アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

不運な電機~EF500

2018-12-16 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

今年春のダイヤ改正から、関東までやってくることが無くなってしまった電機にEF200というマンモス機関車が存在する。現在は両数を減らし、細々と余生を送っているようだが、生まれながらのハイパワーを生かすことなく消えていくのだろうか。フルパワー(6000kw)走行すると変電所の電圧が低下してしまうというのだから恐れ入る。性能を殺して今まで生き延びてきた訳で、ある意味可哀そうな電気機関車と言えるだろう。

しかし、このEF200と同時期に開発され生まれた機関車で、EF500という交直流型の電機も存在していた。こちらは、数々の性能試験を繰り返した結果、量産は見送られた形式だった。EF200と同じくハイパワーロコ(6000kw)を誇り、交直流切り替え区間もスルー運転化し、今後の大量輸送に備えた機関車だったに違いない。その現実的ではないハイパワー性能ゆえ、量産化されず消えていった不運の機関車なのだ。当然これらの実績を踏まえた上で、機関車性能は後継のEH500、あるいはEF510にけ継がれているはず。EH500やEF510がここまで量産化され、平成の標準機関車に君臨しているのも、こういった不運な機関車の存在があったからこそ成り得たことなのだ。今一度思い出して心に刻んでおきたい。

掲載写真は、そのEF500型電気機関車の性能試験列車。1台しか製造されず、当然ながら901号機を名乗っている。けん引しているコンテナの寸法と比較しても、その大きさは歴然としており、第一印象はアメリカで走っているような大陸電機そのものだった。側面いっぱいに付けられた通風孔はド迫力で、吸い込まれそうな迫力!前面のデザインは、現在主力のEF210やEF510に通じていることが一目瞭然だろう。

1991-09-27   9080ㇾ  EF500-901  JR東日本/東海道本線:平塚付近にて


指揮者「山田一雄」の世界

2018-12-15 06:00:00 | 音楽/芸術

ここのところ、時間を見つけては山田一雄(1912-1991)のCDを聴き漁っている。

「ヤマカズ」と呼ばれこの世を去ってから20年余りの時間が経ってしまい、何を今更と思われても仕方がない。いつかは聴こう、聴いてみたいと思い続けて今日まで過ぎてしまったのだ。振り返ってみると、山田一雄の指揮で残されているCDは、1970年代以降のものが多く、およそ20年間だが、さほど録音には熱心ではなく、恵まれてはいなかった印象を持つ。もちろんアントンKも、ヤマカズという指揮者は知っていたが、当時はなにしろ朝比奈隆一辺倒の生活だったから、なかなか他へと目が行かなかったのが正直なところ。東の山田、西の朝比奈と言われていたから、当時から朝比奈派のアントンKは、山田を一度も聴いたこともないのに、自然と対抗心などという下らない気持ちになってしまっていたのかもしれない。もっともあの頃、限られた小遣いでチケットを買い、取捨選択の演奏会だったから、山田と朝比奈の演奏会がかち合えば、迷わず朝比奈の演奏会を取っていたわけだ。

このブログには、今まで朝比奈隆についてはさほど多くは書き残してはいない。いつでも書けると思ってきたし、書いて残したい内容はまだ溢れているからなのだが、今年生誕110年の朝比奈隆を機に、少しずつ書き残そうかと思い出した。記憶から消えてしまう前に・・

で今回は、山田一雄の第一印象を綴ることにする。過去に発売され、長い間廃盤になっていた録音がこの度復刻し、たまたま目に留まって昔描いていた想いを思い出し、写真に掲載した最晩年のものと、名盤とされる数枚を手に入れて集中的に聴いている。自分のオケを持たなかったからか、残された録音も、色々なオケを振っている。最晩年には新星日本交響楽団との演奏が多かったようだが、レパートリーは多岐にわたり、感情むき出しの表現は、現代の指揮者には少なくなってしまったとの感慨がわいた。実演奏に一度も触れていないのに、どこか懐かしく聴いている感覚なのだ。師走なこともあって、ベートーヴェンの第九にも集中してみたが、クライマックス直前の大見得や金管楽器群の誇張、ティンパニの強打などなどは、心が熱くなり聴いていて嬉しくなる。もちろんこの手の演奏は、録音では本質がなかなか伝わりにくく、誤解のある感想になることをご承知おき願いたい。聴き込めば聴き込むほど、やはりホールで聴きたかったと無念な気持ちが湧いてくるのだ。

