を行うようになれば、自らのことを生徒と呼ばなくなるのかもしれません。やはり、われわれがきちんと大学教育のあり方を考え直して、学生に研究指導できるようにしなくてはなりません。
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名古屋マーケティング・インカレ2

2008年12月08日 | 名古屋マーケティング・インカレ
今回の名古屋マーケティング・インカレでは,昨年以上に皆勝ちにこだわっていることに驚きました。予選では,学生が相互評価するのですが,他のチームを有利に導きたくないのか,低い評価を他チームに与えるチームが続出しました。その結果,実は余り差がつかなくなっていました。決勝に残ったチームは僅差の勝利だったのです。

この評価状況で不公平感が出るのは,他チームを高く評価する善人の集まるチームがいると,それ以外のチームが浮き上がり,それ自身は相対的に沈んでしまうことです。ゲーム理論の課題のような状況に陥っているのです。実際善人チームがいましたが,決勝には残っていませんでした。もちろんそれだけが理由ではありませんが。

最低点を与えるというケースもいくつかあり,ちょっとまずいかなと思いました。なぜならば,最低点が与えられているチームは私が見た印象ではその評価ほどひどい研究発表ではなかったからです。来年度は評価方法を見直す必要があるかもしれません。

評価が高いチームはプレゼンテーションに優れているというのはいいことなのですが,学生の評価がややプレゼンテーションの良し悪しに傾き過ぎているような印象を持っています。また,研究内容については,学生にとって分かり易いと高評価につながり易いということも気になります。学生の理解を超えた研究や関心を引かない研究は評価が低くなる可能性があるということです。勝つことにこだわりすぎると,各チームは分かり易い研究ばかりに取り組むことになってしまうかもしれません。それでは本当の研究の面白さが味わえなくなってしまいかねません。

われわれ教員の間では伝説となっている研究発表があります。昨年の名城大学大崎ゼミ商業集積グループ「長浜商店街の二極化」という研究です。研究内容は抜群だったのですが(大学院レベルでも通用するぐらい),学生には身近な問題でなかったため,あるいは少しプレゼンテーションが下手だったため,決勝には残ったものの,決勝チームの中では最低点しか得られませんでした。まあ,教員の世界でも,優れた研究をしている人が高い処遇や地位を得ているわけではないので,ありがちなことなのかもしれませんが。なお,今年の優秀チームをくさすわけではありませんが,今年は「長浜商店街の二極化」を超えるものはなかったというのが教員の一致した意見です。あの研究のすごさを皆が評価し,その情熱を共有してくれたらと今でも願っています。

現在の評価方法において勝ち負けにこだわると色々問題点が出てくるのはいたしかたないのですが,もちろん良いことのほうが多いと思います。何より,皆真剣に勉学に取り組んでくれるようになっています。最優秀チームが発表されたとき,涙を見せる学生がいました。勝って涙し,負けて涙したのでした。ここまで真剣なのかと,日経BP社特別審査員の方々が感激したそうです。この真剣さが持続し,今年参加した学生はもっとすごい研究発表を今後行い,来年参加する学生は今年の学生以上にすばらしい研究発表を行うことを望みます。

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第3回名古屋マーケティング・インカレ本大会

2008年12月08日 | 名古屋マーケティング・インカレ
12月6日に名古屋マーケティング・インカレ本大会が開かれました。5大学から22チーム,90名程度の参加でした。日経ビジネスを発行している日経BP社から3名の特別審査員に来て頂きました。さらには,日経ビジネス編集委員の田中陽氏にご講演を頂きました。

午前中5つのブロックごとに予選が行われ,学生達の相互評価によってそこから1チームが優秀チームとして選ばれました。午後,5つの優秀チームによって決勝が行われました。そして,全参加チームと特別審査員による投票で最優秀賞が決まりました。今回の最優秀賞は,愛知大学の米CLUBでした。米の消費拡大のため,大学生にターゲットを定めて,米粉を使ったパンの普及策を導出するという内容でした。その策を導出するため,大学生に対するアンケート調査を行い,その生活実態を明らかにするという作業を行っています。このチームは論旨がシンプルで明快な点が良かったように思います。また,プレゼンテーションも無難で,分かりやすかったと思います。予選,決勝で戦った他のチームはどこか重大な問題点が1つ以上はあったのですが,このチームは重大な問題点を見出させないようにうまく発表しました。最優秀にふさわしい研究発表だったと思います。

