アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

国鉄時代の長距離電車~115系

2020-08-16 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

普通客車列車から電車へ目を移してみると、今では考えにくいくらい長距離を走破する普通電車の存在があった。その代表列車は、東京-大垣間を結んでいた153系による夜行列車だろうか。日付の変わる直前に東京を出発し大垣に朝方到着。何処へ行くにも効率よく、アントンKも静岡での撮影時、また関西に行った時には乗り継いでお世話になった列車だった。旅行シーズンを問わず人気があり、特にグリーン車は、始発で並ばないと座れないほど。夜通し普通車の固い座席で我慢を強いられた苦い思い出もある。当時は中央線にも、客車列車から変わった115系の夜行列車の設定があったはず。そして上越線にも上野-長岡を結ぶ普通電車が活躍していた。上越線も中央線と同じように115系電車による列車だったが、どちらの編成にも、上野寄り(新宿寄り)に荷物・郵便電車が連結され異彩を放っていたのだ。もちろん東海道本線の普通電車にもクモユニ74が連結される電車が日中にあったが、写真のように2両連結の編成は、東海道ではお目にかかれなかった。全国を走っていた荷物列車よりも、一足早くこの手の荷物・郵便輸送は廃止されてしまったと思うが、時期まで調べておらず定かではない。

掲載写真は、その郵便・荷物電車を先頭に連結し異彩を放ちながら上野を目指す長岡発の普通電車。クモニ83004+クモユ141のあと、115系が11連で続き今思っても堂々たる編成だ。クモニ83が釣り掛け式制御、そしてクモユ141はカルダン式制御と連なり、走行音も独特だったことを思い出している。「上野」というシンプルな表記も懐かしく感じてしまう。

1976-03-28   724M  115系電車    高崎線:宮原付近

 


走行音で一杯やっか・・・!~EF58

2020-08-15 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

先日、アントンKの鉄道趣味の大先輩と偶然出先で遭遇し、昔話に花が咲き、しばし消えかかっていた記憶が蘇ってきたので、書き留めておきたい。

学生時代の鉄研の先輩に当たり、当時何も知らないアントンKも大変お世話になった訳だが、時間の経過とともに、人生の生き方そのもののお手本のように思え尊敬できる人物へと変わっていった。その方のエピソードは書き出したらエンドレスだが、あれから40年以上も経った今でも、鉄道に対する情熱は変わらず、目を輝かせながら冗舌に会話が弾み、楽しく貴重な時間はあっという間に感じられたのだった。自分が生きている証として、趣味の世界だけは、一所懸命やってきたつもりだが、その先輩に比べたらお恥ずかしい限りで、色々な話の中で、今は気持ちが引き締まった想いがしている。

この歳になると話題になるのが、鉄道に関する今までに溜まった物の管理、保存方法のこと。フィルムやビデオのデータ化に始まり、カセットテープの音声もデータ化して残す。アントンKも、このブログを通してデータ化を進めているが、誰でも同じように、懐かしい画像に気を取られ、気が付くと膨大な時間が必要になることが多くなってしまうのである。

掲載写真は、客車列車の走行音の話から、東北線を往く普通列車。その時の先輩の話は、高崎線の朝の2321ㇾという普通列車だったが、事細かな走行時の解説は楽しく、まるでその時の光景が目の前に広がる錯覚を覚えたのだった。これを聞きながら一杯やるのが楽しみで・・満面の笑みで先輩はそう語ってくれた。

1976-10-31   122ㇾ  EF58 73   東北本線:片岡-蒲須坂


高関 健氏のブルックナー演奏

2020-08-13 20:00:00 | 音楽/芸術

盆休みでもあるこの時期、普段なら演奏会も一段落のはずだが、今年は少し様子が違う。いつも聴いているクラシック音楽の世界も、コロナ感染の影響を大きく受けてしまった。緊急事態宣言終了後、演奏再開とはなったが、まだまだ予断は許されず、この先の不透明感は如何ともしがたい。スケジュールが大幅に変わってしまった演奏家の方々の想いは、如何ばかりのものだろう。遠くからいつも心配している。それしか出来ないアントンK。情けない気持ちで一杯だ。

