日経新聞2月20日朝刊に国立大学財務・経営センターの金子元久教授(中央教育審議会委員)のインタビュー記事が掲載されました。それでは高校教育に関する記述がなされ,その最大の問題は学力中位層が勉強しなくなったことだと指摘されています。現在高校生の6割ほどが家でほとんど勉強しないのだそうです。きちんと勉強しているのは上位層約3割程度だということです。
中堅下位の私立大学教員である私はこの問題の深刻さを肌身で感じています。なぜならば,うちの学部には,高校時代にほとんど勉強したことがないと思われる学生が多数在籍しているからです。そしてその学生たちへの対応に苦慮しているのです。
教科で定期試験を課し,その答案を採点すると,きちんと試験勉強をしてきた形跡がない答案が続出します。年々その割合が増加している印象です。試験の直前の授業では,教科の復習として,学期における授業内容の要点を説明します。試験問題はその要点を再現すればいいように設定しています。それを覚えてくれば試験対策になります。それにもかかわらず,「何が出るのか分からない」「難しくて困る」といって,きちんと試験勉強してこない学生が多数存在しているのです。ちなみに,AAやAを取得するレベルの学生に教科と試験の印象を聞いてみると,「先生は優しすぎる。あれじゃ問題と答えを漏らしたのと同じだ」と笑いながら述べます。うちの学部においても二極化が進行しているのです。
ゼミにおいては,3年次の研究発表,4年次の卒業論文で脱落者が毎年出現します。脱落者を見ていると,その半数はコツコツと調査と思考を積み上げることができない学生です。なお,残りは流通という学問領域に関心が持てない学生です。
高校時代(おそらく中学時代も)きちんと勉強をした経験のない学生は,勉強の習慣がないばかりか,そのやり方すらも分からないまま大学に在籍しています。しかし,大学の教育システムは学生にそのような基礎中の基礎を身に着けさせるようにはなっていません。ゼミおいては,調査研究の方法や心構えはレクチャーし,それを強制的に実行させるようにしていますが,そもそも勉強の習慣や勉強のやり方が身についていない学生はケアできません。
勉強の習慣やそのやり方が身についていない学生はある程度見分けることができます(現場の俗論ですが)。私は2つポイントで見つけ出します。1つはメモをきちんと取るかどうか。勉強の習慣のない学生はたいていメモを取らないのです。教員の指示をぼうっと聞いているだけです。当然それを記憶していることはありません。人は記憶がないものについては努力を払おうとはしません。もう1つは,比較的長めの文章で自らの考えを記述することができるかどうか。勉強の習慣のない学生はたいてい長い文章が書けません。文章を書く能力は簡単には身につきません。長期にわたって,ボキャブラリーを増やす訓練が必要です。しかも,ボキャブラリーの増加は,国語にとどまらず,数学,社会,理科,英語などほとんどすべての教科に関わります。
こうしてみると,勉強の習慣やそのやり方が身についていないことは就職活動やその後の職業生活にも大いに影響を与えそうです。しかし,今のところ,どうにか対応しようとは思いません。なぜならば,あまりに大きな問題だからです。前出の金子さんはこれは小学校から大学まで一貫して考えるべき問題であると断言しています。せめて,ゼミにおいて,いつものように,メモをとれ,本を読めと諭すようにはしましょうか。
中堅下位の私立大学教員である私はこの問題の深刻さを肌身で感じています。なぜならば,うちの学部には,高校時代にほとんど勉強したことがないと思われる学生が多数在籍しているからです。そしてその学生たちへの対応に苦慮しているのです。
教科で定期試験を課し,その答案を採点すると,きちんと試験勉強をしてきた形跡がない答案が続出します。年々その割合が増加している印象です。試験の直前の授業では,教科の復習として,学期における授業内容の要点を説明します。試験問題はその要点を再現すればいいように設定しています。それを覚えてくれば試験対策になります。それにもかかわらず,「何が出るのか分からない」「難しくて困る」といって,きちんと試験勉強してこない学生が多数存在しているのです。ちなみに,AAやAを取得するレベルの学生に教科と試験の印象を聞いてみると,「先生は優しすぎる。あれじゃ問題と答えを漏らしたのと同じだ」と笑いながら述べます。うちの学部においても二極化が進行しているのです。
ゼミにおいては,3年次の研究発表,4年次の卒業論文で脱落者が毎年出現します。脱落者を見ていると,その半数はコツコツと調査と思考を積み上げることができない学生です。なお,残りは流通という学問領域に関心が持てない学生です。
高校時代(おそらく中学時代も)きちんと勉強をした経験のない学生は,勉強の習慣がないばかりか,そのやり方すらも分からないまま大学に在籍しています。しかし,大学の教育システムは学生にそのような基礎中の基礎を身に着けさせるようにはなっていません。ゼミおいては,調査研究の方法や心構えはレクチャーし,それを強制的に実行させるようにしていますが,そもそも勉強の習慣や勉強のやり方が身についていない学生はケアできません。
勉強の習慣やそのやり方が身についていない学生はある程度見分けることができます(現場の俗論ですが)。私は2つポイントで見つけ出します。1つはメモをきちんと取るかどうか。勉強の習慣のない学生はたいていメモを取らないのです。教員の指示をぼうっと聞いているだけです。当然それを記憶していることはありません。人は記憶がないものについては努力を払おうとはしません。もう1つは,比較的長めの文章で自らの考えを記述することができるかどうか。勉強の習慣のない学生はたいてい長い文章が書けません。文章を書く能力は簡単には身につきません。長期にわたって,ボキャブラリーを増やす訓練が必要です。しかも,ボキャブラリーの増加は,国語にとどまらず,数学,社会,理科,英語などほとんどすべての教科に関わります。
こうしてみると,勉強の習慣やそのやり方が身についていないことは就職活動やその後の職業生活にも大いに影響を与えそうです。しかし,今のところ,どうにか対応しようとは思いません。なぜならば,あまりに大きな問題だからです。前出の金子さんはこれは小学校から大学まで一貫して考えるべき問題であると断言しています。せめて,ゼミにおいて,いつものように,メモをとれ,本を読めと諭すようにはしましょうか。