風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

ワセダ・らんぶる

2007-10-16 00:08:35 | コラムなこむら返し
Wasada_ramble_0 歌舞伎町の「スカラ座」も、中野の「クラシック」も無くなった現在、かっての1950年代の「名曲喫茶」のたたずまいを残す店は数えるくらいになってしまったが、ここはなにかの事情があるのか、店を閉めて20年は経とうと言うのに外装だけは往時そのままに残っている。
 その外見は赤レンガを積み上げたような古色蒼然としたたたずまいで、それは営業している頃からそうだった。閉店して、長い時間が経つが、鞏固なレンガはそのままで、やや廃墟化しているとはいえ、小さな古城を思わす雰囲気でそのままである。
 おかげで、ボクの思い出も古色蒼然としてきたが、大学に行っていないボクが、こんな「学生街の喫茶店」をなぜ知っているかといえば、それはボクが60年代後半から、70年代はじめ早稲田に通っていたひとりの女性とつきあっていたからなのだ。
 そのため、ボクは大隈講堂も、演劇記念館も、彼女が通っていた政経学部の教室も知ることになるが、一番大きな意味を持ったのは、そのためか、当時、文学部の自治会を掌握していた中核派の白ヘルでもなく、革マルでもなく社青同解放派の青ヘルを被ってデモに参加したこともあるという思い出だろうか。
 彼女とこの「らんぶる」に、一緒に入ったのだったか、それとも違うひととだったのか、ともかくもこの学生街の名曲喫茶の前にたたずむと、40年近く昔のその頃の、思い出や苦い思いが走馬灯のように駆け抜けてゆくのであった。
 都の西北早稲田の杜に……ボクに縁のなかったこの校歌さえ、まるで我がことのように懐かしく思えるから不思議である。
 (早稲田大学は本年創立125周年記念で盛り上がっているようだが、当然卒業生でもない、言ってみればニセ学生のボクのところには何の通知もない。当たり前であるが……(笑))

 (写真3)外壁に残った文字のうすれかけた看板にかろうじて「らんぶる」の文字が読み取れる。