アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

年末恒例の東北線

2018-12-24 06:00:00 | 国鉄時代(カラー)

今年もいよいよ押し迫ってきた。クリスマスから正月までを待ちうけている時は、何となく気持ちも高鳴るが、過ぎてしまえばどうってことない時間の経過を恨めしく思う。この季節は、子供の頃がやはり楽しかった。昭和の時代。

近年年賀状が売れないと聞こえてくるが、こんなちょっとした日本固有の季節の風物詩が、昨今影が薄くなってしまいどことなく寂しく感じている。そして昔は、あり得なかったバレンタインやハローウィンなどの輸入ものが台頭してきた。孫の時代には、これらが当たり前の年中行事となるのだろう。それでいいんだと思う。共感は出来ないがこれからも笑顔は続いていくだろうから・・

ゴーナナの時代から、冬季臨を狙いに東北線に出向いていたことはこれまでにも書いてきた。ゴハチからロクゴへ変わっていった時代も継続できていたが、夜行の急行「津軽」や「八甲田」が消滅してしまうと、アントンKの中の恒例撮影行きは途絶えてしまうことになる。JRに変わり「北斗星」の運転が始まると、ある程度復活できたが、やはりどこか思い入れが変わったことに気づいていた。

蒲須坂をいくEF58172けん引の荷物列車。国鉄末期だからか、随分と編成が短く寂しさが漂う。冬の良い光線で食らった、白エッチ窓の汚いゴハチの疲れ切った表情。この時は、がく然としたはずの心も、35年の歳月が経つと曇った気持ちなどは消えている。

1984-12-30  荷1036ㇾ  EF58172    東北本線:蒲須坂付近


夢よもう一度!オリエント急行

2018-12-23 06:00:00 | 鉄道写真(EL)

懐かしい画像がネットを賑わしているので、アントンKも探してみた。

本物のオリエント急行が日本全国を走り回った時期がある。あれから今年ちょうど30年。何というか、ただただ時の流れの速さを実感してしまう。あの時代からは随分と世の中が変わった。そして自分自身もそれに流されてか、変わってしまったように思い、どこか寂しさがこみ上げる。今だから解ることも多いから、変に自分を納得させているが、問題なのはこれからのこと。いかに心身ともに充実できるのか、そんな時間がもてるのかが課題なのか。うかうかしているとアッという間に時は自分を追い越していく。

オリオント急行。ろくな写真は残せていない。30年前といえば、まだ駆け出しのアントンK、仕事も多忙で時間的にも融通が付かなかった時代だった。ツアー客を乗せ、全国を走り回ったオリエント急行だったが、平日の運行が多かった記憶があり、思うように撮影できなかった。遠征はできず、関東近郊で片手間なものばかり。当時は先のことは考えられず、その時を生き抜くことで精一杯だったのだろう。仕方がないことだが、少し後悔が残っている。

掲載写真は、仕事の合間に撮影した朝の高崎線を行くオリエント急行。この日の下り列車に、初めてD51498が抜擢され、上野から発車している。この日、仕事中に変運用を組み、そのD51けん引のオリエント急行を迎え撃つべく、浦和界隈の線路端を目指したが、どこも撮影者であふれかえり、写真は諦めてムービーを回した記憶が蘇る。EF65PFが続くが、そういえばオリエント急行は、アントンKが好きな形態の65PFによく遭遇した。

1988-12-23    9702ㇾ  EF651011 オリエント急行  JR東日本/高崎線:倉賀野付近


そんなに良いか!EF65PF暖地型・・

2018-12-19 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

先日友人達との飲み会の席で、EF65PFが話題に上がり、どのヴァージョンが好みなのかというコアな議論に花が咲き盛り上がった。

今やEF65PFといえども、国鉄型の古い電気機関車となった。アントンKの感覚だとまだまだ自分よりも若い新しい機関車という錯覚がいまだに存在しているが、自分もいい年になったように、65PFも同じように経年しているのだ。

1969年から約10年間にわたり製造されたEF65PFだが、製造ロットによって細かな形態に変化があるのは、当時どの機関車でも言えること。アントンKは、ここでもいつも言っているように、前面に通風孔のある初期ロット(1001-1039)が好みなのだが、今回話題にした友人は、最も後期型の1100番以降の暖地型のカマだといい、意見が正反対となってしまった。それぞれ好みの理由をぶつけながら、当時の撮影秘話などを交えて会話が弾んだものの、やはり同じ趣味の世界でも、十人十色ということで、色々な考え方があるものだと変に納得した次第。楽しいひと時を味わった。現在では、EF65PFでも2000番台というインフレ番号が存在する時代。現役の65PF も多々形態が細分化されていて、さらに我々側も、年齢によって同じ機関車でも全く思い入れが違い、とても面白い事だと改めて思わされた。コアな機関車ファンには、なかなかついていけなくなったアントンKだが、そんなこだわりがあってこその鉄道趣味だろう。生涯現役で頑張っていきたい。