予選を見た感じでは,研究内容的には,決勝に残ったチームと比べ,他のチームがそれほど劣っているわけではないという印象を持ちました。しかし,決勝に勝ち残ったチームは皆プレゼンテーションが上手でした。そして,テーマと論理展開が明快でした。

残念ながら,うちのゼミのチームは決勝には残れませんでした。研究内容としては,決勝に残ったチームに劣っているわけではないと思われるものもありました。ただ,うちのゼミのチームはどこも勝ち残った優秀チームと比べて決定的にプレゼンテーションが下手でした。中間発表会後,一通り指導はしたのですが,自信のなさが露呈していました。もう少し,徹底して指導すればよかったと反省しています。

うちのゼミとしては残念な結果に終わりましたが,インカレ全体としてみると,昨年よりも格段にレベルが上がっています。発表内容では,思いつきの提案というものではなく,データや事例を用いて仮説の検証と論理の展開をする努力が見られました。質疑応答の場面では,昨年は,重箱の隅をつつくようなものが多かったのですが,今年は,テーマ,論理,検証の矛盾や欠点をきちんとつくものが多く,白熱した議論が展開されました。

決勝への勝ち残りは,どのブロックに組み入れられるか,学生が相互評価する際どのように点を与えるのかということに左右されるので,運もあるかもしれません。勝ち負けよりも,参加することに意義があると思います。このインカレでの研究発表のため,半年間努力を重ねたことを誇りに思えるようになってくれればいいと思います。ともかく,今回は成功でした。
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競争

2008年12月02日 | 卒論
ゼミでは今,3年生,4年生たちが瀬戸際を迎えています。

3年生は,つぎの土曜日に開かれる名古屋マーケティング・インカレできちんと発表できるかどうか。4年生は,卒業論文がきちんと出せるかどうか。春学期から振り返ると,3年生はかなり能力が向上してきたように思われます。何がやりたいのかいまひとつ分からない5月の研究テーマ設定時からすると,今は何をやろうとしているのかが伝えられるようになっています。4年生は,正直いうと,春学期からあまり進歩がありません。あいまいなままの卒論テーマを引きずったまま,とにかく資料を写して,字数稼ぎをしているものが多い。最後部分の分析や提案ではきちんと根拠を示しながら,独自の論理を展開して欲しいと指示していますが,いまひとつきちんと展開できていません。思いつきに留まっています。

3年生と4年生の成長の違いはなぜ起きたのかを最近考えてみました。一つは4年生の就職活動ということがあったでしょう。これが勉学を阻害しているのは,ほとんどの大学で指摘されているところです。しかし,卒論に関していうとこれはあまり大きな理由ではないかもしれないとも思います。なぜならば,大半の4年生は卒論とわずかな科目を履修すればいいだけなので,就職活動が忙しくても,卒論には十分集中できるからです。しかも,今年度は就職活動は秋までに収束しました。その後はたっぷり時間があります。もう一つは,競争が課されていないということでしょう。3年生は名古屋マーケティング・インカレで他大学と競い合っています。しかし,4年生の卒論はあくまでゼミの中だけで発表が行われ,評価は教員の私がするのみです。競い合う意識が希薄です。学生は甘えの気持ちを持っているようです。

教育から競争を排除しようとする動きは初等教育や中等教育段階ではよく見られます。この是非は私には分かりません。ただ,大学教育では競争は非常に大事であると思います。ビジネス界では競争が企業のイノベーションを促進するのですが,大学教育では競争が学生の能力向上を促進します。そして,精神面も鍛えます。4年生の卒論でどうしたら競争環境が作り出せるのか考えなければなりません。そうしないと,今年がんばった3年生たちも来年度は結局ぐだぐだになってしまうからです。

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