ベートーヴェンの交響曲群、幻想交響曲、チャイコフスキー、展覧会の絵、そしてマーラー・・時間が足りず、まだ思うように聴けていないのが現状だが、年末年始に向けてもう少し聴き込んでみたいと思っている。また同時期を生きた朝比奈隆とも併せてご紹介してみたい。

 

 

 


北斗星のバリエーション「トマムスキー」

2018-12-14 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

最後のブルートレインとして駆け抜けた特急「北斗星」。JR化後、青函トンネル開通とともに生まれた「北斗星」は当初3往復体制だったことは、以前にも書いてきたし語り継がれた話だと思う。時代ととに臨時化され、減便されてしまうが、日本がまだバブル景気で浮かれている時代には、この定期便の「北斗星」以外にも、北海道までを結ぶブルートレインが存在していた。「北斗星」の補完的役割で運転された「エルム」、そして冬季臨として走っていた「北斗星トマムスキー」などだ。

特急「エルム」は、本州内は「北斗星」と同じEF81けん引だったが、冬季に走る「トマムスキー」は、直流区間はEF65PF、黒磯以北はED75とかつての「あけぼの」を彷彿とさせる機関車けん引で、アントンKを熱くさせた。もちろん専用のヘッドマークを掲げて走るので、あらゆる場面での走行写真を狙ったが、何分夜行列車であることで、かなり撮影ポイントは限定的で苦労した思い出が残っている。この「北斗星トマムスキー」は上野発ではなく、一度東海道線、横須賀線を経由して逗子まで回送され、実際の営業列車は、横浜からだったと記憶しているがどうだったか・・?

現在のようなデジタルの優秀な機材などない時代だから、とにかく撮影の際は光を意識し、順光線にこだわった。列車頭部に光を入れて撮影することを第一に考えて撮影に挑んだが、今残された画像を見ると、当時の自分に言ってやりたいことだらけ。やはりまだまだ経験不足としか言いようがないのだ。

掲載写真は、朝の東北線を上る「北斗星トマムスキー」号。EF81とはまた別の魅力が伝わってくるが、EF65PFに中々お似合いのヘッドマークだと思っている。

1995-03-06 9010ㇾ  EF651052  北斗星トマムスキー JR東日本/東北本線:古河付近


いつの時代も・・

2018-12-13 17:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今年もいよいよ押し迫り、残すところあと半月となった。いつもと何も変わらないはずの月中だが、毎年どこか気ばかり焦ってしまう今日この頃。カレンダーが渡され、年末のご挨拶が煩雑になるから尚更なのだろう。子供の頃は、クリスマスから正月まではワクワクして好きだったが、今や心配ごとが増えて逆に憂鬱になってくる。何とかならないものか・・・

昔と変わらないのが、鉄道撮影における「カブリ」写真。撮影したい列車に合わせて線路端に立ち、さていよいよ目的の列車が現れると思ったその時、並走して顔を出す憎きスカ線。敢え無く思った写真は撮影できず、悔しさは募って帰路に就く。こんな経験は、鉄道撮影の経験者なら、一度や二度では済まないのではないか。アントンKも、御多分に漏れず、カブリの経験は人一倍だ。この気持ちは子供の頃から変わらないのだ。

掲載写真は、夕方、西へ向かう「はやぶさ」を狙って待機、ほぼ並走で横須賀線が登場してきた時の1コマ。機関車が見えているから、これはまだ良い方のカブリ写真と言えるのか。ま、記録としてはこれで良かったのかもしれない。

1981-06-01   3ㇾ  EF651107 はやぶさ    東海道本線:保土ヶ谷にて


君住む街で~東急7700系引退

2018-12-12 20:00:00 | 鉄道写真(私鉄)

東急7700系電車お別れ運転から早二週間が経過した。

前身である7000系電車から数えれば、40年以上にわたりアントンKの日常にかかわってきた電車だった。7000系時代は通学の足として、急行運用の7000系にはよく乗った。まだ当時冷房装置が未装着であり、各停の8000系の冷房車を恨めしく思いながら、汗だくで乗車した遠い日。社会人になってからは、勤め先がやはり7700系の沿線だったこともあり、アントンKのいい時も悪い時も知っている電車がこの電車だった。7000系時代からすれば、随分形態も様々となり、車体更新も受けて厚化粧に感じたが、最後の最後まで面影は消えず、有終の美を飾った東急自慢の形式だろう。学生時代から共に歩んだ軌跡は決して忘れることはない。

掲載写真は、夕闇迫る我が街に立たずむ在りし日の7700系電車。今は新しい7000系が我が物顔で走っているが、遠くからでもわかる、あの独特なモーター音が聞こえないとやはり少しホームシックになるのだ。

2018-09   東急7706F    東急池上線:石川台にて