掲載写真は、その暖地型EF65PFの牽く「あさかぜ4号」。それまでのEF65500番台から受け継がれたのだから、暖地型は当たり前の話。しかし雪国で見た65PFの表情、力強さは伝わってこない。アントンKの青春時代を共に生きた65PFブルトレだが、想いはまるで違っていたことを再確認している。

1982-01-06   10ㇾ  EF651100  あさかぜ4号  東海道本線:根府川付近

 


出世列車急行「津軽」~最後の雄姿

2018-12-18 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

上野-大宮間の繋がりで、もう1コマ思い出の画像を掲載したい。

アントンKの幼少期は、親戚が埼玉県大宮市にいたため、年に数回この区間を列車で移動することがとても楽しみだったことを思い出す。赤羽から京浜東北線を使わず、親にねだって東北本線の列車に乗ったのだ。今にして思えば、非冷房の115系初期車だったが、運が良いと客車列車が赤羽のホームに入ってきて興奮したもの。大宮までは、ほんの20分くらいだったが、客車特有の走行音に驚嘆し憧れ、デッキで揺れに耐えながら楽しんだ。そして今度は大宮から川越線へと乗り換えるのだが、当時はキハ35系でのんびりと行く。しかしこの川越線にも客車列車が残っていて、何度となく乗車した記憶がある。(ただしSLではなくDE10だったはず)

鉄道撮影を本格的に意識し始めたのは、昭和50年になってからだから、EF56やEF57がかろうじて最後の活躍をしていた時期だった。当然のことのように、EF57という電機には心を奪われ、撮影にのめり込んでいったが、その撮影場所もおのずと列車移動がしやすい上野-大宮間が多かったのだ。近年では、周りの景色も様変わりしてしまい、撮影には不向きのポイントも多いと聞く。ただ線路端にいるだけで、この区間は飽きることを知らなかった。こんなことを書いていると、若き日が蘇ってくる思いがしてくる。

急行「津軽」と言えば、アントンKには、奥羽線廻りの青森行き急行列車だが、お若いファン方には電車特急の愛称名と記憶されているのか。急行「津軽」は、とても歴史のある列車だが、アントンKが知っているのは、先ほど書いたゴーナナ時代からで、10系寝台車を連ねた急行列車だった。この急行「津軽」も、時代とともにけん引機や客車が変更され、電車化される前は14系客車に変貌していた。掲載写真は、その急行「津軽」の客車時代の最末期、1990年8月に撮影したもの。お盆の時期数日間ヘッドマークを掲げて運転された時のものだ。もう8月になると、日の出もだいぶ遅くなり、列車に日を入れることに苦労したが、その苦労が伝わってくるようなお粗末な画像を出してしまう。走行写真にこだわったゆえの、失敗例としてご笑覧頂きたい。翌9月からは、14系客車に変わって583系電車が急行「津軽」として運転され、何とも切ない気持ちだったことを振り返っている。

1990-08-15  402ㇾ  EF651017  急行「津軽」 JR東日本/東北本線:蕨付近

 


上野-大宮間の黄金時代~EF58とともに

2018-12-17 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

まだ新幹線すら開通していない東北線スジ。とにかく上野-大宮間は、やたらと運転本数が多かった印象が今でも残っている。考えてみれば当たり前の話で、日中だけでも東北特急は、「ひばり」「やまびこ」「はつかり」が1時間経たずに次々と上野駅を後にして北を目指していたし、それに加えて上信越線の「とき」「あさま」が負けず劣らず飛び交っていて、本当に華やかな、まさに最後の特急電車王国がそこにあった。もちろん、これら特急電車の他にも急行列車が数多く設定されていて、それは今にして思えば別世界と言えるだろう。1時間にどのくらいの列車が通っていたのか、今では知る由もないのだが、この上野-大宮間(正確には赤羽-大宮間)乗車する機会が今より圧倒的に多かった当時の様子が懐かしく蘇ってくる。

掲載写真は、当時のものからこの区間(上野-大宮)で撮影したもの。好んで撮影していたEF58けん引の回送列車だ。以前にも書いたと思うが、これは夜行で朝上野に着いた列車が尾久ではなく、東大宮まで回送されるもの。定期で毎日運転されているが、何せ午前中の下り列車なので晴れてしまうと撮影はしづらい列車だった。現在はどうなっているのかわからないが、当時の蕨駅は、緩いインカーブで綺麗に編成が収まり、アントンKの好みの構図が得られた。曇った日にはよく通ったもの。ゴハチのパンタの高さが絶妙で好きだったが、よく被られたことも同時に思い出す。

1976-10-12  回804ㇾ EF58131 急行「鳥海」回送   東北本線:蕨にて