goo

■ 朝霞五社巡り

現在、新型コロナウイルス感染急拡大により、不要不急の外出の自粛が要請されています。
また、寺社様によっては御朱印授与を中止される可能性があります。
以上、ご留意をお願いします。


------------------------


埼玉県朝霞市の御朱印といえば、出雲大社埼玉分院が有名ですが、一昨年(2019年)?あたりから「朝霞五社巡り」が開創され、市内五社の御朱印が授与されています。

この五社にはこちらでご紹介した美女神社も含まれています。
五社は新河岸川をはさむかたちで鎮座し、武蔵野台地と新河岸川沿いの低湿地を行き来するルートとなるので、地勢的にも面白い神社巡りだと思います。

5社とは、宮戸神社、内間木神社、田島神明神社、美女神社、天明稲荷神社です。
5社の内4社は非常駐で、御朱印はまとめて天明稲荷神社で拝受できます。
5社すべてお参りすると、満願札も授与いただけます。
お納めは以前は1通300円でしたが、現在は500円となっています。
5社で2,500円ですが、書置タイプはすこぶる美しく、また満願札も授与いただけ、わたしの満願時にはお守り(大麻)もいただけたので、個人的には満足の神社巡りでした。

なお、令和三年正月も「朝霞五社巡り」の御朱印は授与されていますが、新型コロナウイルス感染拡大により書置対応のみとのことです。










天明稲荷神社は、東武東上線「朝霞台」駅・JR武蔵野線「北朝霞」駅から歩ける距離です。(約20分)
徒歩で5社をゆっくり回ると2~3時間程度の所要かと思います。

車の場合は、天明稲荷神社に3台ほどのPがあり、ここから一番遠い内間木神社にも大きめのPがあります。
宮戸神社、田島神明神社には駐車スペースがありますが、美女神社にはPも駐車スペースもありません。
ご祈祷等によりPが満車となる可能性もありますので、天明稲荷神社様(TEL:048-471-3401)に事前確認がベターかと。

車の場合、短時間で結願してしまいますので、先日ご紹介した平林寺と組み合わせての寺社巡り&御朱印三昧も面白いかと思います。
なお、平林寺の御朱印は団体が入ると切れてしまう可能性があるので、AM平林寺、PM朝霞五社巡りがベターかと思います。(なお、平林寺は11月〜翌1月の期間中(混雑期)は、御朱印の授与はありません。)

今回、歩いて巡拝しましたので、途中の風景なども撮影しています。
まずは概要のみ先にUPし、詳細は追って追加していきます。

-----------------------------------------------------

1.宮戸神社(みやどじんじゃ)

埼玉県朝霞市宮戸4-3-1
御祭神:面足尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、稲倉魂命、高良玉垂姫命
旧社格:村社 旧宮戸村鎮守
元別当:薬王山 仏眼院 寶(法)蔵寺(朝霞市宮戸)
授与所:天明稲荷神社社務所
朱印揮毫:宮戸神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫の足あと」様




【写真 上(左)】 現在の書置御朱印
【写真 下(右)】 以前の揮毫御朱印

社伝および「猫の足あと」様の情報によると、中世に熊野信仰が高まった際に熊野社として創建したという説があり、公式Webには「古くは熊野権現様として親しまれ」と明記されています。
当社で祀られている伊弉諾尊・伊弉冉尊は熊野信仰の中心的な祭神で、熊野社説を裏付けるものとみられます。

面足尊は、『古事記』において神世七代の第六代の神とされ、人体の完備を神格化した神格とされます。
とくに、「オモダル」は「男子の顔つきが満ち足りていること」の意も含むとされ、言葉をくだくと”イケメン”の神様です。
朝霞五社巡りには、美女神社も入っていますので、イケメンと美女にゆかりのある神社を回ることになり、実際、天明稲荷神社では「美男守」「美女守」が頒布されています。

面足尊は、中世には神仏習合により第六天魔王の垂迹であるとされ、とくに修験道で信奉されました。志木町宗岡村字袋鎮座の天津神社を移転された際、その御祭神として遷座されたとされています。

