風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

「10・8ゲバラ没40周年記念フォーラム」に参加した

2007-10-08 23:59:39 | コラムなこむら返し
Guevara_day_01 報告が前後して申し訳ないが、8日午後池袋「Ecoとしま」で行われた『10・8ゲバラ没40周年記念フォーラム』に参加してきた。こちらの方の報告を先にアップさせていただく。
 この日は、40年前ゲバラがボリビア山中の高度2,000メートルの高地でボリビア政府軍に捕まった日で、明日9日が処刑された命日になる。
 この日、このフォーラムには最初から参加するつもりだったボクは、5日のイベントでも着用したゲバラTシャツをもちろん、着用していったのだが、ゲバラ・グッズを身に付けて参加したと言う参加者は他に見かけなかった。いかにボクのミーハー度が高いかと言う証拠かもしれないが、その格好に黒のベレー帽、サングラスまでかけて会場内でひとり浮いていた(笑)。でも、その格好でしっかり質問もしてきたので良しとしよう。

 この日の展開は、太田昌国さんの基調講演。「ゲバラと死後経過した40年という時」とでも名付けたい話。太田昌国さんは、自らが主宰する「現代企画室」で数多くのゲバラ関連本(映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」の原作本もここから翻訳出版され、のち角川文庫に入る)や、ラテンアメリカ関連の出版活動をしながら、みずからも執筆されるラテンアメリカのとりわけ革命情報に詳しい方で、ボクは講演を聞くのは2度目。以前は、おそらく10年前のゲバラ没後30周年の時の小さな小さな集会だったと思う(早稲田大学の近くで行われた)。

 もうひとりは富山栄子さん。「キューバから見た中南米情勢」というタイトルだったが、話が全然面白くない。マイクから口をはなして喋るからボソボソ言っているだけで、申し訳ないがまるで面白くもおかしくもない「授業」のような話だった。しかし、キューバが自国の経済的困窮にもかかわらず近隣諸国に無償の「医療援助」をしている事実を知ることができた。それだけではない、あのハリケーン「カテリーナ」が猛威をふるってニューオリンズが壊滅的な被害を受けた時、キューバは敵国アメリカに緊急医療援助を申し出ていたのだそうだ。経済封鎖をキューバに対して行っているアメリカが受け入れるはずもなかったが、このような「事実」は重要である。ましてアフロ・アメリカンが数多く住むアメリカ南部の被害に対するこのような人道主義的な申し出は、ハリケーンの「銀座」であるキューバが、みずからのクレオール性や歴史性によってアフロ・アメリカンのひとびととその共通するハリケーンという自然被害に対して人間的で自然な態度をとったということなのだろう。

 それぞれの話の後に、2~3人の質問の時間が設けられ、ボクは富山さんの講演のあとに質問に立ったが、内容的にお答えいただいたのは太田昌国さんだった。
 ボクの質問はこうだ。
 「富山さんの話にもあったキューバの先進的な医療技術は、その国民、人民に対して教育費とともに無償で提供されることが、保証されている。そのことによって識字率が日本とかわらなくなったキューバのこのような「理想主義」はいったいどこから生まれたのか?」
 富山「それは、むしろわたしより太田さんに答えてもらいましょうか?」
 で、太田さんの答えは、キューバが歴史的にもっていた搾取と、植民地本国(スペインからアメリカに移る)の収奪によるのではないかという話しだったように思う。
 ボクはそのお話に「これはボクひとりの考えに過ぎないかも知れませんが、それはチェ自身の理想だったのでははないでしょうか。もともと「軍医」だったチェは、敵のバティスタ軍の負傷した兵士も手当てをしたりして救護していました。そのような心優しい人間的な行為によって、わずか12名にまでなった革命軍は次第に味方を増やして行ったのではなかったでしょうか? それに、チェ自身、革命後のキューバの大臣職や要職を振りすてて「国境を越える革命」に転戦してゆく時、その有名なカストロへあてた「別れの手紙」に書き記していること。残してゆく妻子には充分なことは国家がしてくれるだろうというくだりにある国家にゆだねれば安心だと言うそのような機関作りだと考えていたことに由来するものではなかったのでしょうか?」と、発言する。
 そう、キューバの奇跡的な社会主義革命は、人民に奉仕するための「機関」作りとして革命政府が位置付けられていたのではないかという思いである。多く、ひとはカストロを独裁者のように思いたがるが、カストロはこのような理想主義的な革命政権を維持するためのシンボルなのではなかったのか?
 ゲバラもその大臣職にあった時、汚くて安いアパート暮らしをしていたように、おそらくカストロほど質素な暮らしをしている国家元首はいないはずだ。このあたりは確証もないが、理念や理想を語って倦むことがなく並外れたその情熱によってゲバラさえもキューバ遠征軍に加わらせたのは、ひとえに20世紀最大のプロパガンダ、詩のような演説をするフィデル・カストロそのひとだったからである。

 その質問のあと、休憩時間に見知らぬおばさまに「ゲバラのことをしっかり勉強なさってますね。」と、話し掛けられたので「ええ、つい最近「20分で分かるチェ・ゲバラ」というポエトリーを書きましたので、詳しいのです」と、ジョークとも、本気ともしれぬ答えをしましたが、きっと意味が分からなかったことでしょう。ごめんなさい。ちなみに「20分で分かるチェ・ゲバラ」というネーミングというか、コピーのような文言は、5日のE.G.P.P.100のゲバラをテーマとしたオープンマイクに参加してくれた北村幸生クンのmixi日記からもらったものです。北村クンは、この日のボクの半分以上即興のパフォーマンスについてそう評してくれたのでした。

 さいごは、キューバ音楽のクラブイベントを企画したりしてみずからもDJ活動をしている福田カズノブさんのキューバ音楽の歴史の話だ。貴重な音源が小さなカセットデッキからかけられる音楽として会場(他目的ホール)に流れる。音源のコレクションはさすがだ。かなわない。でも、チェ(ゲバラ)に関する音楽は貧相だった。今回、PAの面で言っても「クラブ・チェ」(5日のE.G.P.P.のこと)の方が、気持ち良さから言っても優っていたかも知れない。しかし、福田カズノブさんにはキューバ音楽についてはもっと教えを乞いたい。