アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

夏休みに走った海水浴臨「くじらなみ」

2020-08-10 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

165系電車を続けているが、ちょうど今の時期、夏休みと言えば快速「くじらなみ」号を忘れることは出来ない。海無し県である埼玉、群馬県民御用達の臨時列車で、季節臨としても歴史がある。165系電車に始まり、最近まで列車名は異なるが189系使用にて継続運転されていた。もちろんこの列車は、千葉や三浦、伊豆といった太平洋側ではなく、上越を越えて日本海側の海水浴場へと向かう列車であり、昔から夏に賑わう鯨波海岸までのレジャー臨なのだ。

アントンKも、165系電車使用、それも専用のヘッドマークを掲げるとなれば食指が動き、何度か撮影にチャレンジしている。週末ではない不定期の運転で、1日2往復の設定だったが、始発が籠原と高崎となり、それも早朝出発のダイヤだったため、思いのほか撮影にも苦労したことが思い出せる。掲載は、国鉄末期の時代の同列車。もちろん湘南色の原型165系使用だ。この時は、お顔に日が半分しか入らず、がく然としたことが蘇る。

1986-08-07  9723M   快速くじらなみ3号  上越線:八木原付近


朝比奈隆のマーラー演奏~「復活」

2020-08-09 20:00:00 | 音楽/芸術

演奏会のプログラムやチラシの収集、当時の感想やメモなどを整理してまとめている。知らず知らずに年月を重ね、そんな資料も置き場所に困るくらいになってしまった。家にいる時間が今年は長いから、少しずつだが作業を進めているが、ついつい手を止めて当時まで思いが遡る演奏会も多い。ほんのわずかでも、そんな想いが消える前にここにも書き残しておきたいのだ。

朝比奈隆というと、ベートーヴェンやブルックナーの交響曲を思い浮かべることが一般的だが、マーラーの交響曲も実は演奏実績がある。彼の晩年は、演奏プログラムも極端に凝縮し、十八番であるベートーヴェンとブルックナーだったが、但しラストコンサートとなってしまった2001年10月の名古屋公演は、チャイコフスキーの第5交響曲となった。この楽曲は、奇しくも朝比奈デビューの楽曲であり、これも何かの因縁なのか。

さて朝比奈のマーラー、全ての交響曲を手掛けた訳ではなく、ごく一部に限られたのだが、大阪フィルの東京公演で、第2交響曲「復活」が取り上げられ、鑑賞する機会を持った。今から25年前の1995年7月の東京公演。世の中マーラーブームのど真ん中でもあり、アントンKもワクワクして赤坂へ向かった想いがある。

アントンKも、マーラーの交響曲中では、この第2は外せず、いつも鑑賞の上位を占めるが、これだけの名曲だからか、取り上げる指揮者も膨大で、今までの鑑賞実績からすると、朝比奈の「復活」は、その中に埋没してしまう可能性がある。それだけ聴きどころが多く、名演ぞろいとも言えるのかもしれない。朝比奈節満載の「復活」は、アントンKにとっては心に火が付き、大好きな演奏になるのだが、一般論からすると少し異なるのかも。マニア向け演奏だったとでも言ったら言い過ぎか・・・この時の演奏は、CDにもなって現在でも入手できるのかもしれない。同年9月には、マーラーの第3を取り上げていて、録音も残しているが、これをCDで聴く限り、行かず仕舞いに終わったアントンKにとって、人生最大の汚点の一つに数えられ、思い出すといつも悔しさがこみ上げてくる。重心の座った骨太のマーラー演奏。この独自性満載の朝比奈のマーラー。アントンKは今でも愛してやまない。

掲載写真は、アントンKの大好きな写真と、マーラー復活演奏会の当時のプログラム。朝比奈隆のこの表情。実演でも何度も見られた表情で、いつもそばに置いている。

 

 

 

 

 


やはり165系は雪山がお似合い

2020-08-08 17:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

あまりにも暑い日が続いているので、季節外れの165系急行電車にて更新していく。

ようやく世の中お盆休みに入ったが、今年は今までにない盆休みで、外出は極力自粛傾向の風潮となった。アントンKは、この時期には大人しくしていることが多いが、毎日のコロナ感染者数を知るごとに不安が募ってしまう。もちろん仕事が一番の不安材料だが、せっかく再開された各楽団の演奏会が、再び逆戻りしないかどうかとても心配でならない。数字ばかりで一概に一喜一憂できないが、どうか世の中落ち着いてくれますように願いたい。

