「新宿スカラ座」が閉店してもう丸5年が経とうとしている。新宿の名曲喫茶の老舗のひとつと言っていいだろう「スカラ座」(以下こう呼ぶ。映画館のことではなく、有名なクラシック喫茶の方です)は、惜しまれつつも2002年12月31日にその48年余の歴史を閉じた(その1年後西口の小田急エースの地下街に店舗を構えたが、重厚さも雰囲気もまるで違った店です)。
なぜ、こんなことを急に書く気になり古い写真を引っぱりだしてきたかと言うと、そう「ワセダ・らんぶる」を書いたせいなのである。急にこの手の名曲喫茶、クラシック喫茶が懐かしく思えてきたのだ。
はっきり言って音楽の趣味として、クラシック音楽の知識も素養も無縁である。クラシックの知識をたっぷり持った友人たちがいたにもかかわらずボクには、それらの字義通り「古典音楽」がカビくさくてダメだったのである。これもまた、今の若者にとってはカビくさく感じるのかも知れないモダーン・ジャズこそがリスナーとしてもボクには一番ピッタリくる音楽だった。
だが、ボクには不釣り合いであることを自覚しながらも、「名曲喫茶」という空間は結構好きなのだ。第一そこは素晴らしい読書室だ。珈琲が、60年代の味を残しておりおいしいところが多い。難があるとしたら、そう珈琲が高いところくらいだ(なにしろ吉野屋の牛丼どころか、普通の蕎麦屋のカツ丼に匹敵する)。
ところで、ボクらだけでなく現在、60代半ば過ぎ以上の世代のひとには身に覚えがあるだろうが、一食を我慢して珈琲を飲んだという思い出があるはずだ。
腹はちっともクチクならないにも関わらず、その一杯はこころが空腹を忘れるほど豊かになったものである。そして、そこに目当ての可愛いウェイトレスという少女がいればなおさらだったものだ(「メイド萌え」のはしりかも?)。
一般的にいえるかと思うが、「名曲喫茶」は「1950年代」の文化を反映している。「ジャズ喫茶」が「1960年代」の文化を反映するように、クラシック喫茶は戦前の「カフェ文化」を受け継ぎながら、レコードが高価だった時代に「こころの豊かさ」をつたえる稀有な空間だった。
(この稿つづく)
なぜ、こんなことを急に書く気になり古い写真を引っぱりだしてきたかと言うと、そう「ワセダ・らんぶる」を書いたせいなのである。急にこの手の名曲喫茶、クラシック喫茶が懐かしく思えてきたのだ。
はっきり言って音楽の趣味として、クラシック音楽の知識も素養も無縁である。クラシックの知識をたっぷり持った友人たちがいたにもかかわらずボクには、それらの字義通り「古典音楽」がカビくさくてダメだったのである。これもまた、今の若者にとってはカビくさく感じるのかも知れないモダーン・ジャズこそがリスナーとしてもボクには一番ピッタリくる音楽だった。
だが、ボクには不釣り合いであることを自覚しながらも、「名曲喫茶」という空間は結構好きなのだ。第一そこは素晴らしい読書室だ。珈琲が、60年代の味を残しておりおいしいところが多い。難があるとしたら、そう珈琲が高いところくらいだ(なにしろ吉野屋の牛丼どころか、普通の蕎麦屋のカツ丼に匹敵する)。
ところで、ボクらだけでなく現在、60代半ば過ぎ以上の世代のひとには身に覚えがあるだろうが、一食を我慢して珈琲を飲んだという思い出があるはずだ。
腹はちっともクチクならないにも関わらず、その一杯はこころが空腹を忘れるほど豊かになったものである。そして、そこに目当ての可愛いウェイトレスという少女がいればなおさらだったものだ(「メイド萌え」のはしりかも?)。
一般的にいえるかと思うが、「名曲喫茶」は「1950年代」の文化を反映している。「ジャズ喫茶」が「1960年代」の文化を反映するように、クラシック喫茶は戦前の「カフェ文化」を受け継ぎながら、レコードが高価だった時代に「こころの豊かさ」をつたえる稀有な空間だった。
(この稿つづく)