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研究態度

2019年12月19日 | Weblog
心理実験 再現つまずく 揺らぐ信頼、研究刷新促す声 (日経新聞2019年12月15日朝刊記事抜粋)

「つまみ食いを我慢できる子は将来成功する」「目を描いた看板を立てると犯罪が減る」――。有名な心理学の実験を検証してみると、再現できない事態が相次いでいる。望む結果が出るまで実験を繰り返したり、結果が出た後に仮説を作り替えたりする操作が容認されていた背景があるようだ。信頼を失う恐れがあり、改めようとする動きが出ている。米科学誌「サイエンス」は15年、心理学研究への信頼が揺らいでいる事態を重く見て、主要な学術誌に掲載された心理学と社会科学の100本の論文が再現できるかどうかを検証した。結果は衝撃的で、同じ結果が得られたのはわずか4割弱にとどまった。日本の代表的な心理学会誌「心理学評論」も16年、再現できない実験に関する問題を特集号として取り上げた。

心理学で再現できない研究がなぜ目立つのか。大阪大学の三浦麻子教授は「捏造(ねつぞう)ではないものの、結果を都合よく利用する研究が一部で許容されてきた」と解説する。100年以上の歴史はあるが、確立した手法がなかった。実験を何回繰り返すかを事前に決めず望む結果が出た時点で打ち切ったり、結果の一部だけを論文に載せたりする慣習があった。実験結果に合うよう仮説を作り替えることもあったようだ。再現できなくても「元の実験が真実ではなかった」とすぐに断定できない点がやっかいだ。三浦教授は「妥当な方法で実験していても再現性が低くなる可能性はある。不適切な研究と区別しなければいけない」と指摘する。     

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かつて,私はあるマンモス私立大学教育学部の教育心理学専攻に在籍していました。その学部では卒論は必修で,しかも教育心理学専攻の場合,実験,アンケート調査,観察などの手法によって一次データを収集し,それを分析したものでなくては,卒論として認められませんでした。

私は社会心理学の領域で卒論を書くことにし,先行研究の実験条件を変えて,自分なりに実験を行うことにしました。担当教授門下の博士課程の院生が指導してくれました。キャンパス内の学生に声をかけ,被験者になってもらい,教えられた手続きで実験を行い,院生の手ほどきで統計学的検定をして,その結果をその院生に見せました。そうすると,「有意差が出ていないな。出るまで実験を続けなさい」と指導されました。上記の記事にあるように,望む結果が出るまで実験を繰り返せということです。「そういうものか」と,深く考えないでいわれた通り,またキャンパス内で被験者を集めて,何日も何日も同じ実験を繰り返しました。そして,また結果を院生に見せると,「まあまあのデータかな。じゃあこれで仮説が検証されたということで,分析と結論を書いて卒論を仕上げなさい」という回答。その指導通りにして,担当教授の了解も得て卒論を仕上げました。

しかし,卒業後,その卒論を振り返って,仮説の検証という表面だけ取り繕って,真実に迫ろうとはしていないのではないか,果たして意義はあるのかと感じました。学部学生の卒論だからやむを得なかったのかと自分を納得させました。当時私が習った心理学の先生たちは,自信満々で,「心理学は自然科学の方法論に則っている。人文科学だといわれているが,自然科学と同じだ」「教育学なんて夢物語を述べているだけだ。自分たちは教育学部にいるがきちんと科学を究めている」などなどの発言を学生の前で繰り返していましたが・・・。まっとうな研究者の論文も上記の記事のようになっているとしたら,科学なのか何なのか。

翻って,現在私が専攻しているマーケティング論において,誠実な態度ですべての研究が行われているかというと・・・。消費者行動論というマーケティング論の下位領域があります。これは心理学をベースにしていますが,上記の記事のような状況に陥っていないかどうか振り返る必要があると思っています。さらにいえば,心理学ベースでない戦略論などでも,都合よくデータ(定量的だけでなく定性的なものも含めて)を切り取って,主張の根拠としているのではないかと自戒しなければなりません。

                  

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