明治四十年、神社合祀令により浜崎の氷川神社に田島の神明神社とともに三柱神社として合祀されましたが三柱神社の遥拝所として存続。
地元の強い要望により、昭和十七年、志木町宗岡村字袋鎮座の天津神社を移転して天津神社となり、翌十八年、宗岡村字下ノ谷鎮座の稲荷神社を合祀して宮戸神社と改称しました。
他地の御祭神、とくに氏神様の御遷座は容易ではないと思われますが、『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』にはこの時の経緯が詳細に記されているので以下に引用させていただきます。

(引用)-----------------------------
折しも隣村の宗岡村の字袋と字下ノ谷では、いずれも狭隘な境内を持つ無格社を祀っていたために合祀の対象となり、その回避策として今よりも広い境内地への移転が検討されていた。
大字宮戸と字袋・字下ノ谷の三者の利害の一致がその後の協議を円滑に進めていくことになった。
昭和十七年に宗岡村字袋の天津神社を大字宮戸の三柱神社遥拝所の地に迎え、翌十八年には宗岡村字下ノ谷の稲荷神社を天津神社に合祀したのを機に社号を宮戸神社に改め、村社に列した。
大字宮戸は三柱神社の氏子であったため、この移転及び合祀に関しては浜崎の人たちの合意を得る必要があった。
浜崎に対して、宮戸では宮戸神社を崇敬すると共に三柱神社も従来通り氏神として崇敬していく旨の協定を結び、移転願いに連署を求めた。
また、字袋と字下ノ谷とは、従来通りの形で氏子として存続していくことを約した。
(引用おわり)-----------------------------

昭和三十一年、浜崎の三柱神社より旧熊野権現社の御祭神を返還のうえ、宮戸神社に合祀しています。
『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』には、この際、宮戸地内から御遷座の駒形(高麗方)神社は本殿に、元別当の法藏寺の旧地薬師堂山に祀られていた日王子神社・白山神社、および稲荷神社などが境内に合祀されたとあります。

駒形(高麗方)神社の御祭神、高良玉垂姫命は福岡県久留米市の高良大社(旧国幣大社)の御祭神で、埼玉でも数社ある駒形神社で祀られていますが、北九州の御祭神がなぜ埼玉で祀られているのかはナゾとされているようです。(→参考Web


浜崎氷川神社

現在の五柱の御祭神について、公式Webには下記の記載があります。
「御祭神は面足尊(旧天津神社祭神)、イザナギノミコト・イザナミノミコト(旧熊野神社祭神)、稲倉魂命(旧稲荷神社祭神)、高良玉垂姫命(旧高麗方神社祭神)」

朝霞五社巡りでは、宮戸神社が本務社で他の4社は兼務社にあたります。
ご神職は、兼務社の天明稲荷神社に常駐されているため、御朱印等は天明稲荷神社での授与となっています。

朝霞台の台地から下ってくる宮戸橋通りが新河岸川に差しかかる手前の、小高いところに御鎮座。いかにも神社的な立地です。

社頭に石造明神鳥居と「村社 宮戸神社」の社号標。
切割り状の参道石段。石段上の玉垣内にわかりにくいですが一対の狛犬。
右手に御神木、左手に大山阿夫利講の石尊大権現の石塔と力石。
少し進んで右手に手水舎、前方に石灯籠一対、狛犬一対。

入母屋造平入り銅板葺の拝殿と流造銅板葺の本殿を石の間(幣殿)で結ぶ権現造系のつくりだと思います。屋根勾配は急で、引き締まった感じの外観です。
どちらも妻部には鬼板と懸魚を置いています。
拝殿は流れ向拝で海老虹梁。海老虹梁と頭貫の端部に簡素な木鼻。
正面桟唐戸の上に社号「宮戸神社」の扁額。手挟に唐花文様の彫刻。軒天には二軒の平行垂木。

拝殿右手には手前から神明神社、御嶽神社、日王子神社、白山神社、天満宮、水神社、弁天神社、護国神社。本殿裏手には、新田組稲荷神社、宿組稲荷神社、久保組稲荷神社などの稲荷神社が境内社として鎮座しています。

