盆休みでもあるこの時期、普段なら演奏会も一段落のはずだが、今年は少し様子が違う。いつも聴いているクラシック音楽の世界も、コロナ感染の影響を大きく受けてしまった。緊急事態宣言終了後、演奏再開とはなったが、まだまだ予断は許されず、この先の不透明感は如何ともしがたい。スケジュールが大幅に変わってしまった演奏家の方々の想いは、如何ばかりのものだろう。遠くからいつも心配している。それしか出来ないアントンK。情けない気持ちで一杯だ。
この感染症の影響で、公演プログラムも大きく変更され、日ごとに変わる情報に一喜一憂している。そんな状況の中、やはりプログラム変更で突如演奏されることになったブルックナーの第8交響曲を聴きに行ってきた。来月に迫っていた新日本フィルのブルックナーが突然中止となり、唖然としていた矢先の出来事だったのだ。指揮者は、高関健氏というまだ指揮者界では中堅のマエストロであろうか。アントンKには今まで接点がなく、今回が初めての生演奏となるが、それまでは楽譜などを深く掘り下げ、音楽理論を唱えるような学者肌の指揮者というイメージを持っていた。この手の指揮者の作り出す音楽は、理屈や理論が先行し、演奏に宿る熱い魂の葛藤など、微塵もない演奏になるケースをアントンKは知っている。かつてシノーポリがフィルハーモニア管を引き連れて、マーラー全曲演奏会を行った時の演奏を思い出してしまう。この話を書き出すと長くなるので後に譲りたいが、高関氏もこういった演奏なのか、と不安半分で会場へと向かったのである。
編成の大きな楽曲の演奏会は、しばらく無理かな、と思っていただけに、今回の変更はアントンKにとっても有難かった。素晴らしく響きの良いオペラシティでのブルックナー。これだけで待ち焦がれてしまうが、コロナ対策はどう乗り切っているのかという点でも興味はあった。実際には、かなり定員を減らしているものの、座席の移動は事後申告で変更できた。他のホールに比べて広くはない舞台にも、オケがまんべんなく配置され、奏者の演奏中のマスクは無かった。不安はないと言ったらウソになるが、聴衆も意識が高く、マスク着用で会話が聞こえない会場の雰囲気は良かったように思う。
さて初めて聴く高関のブルックナー。思いのほか印象は良かった。下読みが深く、オケに理論を唱え、自分の色の演奏に染め上げていくと思いきや杞憂に終わった。他の楽曲ならそれも良しと出来るが、ことブルックナーの楽曲では通用しない。独自性が強すぎるチェリビダッケのブルックナーが良い例で、内容は大変素晴らしくアントンKも大好きな演奏なのだが、初心に帰ってブルックナーの音楽を考えてみた場合、かなりかけ離れてしまっていると思えてならないのだ。ハース版を今回使用とのことだったが、やはり譜面の中身をかなり考察しているようで、アーティキレーションで新鮮なポイントも散見出来た。1mov.冒頭の木管楽器のフレーズを初稿版同様カットしていたが、これも何か意味があるのか。全体的にインテンポで、どちらかと言えばたっぷり時間をかけた演奏。オケ全体の音量バランスに気が要っていることがわかり、響きの見通しが良い。金管楽器、特にHrnの全奏時のおける裏拍の強調は、コンセルトヘボウの演奏のようで心地よかった。またティンパニ奏者のフィナーレにおけるバチ持ち替えによる表現、コーダに入ってからの符点の表現は良く、細かな指示の上に成り立っていることが容易に理解できた。しかしリハーサル不足なのか、音楽が身体に染み込んでいないことも解り、細かな傷が目に留まった。ffからさらに大きくfffに代わる表現が今一つで粗くなってしまったことは残念。後半に行けば行くほど響きが粗くなってしまった印象だった。
しかし、、、コロナ感染状況下の中で聴くブルックナー。四の五の言わず、まずは生演奏をして頂いたことに感謝しなくてはならないだろう。大変なご苦労の上に実現した演奏会ということも理解しなくてはいけない。演奏時間90分の中に、この半年に味わった想いが凝縮され、脳裏に思い出されたと同時に、前進する勇気をほんの短いフレーズから享受したことも事実なのだから。指揮者高関 健氏。次回も素晴らしいブルックナー演奏を期待してやまない。
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第332回定期演奏会
ブルックナー 交響曲第8番 ハ短調 ハース版
指揮 高関 健
コンマス 戸澤 哲夫
2020年8月12日 東京オペラシティ コンサートホール