この感染症の影響で、公演プログラムも大きく変更され、日ごとに変わる情報に一喜一憂している。そんな状況の中、やはりプログラム変更で突如演奏されることになったブルックナーの第8交響曲を聴きに行ってきた。来月に迫っていた新日本フィルのブルックナーが突然中止となり、唖然としていた矢先の出来事だったのだ。指揮者は、高関健氏というまだ指揮者界では中堅のマエストロであろうか。アントンKには今まで接点がなく、今回が初めての生演奏となるが、それまでは楽譜などを深く掘り下げ、音楽理論を唱えるような学者肌の指揮者というイメージを持っていた。この手の指揮者の作り出す音楽は、理屈や理論が先行し、演奏に宿る熱い魂の葛藤など、微塵もない演奏になるケースをアントンKは知っている。かつてシノーポリがフィルハーモニア管を引き連れて、マーラー全曲演奏会を行った時の演奏を思い出してしまう。この話を書き出すと長くなるので後に譲りたいが、高関氏もこういった演奏なのか、と不安半分で会場へと向かったのである。

編成の大きな楽曲の演奏会は、しばらく無理かな、と思っていただけに、今回の変更はアントンKにとっても有難かった。素晴らしく響きの良いオペラシティでのブルックナー。これだけで待ち焦がれてしまうが、コロナ対策はどう乗り切っているのかという点でも興味はあった。実際には、かなり定員を減らしているものの、座席の移動は事後申告で変更できた。他のホールに比べて広くはない舞台にも、オケがまんべんなく配置され、奏者の演奏中のマスクは無かった。不安はないと言ったらウソになるが、聴衆も意識が高く、マスク着用で会話が聞こえない会場の雰囲気は良かったように思う。

さて初めて聴く高関のブルックナー。思いのほか印象は良かった。下読みが深く、オケに理論を唱え、自分の色の演奏に染め上げていくと思いきや杞憂に終わった。他の楽曲ならそれも良しと出来るが、ことブルックナーの楽曲では通用しない。独自性が強すぎるチェリビダッケのブルックナーが良い例で、内容は大変素晴らしくアントンKも大好きな演奏なのだが、初心に帰ってブルックナーの音楽を考えてみた場合、かなりかけ離れてしまっていると思えてならないのだ。ハース版を今回使用とのことだったが、やはり譜面の中身をかなり考察しているようで、アーティキレーションで新鮮なポイントも散見出来た。1mov.冒頭の木管楽器のフレーズを初稿版同様カットしていたが、これも何か意味があるのか。全体的にインテンポで、どちらかと言えばたっぷり時間をかけた演奏。オケ全体の音量バランスに気が要っていることがわかり、響きの見通しが良い。金管楽器、特にHrnの全奏時のおける裏拍の強調は、コンセルトヘボウの演奏のようで心地よかった。またティンパニ奏者のフィナーレにおけるバチ持ち替えによる表現、コーダに入ってからの符点の表現は良く、細かな指示の上に成り立っていることが容易に理解できた。しかしリハーサル不足なのか、音楽が身体に染み込んでいないことも解り、細かな傷が目に留まった。ffからさらに大きくfffに代わる表現が今一つで粗くなってしまったことは残念。後半に行けば行くほど響きが粗くなってしまった印象だった。

しかし、、、コロナ感染状況下の中で聴くブルックナー。四の五の言わず、まずは生演奏をして頂いたことに感謝しなくてはならないだろう。大変なご苦労の上に実現した演奏会ということも理解しなくてはいけない。演奏時間90分の中に、この半年に味わった想いが凝縮され、脳裏に思い出されたと同時に、前進する勇気をほんの短いフレーズから享受したことも事実なのだから。指揮者高関 健氏。次回も素晴らしいブルックナー演奏を期待してやまない。

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第332回定期演奏会

ブルックナー  交響曲第8番 ハ短調 ハース版

指揮   高関 健

コンマス 戸澤 哲夫

2020年8月12日  東京オペラシティ コンサートホール

 


意識改革~雨の日の撮影

2020-08-12 17:00:00 | 鉄道写真(EL)

昔は、天気が悪いと撮影に出向くことをしなかった。どうしても撮影したい列車でも、たとえば御召列車のように、その日のその時刻と決まっている場合を除き、積極的にはなれなかった。ただし、遠征して地方を回る場合は、そうもいかない。かなりやる気を損ねて、それでもお義理のごとくシャッターは切る。でもそんな気持ちで撮ったものは、ろくなもんじゃない。気持ちが画像に表れる典型的な実例なのである。