昭和三十一年の本格再興ながら、いまでは地域の中核社らしく、多くの境内社を擁しています。


【写真 上(左)】 巡拝途中の風景
【写真 下(右)】 新河岸川

2.内間木神社(うちまきじんじゃ)

埼玉県朝霞市上内間木443
御祭神:日本武尊
旧社格:村社 上内間木地区の鎮守
授与所:天明稲荷神社社務所
朱印揮毫:内間木神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫のあしあと」様




【写真 上(左)】 現在の書置御朱印
【写真 下(右)】 以前の揮毫御朱印

社伝および「猫の足あと」様の情報によると、内間木村が上下に分村した元禄年間(1688-1704年)以降に、本村(下内間木)の蔵王権現社を分祀し重殿権現社(じゅうどのごんげんしゃ)として創建したという説があります。
明治四十年、上内間木字屋敷添の稲荷社と字厩尻の厳島社を境内社として合祀しました。

蔵王権現は、とくに修験道で尊崇された尊格で、大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊、金山毘古命などと同一視され、古来、蔵王権現を祀る神社で上記の神を祭神とした事例は多くみられます。
当社もその例に当たる可能性があるかもしれません。

上内間木は荒川と新河岸川に挟まれた低湿地帯で、とくに寛永六年(1629年)に旧入間川が荒川の本流となり流量が増えた後は、度々水害に見舞われたといいます。
前稿で「反面、豊かな水と平坦な地形を活かして、新田開発が盛んに進められました。」と書きました。
ただし、これは宝永四年(1707年)検地の石高の大幅増から推測されるもので、少なくとも天正十九年(1591年)までは大きな石高の増加(=新田の開発)はなかったとみられています。
『風土記稿』には「当地は低湿地のために度々水害に遭い、水田を開くことができず、自然堤防上を利用して畑作を行っていた。」とあるようです。(出典:『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』)


【写真 上(左)】 (下内間木村)氷川神社
【写真 下(右)】 いまも湿地が広がる下内間木の川沿い

旧内間木村はもともとは下内間木村が本村で、上内間木村は分村とされています。
下内間木村の鎮守は氷川神社で、『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』の(下内間木村)氷川神社の項を引いてみると、
「恐らく(村の)開発当初は、自然堤防上に集落と畑がわずかに存在していたと思われる。」
「当地は三面が川に囲まれてはいるが水利の便が悪く、水害や干ばつに苦しむ状態が長く続いた。」という記述があります。
『風土記稿』の「水田を開くことができず」というのは、水利の便が悪いためであったと考えられます。

「川に囲まれた低湿の地だから水利には困らないだろう」というのは素人考えで、大河川や暴れ川から水を取り込むことは容易でなかったのでは。
そういえば隣の志木市の宗岡地区も三方を川に囲まれた低湿の地ですが、やはり水利が悪かったらしく、野火止用水を新河岸川の上を渡して(いろは樋)導水しています。
川の上をわざわざ掛け樋して用水を引いていたわけで、川からの直接導水のむずかしさがうかがわれます。

それほどの厳しい土地柄ゆえ、風雨順時や水害防除はなにを置いても重視されたと思われます。
『古事記』には、日本武尊は山や河の荒ぶる神を平定したとあるので、水害除けがなによりも大切なこの地の祭神として祀られたのかもしれません。 

旧社殿には朝霞市の文化財に指定されている大絵馬が飾られていましたが、現在は朝霞市の博物館に保管されています。

なお、当社のすぐそばにある(安養院)阿弥陀堂は志木の宝幢寺(志木市柏町/真言宗智山派)の末で、本尊は阿弥陀如来。
北足立八十八ヶ所霊場第85番の札所に当たります。
位置関係からみて当社の元別当かとも思いましたが、関連する史料は見当たりませんでした。

通行量の多い県道に面した社頭に、社号「鎮守 内間木神社」の社号標。
ここから長々と敷石の参道が延びています。
しばらく行くと一の鳥居は石造明神鳥居で「内間木神社」の扁額。この鳥居の真下で参道軸を斜めに変え、拝殿に向かいます。
拝殿前、石段下に二の鳥居の石造明神鳥居。昇って石灯籠二対。

