風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

「愛の賛歌」/ピアフの伝記が見事なシネマになった(2)

2007-10-27 00:54:19 | コラムなこむら返し
Piaf_4 さて、ピアフは自らも男性遍歴は両手の指でも足りないくらいと語るほど、恋多きおんなだったが、浮名を流したイブ・モンタンなどの名前は映画では出てこなかった。「愛の賛歌」を捧げたと言うマルセル・セルダンというボクシング世界チャンピオンとの恋のエピソードがメインである。それは、言うまでもないだろう。エディット自身が述べているくらい衝撃的な恋であり、別離だった。

 「私は大地にひれ伏して叫びたいくらいです。マルセル・セルダンがわたしの人生を変えたのです」(全掲書59p)

 酒と麻薬にも溺れて自堕落さもあったエディット・ピアフの20歳からその短い47歳という死の寸前まで見事に演じ切ったのが、マリオン・コティヤールという22歳のフランス女優だ。ボクは、マリオンに久方ぶりに女優魂を感じてしまった。その47歳の晩年のエディット・ピアフの老婆のような老けぶりも見ものだが、フランス人としては長身の169センチのマリオンは、まるで背丈が縮んだかのようなピアフの30年近くの人生を演じわけるのである。実際、映画館のロビーでまだ若いマリオン・コティヤールの写真を見たボクはビックリしてしまった(パンフレットにも掲載されていた)。
 ちなみに映画ではマリオンは一切歌っている訳ではないようだ。歌はエディット・ピアフ彼女自身のものだ。しかし、デジタル処理されたピアフの歌声は、モノラル盤で聞く印象とはガラリと変わってしまう。ボクはエディト・ピアフのアルバムを2枚持っているが、ともにモノラル盤で「歴史的音源のため多少のノイズはご了承下さい」と断わり書きがしてある。

 さて、ボク自身の「愛の賛歌」の思い出を最後に書かせてもらおう。「愛の賛歌」という曲自体を知ったのは、越路吹雪の熱唱からである。今となっては、やや陳腐に感じる

 あなたの燃える手で/わたしを抱きしめて
 ただふたりだけで/生きていたいの

という訳詞はたしか岩谷時子だった。
 しかし、フランス語の原詞はもっと激しく、「この愛のためにはわたしは祖国をも裏切る」とまで言い切るほどの「対幻想」が破格である(映画の字幕による)。

 ボクがエディット・ピアフにもっとも近いものを感じるのは、これは意外かも知れないが、現在美輪と名乗っている丸山明宏である。丸山の「シスター・ボーイ」と呼ばれ、性同一性障害(GID)などという言葉も、そのようなアイディンティティ障害も知られていなかった頃から、果敢に差別と戦ってきた氏は尊敬に値すると思う(とはいえ最近のスピリッチャル・カウンセラーまがいの発言、活躍はいかがなものか?)。きっと「ヨイトマケの歌」と言った底辺労働にテーマをとった歌は、ピアフの「放浪者」や、「寄港地」などと言った曲に近いのかも知れない。

 その美輪明宏のメッセージも映画館ホールには掲示があったが、ここでは以下のふたつを書き写してきたので紹介しておこう。夏木マリと加藤登紀子のこの映画に寄せたメッセージだ。美輪明宏のそれは、あまりに長くて書き写せなかった(笑)。氏のピアフ観の洞察力は素晴らしいものであったのだが……。

 「これで容易に貴女の歌が唄われることが少なくなるでしょう。私は少しホッとしています。これまで貴女の人生、そして歌は私たちの国では少々甘い伝説でした。唄うことが貴女自身だった。愛することが生きることだった47年の貴女の人生。今、素晴らしい貴女への賛歌が出来上がりましたよ。ピアフ様」(夏木マリ)

 「何という苛烈な人生だろう!たたきつけられる地面から/どんな時も燃え上がる炎、それがピアフの歌だ。」(加藤登紀子)

映画評価(★★★★)
※観客は圧倒的に中高年が多かったが、若い世代の表現者にもおすすめです。

越路吹雪「愛の賛歌」→http://www.youtube.com/watch?v=cbxGHJn4JH4
エディット・ピアフ「愛の賛歌」→http://www.youtube.com/watch?v=NjR5xFZxZK8
 
映画予告編→http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD11265/trailer.html
映画公式サイト→http://www.piaf.jp/