愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

To make a resolution

2014年01月01日 | Weblog
大学教員になってもう17年になります。大学内では今だに若手扱いなのですが,これまでの経過を振り返るには十分な年月を積み重ねていると思っています。これまでを振り返って,今年の計を立てたいと思います。

私が大学教員をしていることを,中学,高校,大学の同級生たちが知ったら,大変驚くでしょう。中学から大学にかけて,私は勉強が好きな,優秀な生徒・学生ではなかったからです。「吉本に行けよ」(関西ではあほな子供に必ずいうセリフ)といわれるお調子者です。

中学と高校は一貫校に通っていましたが,成績は6年間ずっと下位でした。最下位争いをしたこともあります。高校3年生の時に,これでは大学には入学できないと改心し,受験勉強を頑張り,大学入試に合格しました。ただし,普通の高校生が何とか頑張って私立文系大学に入学したというだけのことで,とても明晰な頭脳の成果とはいえないでしょう。

大学学部時代も成績は悪かった。教育学部で心理学を専攻しましたが,学問内容に全然ついていけず,やる気をなくしていました。当然単位を落としまくり,4年生になって,1年次の必修科目を複数履修しなくてはならない羽目に陥りました。履修制限単位数上限まで履修し,就職活動しながら卒業論文も書くという状況だったのです。

そんなぼんくらのくせに,何を思ったのか,大学院に進学することを思い立ちました。元々,ビジネス現象,とくに商業に関心を持っていた私は,心理学は自分には合わなかったが,商学ならば自分は真剣になれるだろうと,甘く考え,受験勉強に取り組みました。学部と比べれば入試の競争倍率は低く,焦点が絞られた取り組みやすい試験だったので,運よく合格して,母校の商学研究科修士課程に入学しました。そして,マーケティング・流通を専攻しました。

ちなみに,入試が終わった4年次秋のゼミにおいて,その担当の先生に,卒業後の進路を聞かれ,「大学院進学」と答えたら,「冗談だろう?」に一笑に付されたことを今でも思い出します。その程度の学生だったわけです。その会話で気まずくなって,それ以降先生にも他の学生にも何も話せなくなりました。ゼミの同級生のほとんどに進路を隠したままになりました。

修士課程では,学問の面白さを知りましたが,大学教員になることは夢にも思わず(とても自分のような頭の悪い人物が就く仕事ではないと思い),終了後はとある商業コンサルタント会社に勤めました。中小小売業者の経営支援を行う会社です。しかし,この時に大学における学問の重要性を理解しました。必ずしも学問は机上の空論とは言えないと実感したのです。仕事上の人間関係に辛さを感じていたこともあり,もう1度きちんと学問に取り組みたいと考え,2年弱勤めた会社を辞めて,博士後期課程の受験勉強を始めました。受験科目のフランス語に泣かされ,気が変になりそうでしたが,運よく入学することができました。

博士後期課程時代は,コンビニと家庭教師のアルバイトで研究費を稼ぎながら,その合間に勉強するという日々でした。精神的・肉体的にはきつかった時代ですが,もっとも充実していたと振り返ることができます。ただし,ぼんくらぶりは相変わらずで,指導教授には,毎週不勉強さと頭の悪さを嘆かれ,怒鳴られていました。その指導教授の弟子には10名ほど大学教員になった人物がいますが,その中で,私がもっとも出来が悪かったといっていいでしょう。厄介者の私は堂々と同窓会には出席できません。

博士後期課程の時,指導教授の紹介で,山梨学院短大の非常勤講師をやることになりました。出来の悪い弟子に経験と経歴を積ませようという心遣いだったのでしょう。そうすると1年経過した後に,運よく,そこで専任講師に就くことができました。ここから私の大学教員としての経歴が始まりました。

短大の学生たちは,勉強熱心とはいえませんでしたが,人懐っこく,こちらの教示をすぐ受け止めて,反応を返してくれました。こちらのダメな指導ははっきりとそれが分かるように反応が返ってきます。逆にいい部分はその旨の評価がすぐ返ってきます。鍛えられました。その時から,自分の大学教員としての役割や価値は何なんだろうと考え続けています。

4年間山梨学院短大経営学科で専任講師を務めた後,愛知学院大商学部に移り,今に至っています。愛知学院大の学生は,山梨学院短大の学生と比べ反応が薄く(よく言えばクール),悩みは深くなりました。しかも,移った当初は大教室授業が多く,私語で荒れてしまうため,クラス・コントロールに消耗してしまうことも悩みを深くしていました。愛知学院大では一貫して,流通論を中心担当科目としています。1年生向けに,流通の基礎を教えています。商学部におけるマーケティング関連科目の基礎になります。

自分のような頭の良くない人物が,大学教員になった(紛れてしまった)意義は何なのか。ゼミの先生に大学院進学は冗談だろうといわれるレベルの人物が,大学で教える意義は何なのか。

間違いなく,研究の先端にいて知を切り開くことではないでしょう。ぼんくらの私がそんな存在になることはありえないでしょう。期待もされていません。ちなみに,私は自分を研究者だと自称したことはありません。おこがましくてそんなことはとても口にできません。

大学大衆化時代の今,私立大学において入試のための勉強をしたことがない学生は,半数を超えます。高校時代勉強についていけなかった人物でも楽に大学に入学できます。中堅以下の私立大学ではきちんと勉強したことのない学生が大半になっています。うちの学部でも同様です。

今,私の大学教員としての役割は,勉強のできない学生の心を理解し,そのニーズを察知することではないかと考えています。勉強のできない学生が,なぜ大学の授業が理解できないのか。それを知ることができるのは,同じく,勉強ができなかった,そして授業が理解できなかった私のようなぼんくら教員ではないかと思うのです。

今年の抱負は,自分がぼんくらであることを再認識して,勉強のできない学生の気持ちとニーズを正しく理解することにしようと思います。ただし,逃げ回って楽をするという,教育上誤ったニーズは捉えないこととします。

1年生向けに流通論を担当していることは,重要な任務だと考えています。高校段階で,まともに勉強してきていない学生が,いきなり初年次に専門教科を学んで,理解できず,大学が嫌になるケースはかなりあるでしょう。流通論でも同じことが起きているでしょう。今までも改善を積み重ねてきましたが,今年はこれに重点をおいて,授業再生の工夫を積み重ねていきたいと思います。
コメント
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