165系電車を続けているが、今回は急行「佐渡」とともに上越を闊歩した急行「よねやま」。上野から上越線~信越海線を通り直江津まで走った急行電車。13両編成の165系は、特に雪山の中では、湘南色も相まって見ごたえがあった。掲載写真は、中間のサハシ165がすでにサハ165に置き換わった編成のようである。線路と架線柱の幅が広いのも、豪雪地帯の証。除雪した雪の壁が線路の脇にそそり立つからだ。中里を出て、岩原までなだれ込む下りを、抑速ブレーキで悠々と走る165系は力強く頼もしい存在だった。

1979-02-12  3601M 急行「よねやま」 Mc165-31    上越線:越後中里付近


ぼくらのゴハチ

2020-08-07 18:00:00 | 国鉄時代(カラー)

https://www.youtube.com/watch?v=t9lT4O31rdE

突然鉄研の先輩から送られてきた動画、「ぼくらのゴハチ」。楽曲や歌詞は誉められたものではないが、こんな時代もあったんだということで、張り付けておく。よかったら聞いてみて下さい。

画像は、ゴハチにちなんで、EF58重連荷物列車、荷35列車。アントンKの評価に合わせて、それなりのカマを掲載します。

1978-09-26    荷35ㇾ EF5848+157   東海道本線:品川


朝比奈のブルックナー自選集~新日本フィル

2020-08-06 20:00:00 | 音楽/芸術

朝比奈隆と言えば、大阪フィルハーモニーとの演奏が一般的と思われがちだが、実は在京オーケストラとの組み合わせも意外と多かった。NHK交響楽団を始め、都響や日本フィル、読響、新星日本響なんてオケとの共演もあり聴きに行った思い出がある。そして今回は、現在も鑑賞の機会が多い新日本フィルとの共演を振り返ってみたい。

朝比奈の演奏会は、実演ベースで1978年3月から2001年9月までの23年間になった。もっと長かったように感じるが、今となってはたった23年となってしまう。そう、聴けなくなってから20年近くの年月が経ってしまったからだろう。ほんと人生は切なくわびしいものだ。アントンKにとって、朝比奈の最初の演奏会は、この78年3月のブルックナーの第5交響曲だった。ここでは大阪フィルではなく新日本フィルハーモニーで定演だった。もちろん会場は東京文化会館。当時は、主要のオケの定演はこのホールがお決まりで、よく上野まで通ったもの。当時学生時代の友人の勧めで買ったチケットを握りしめ、半信半疑でホールへと向かった記憶は鮮明だ。この頃、ようやくブルックナーという作曲家の楽曲に目覚めた時代であり、正直深く解らず、また演奏内容まで把握しきれなかったと思う。特に第5は、中期の交響曲でも巨大であり、楽曲の構成スケールは最も大きく感じ、こんな楽曲は生演奏で鑑賞すること自体が初体験だった。それまでマタチッチの第5を下調べとして何度も何度も聴いてから、ホールへと向かったが、実際出てきた朝比奈の音楽は、全くそれとは異なっていた。全体的な印象は、見たこともないドデカい宇宙のような音楽とでも言おうか。金管のコラールは、教会で聴くオルガンのようで、朝比奈の主張でもあるコーダでの倍管演奏でとどめを刺されたのである。

こんな洗礼をこの時期にして受け、朝比奈熱に火がついてしまったのである。あれから十数年後、大阪フィルと同じように新日本フィルとともに、ブルックナー自選集として、第5、第7、第8をチクルスで演奏し鑑賞する機会をもった。これらの演奏はCDにもなっているが、今回はアントンKのコレクションでもある、演奏会のチラシを上げておく。今まで朝比奈の音楽にどれだけ救われたことか・・生演奏は聴けなくても、ちゃんと大阪フィル、そして新日本フィルに今でも朝比奈さんの音楽への愚直な姿勢が宿っているように思えてならないのだ。