入母屋造平入り銅板葺の拝殿と流造銅板葺の本殿を石の間(幣殿)で結ぶ権現造系のつくり。石の間(幣殿)の奥行きが短く入母屋造と流造がつながった感じです。
拝殿と本殿妻部に鬼板と蕪懸魚、本殿屋根には千木と堅魚木を置いています。

青銅色の屋根、朱塗りの木部に重厚な唐破風が加わって華やかなイメージの社殿。
頭貫に彫刻された木鼻、中備に板蟇股、正面黒檀色の桟唐戸(閉扉)のうえに「内間木神社」の扁額。

拝殿右手前には弁天神社と稲荷神社。弁天神社は字厩尻の厳島社、稲荷神社は字屋敷添の稲荷社からの御遷座とみられます。
ともに入母屋造平入りで、弁天神社の黒茶色の屋根と稲荷神社の朱色の屋根がいいコントラストをみせています。

拝殿下に広めの駐車場が新設されています。

3.田島神明神社(たじましんめいじんじゃ)

埼玉県朝霞市田島224
御祭神:天照皇大神、面足尊
旧社格:村社 田島地区の鎮守
元別当:冨善寺(朝霞市田島)
授与所:天明稲荷神社社務所
朱印揮毫:神明神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫のあしあと」様




【写真 上(左)】 現在の書置御朱印
【写真 下(右)】 以前の揮毫御朱印

社伝および「猫の足あと」様の情報によると、当社の元別当、富善寺の開基(元和三年(1617年)と同時期の創建と推定されています。

もともとは久保(現在の朝志ヶ丘)に神明社として鎮座し、この地に御遷座。(久保の住民もともに移住という説あり。)

明治四十年、神社合祀令により浜崎の氷川神社に宮戸の熊野神社とともに三柱神社として合祀されましたが三柱神社の遥拝所として存続。
鎮守を浜崎に遷された田島の住民は、宮戸の熊野神社同様、志木町宗岡村字袋の天津神社の御分霊をこの地に勧請し神社として再興。
さらにもともとの鎮守の御祭神の返還を切望していましたが、昭和三十一年についに返還を果たし、名実共に再興を遂げました。

田島地区は、新河岸川と黒目川の合流地点にある低湿地で、しばしば水害を被りました。
高台にある浜崎とは水害に対する危機感がまったく違っていたと思います。
元別当の冨善寺も低地にあるので、江戸期は神社・別当の総力をあげて水害に対処していたことも想像されます。
水害からの加護の意味も含め、どうしても地区内に鎮守を祀りたかった思いがうかがわれます。

以上の由緒から、天照皇大神はもともとの鎮守・神明神社の御祭神、面足尊は宗岡村字袋の天津神社からの御分霊ということがわかります。(境内由緒書にも明記)

朝霞田島団地の新河岸川寄りにあります。
すぐ北隣は新河岸川の旧河道と思われる池(三日月湖?)もあり、古来からの低湿の地であることがわかります。

団地側の社頭に石の門柱、そこから鳥居に向かって石敷きの参道が延びています。
石造の神明鳥居で「神明神社」の扁額。
灯籠、狛犬は置かれず、見通しのよいシンプルな参道。

拝殿は身舎桁行三間の神明造平入りでおそらく銅板葺。
ただし、向背に石の間(幣殿)と切妻造ないし流造の本殿があるので、正確には神明造ではないかもしれません。
拝殿、本殿ともに立派な金色の千木と堅魚木を備えています。
張り出しの向拝はなく、桟唐戸上部格子、下部入子板(閉扉)で、拝殿内部はうかがえません。 拝みに横文字で「神明神社」の扁額。

拝殿右手には水神宮の石碑。左手奥には秋葉神社、八坂神社、御嶽神社、榛名神社が鎮座する社殿。
その手前には赤い鳥居の稲荷神社。
飛地境内社として五社巡りの1社、美女神社があります。

4.美女神社(びじょじんじゃ)

埼玉県朝霞市田島2-16-33
御祭神:市杵島姫命
旧社格:- 、田島神明神社の飛地境内社
元別当:冨善寺(朝霞市田島)
授与所:天明稲荷神社社務所
朱印揮毫:美女神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫のあしあと」様




美女神社の御朱印(新/カラー書置Vers.)