しかしここまでは、フィルムカメラで撮影していた時代でのこと。デジタルカメラを使った撮影では、そのまま当てはまらないことが多くなった。高感度撮影が代表例だが、絶対にフィルムカメラでは、シャッターを切らない暗さでも、今のデジタルカメラで撮影すると写ってしまう。こんな驚きに昨今は慣れつつあるわけだ。フィルムカメラと比較すること自体が、誤りかもしれないが、圧倒的に綺麗に、そしてどんな悪条件でもよく写ることは確かなようだ。時代とともに、それは進化して、アントンKの目もとっくに抜かされてしまって、撮影していてどこか憎たらしく思う時がある。まあ仕方あるまい。こちらは年々老化が進み、見えてたものも見えなくなるのだから・・情けない話になった。

さらに最近、現代の写真の楽しみ方は、撮影した画像を自分流にアレンジして、自分の理想の画像を作り上げることではないか、と思い始めている。確かに写真には、記録的要素が大きく、そこから逸脱することは避けたいが、こういう風に見せたいとか、好みの被写体をどう撮りたいかということを、撮影後からでも検討して一つの作品にするところまでが趣味の世界のように思うようになった。我々のお仲間内では、これを「Pモード」と呼んでいるが、このPモードまで画像を追い込んで、撮影を楽しんでいるのである。アントンKも、古い頭の意識改革を進めて、現代のカメラ、写真を楽しみたいと思っている。

こんな中、ネットに出回っている写真を見て、それと同じように撮ることだけに専念し、自分がどう撮影したいのかという大前提も持たずに線路端に立つ拝が、最近やたらと目に付くのだが、この世界でも、もう少し独自性を意識して撮影を楽しんでもらいたいと切に思っている。どれを見ても同じ画像が林立し、それで満足ならばそれでいいが、せっかく好きで始めた趣味なら、もっと自分を出しても良いのではないだろうか。お若いファンを横目で見ていて、最近考えさせられるのである。

雨の日の撮影画像を探したが、なかなか見つからず、今回は北海道遠征時の時の画像を掲載しておく。いまや懐かしさも漂うようになってしまった「北斗星」。予報が外れ、夜明けから雨だと心がすさむ。しかしこんな経験から今日が成り立っていると自分に言い聞かせて線路端に立つ。ナナゴの面影を残すED79だが、やはり晩年の姿より、ひし形のパンタを上げたこの時代の方がカッコいい。

2007-05-27  1ㇾ  ED79 4  北斗星1号 JR北海道:海峡線/ 泉沢


客車列車による成田初詣臨~EF65PF

2020-08-11 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

先日撮影仲間と話題になった成田初詣臨。たまたま話した友人達がお若い方ばかりで、初詣臨という臨客をリアルでご存知ないらしい。ま、考えてみればその通りで、年数を逆算していけば理解できる単純なことなのだ。つくづく長きにわたり線路端に立っているアントンKにも、我ながら呆れてしまう瞬間でもあるが・・

被写体が枯渇しているとよく耳にするが、アントンKにはそんな意識は幸いなく、撮影したい被写体や場所が次々と巡り、気持ちはいつも充実している。それには、アントンKに絶えず刺激をくれるお若いマニアの方々の存在があるからなのだ。現代の機材をとことん使い、その能力を余すところなく画像表現に落とし込んで、アントンKに活力をくれるのだ。フィルム時代には不可能だった撮影が、ちょっとしたテクニックで、最大限に自己表現に生かせる訳だ。お若い方々の熱心さが、さらに画像へと反映されて行く様は、写真の奥深さに今更ながら気づかされて、新たな一歩へと繋がるように感じるのである。

掲載写真は、EF65PFによる客車列車の成田臨。2000年以降徐々に客車列車の初詣臨は減少して、いつの場合も同じように電車化されていく。今思えば、客車列車としては晩年に数えられるのかも。しかし当時は、ただの12系客車を牽く普通のEF65PFといった意識しかなく、現在の状況など、知る由もなかったのだ。日没間近の松崎の築堤を往く12系客車8連。1日天気は良かったものの、この時は凍えるように寒かったことを思い出す。

2000-01-10  9848ㇾ EF651100     12系客車8両     JR東日本:成田線:下総松崎-安食