 
【写真 上(左)】 美女神社の御朱印(新/御朱印帳書入Vers.)
【写真 下(右)】 美女神社の御朱印(旧Vers.)

美女神社につきましては、別記事→こちらをご覧ください。

5.天明稲荷神社(てんめいいなりじんじゃ)

埼玉県朝霞市宮戸3-2-17
御祭神:大祖参神、天照大御神、月夜見神、彦火邇邇杵命、木花開耶姫命、宇迦御魂神
授与所:社務所
朱印揮毫:天明稲荷神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫のあしあと」様




【写真 上(左)】 現在の書置御朱印
【写真 下(右)】 以前の揮毫御朱印

もとは柳澤清五郎の座敷神。由緒につきましては、公式Webをご覧ください。
御祭神の創祀については、よくわかりません。
大祖参神は、扶桑教(富士講系の教派神道の一派)では、天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神(造化三神)の総称とされるようです。

宮戸地区の高台に鎮座します。新河岸川からは直線距離で300mほどしかないのに、このあたりではもっとも高い場所かと思われます。
あたりは住宅が建て込み、アプローチの道も狭いですが、3台程度の駐車場があります。

社頭の石造の明神鳥居の奥には赤い鳥居が立ち並び、お狐さんの姿も見えて稲荷神社の空気感。
境内は広くはなく、屋敷神的な雰囲気を残しています。
参道わきにはたくさんのお狐さん。手水舎の水もお狐さんの口から出てきます。
拝殿前の石鳥居に「神明稲荷社」の扁額。

拝殿は新しく、流造銅板葺。海老虹梁、水引虹梁と木鼻に彫刻、中備に板蟇股。
身舎長押にも彫刻が施されています。
正面扉は一部格子窓なので、拝殿内部を拝せます。

御朱印は5社まとめて拝殿右手の授与所で拝受できます。
こちらは4回ほど御朱印を拝受していますが、ご対応いただいた方はいずれもご丁寧で親切でした。

授与所前には五社巡りの案内が掲示され、五社いずれの境内にも五社巡りの案内版が新設されていました。
このところ美女神社の参拝者が増えているようで、五社巡りにも力を入れられているようです。

ロケーションも御祭神も社殿もバラエティに富んでいて、充実の神社巡りをさせていただきました。
御朱印もすこぶる美しく、話題の美女神社も含むので、一度はトライされてはいかがでしょうか。

参考までに、これまでに朝霞市内で拝受した寺社御朱印もご紹介しようかと思いましたが、新型コロナウイルス感染急拡大の状況で、御朱印授与を中止されている可能性も高いので、今回は控えます。(出雲大社朝霞教会のみご紹介します。)

※朝霞市内の寺社では当初の予想以上に御朱印を拝受しています。
ただし市内にメジャー霊場の札所はなく、御朱印を拝受した寺社の多くはご不在再参拝ののち、御朱印帳をお預けしてご厚意で授与いただいたところがほとんどで、通常は授与されていない可能性もあると思います。

■ 出雲大社朝霞教会
公式Web
朝霞市本町2-20-18
御祭神:大国主大神
授与所:境内授与所


【写真 上(左)】 現在の境内
【写真 下(右)】 以前の境内


【写真 上(左)】 赤口の限定御朱印
【写真 下(右)】 以前の御朱印

絵御朱印・カラー御朱印マニアのあいだでは有名な神社です。
社伝(公式Web)によると、「当初、荒船神社として創建し、昭和五十八年には宗祠(出雲大社)よりご分霊をいただいて以来、埼玉県唯一の出雲大社として大国主大神をお祀りして参りました。」とのことです。
真新しい社殿の正面にかかる、全長約5mの大しめ縄は圧巻です。
以前は墨朱の片面御朱印も授与されていましたが、現在は両面のカラー絵御朱印がメインに授与されているようです。赤口の日には限定御朱印が授与されます。

なお、令和三年1月の御朱印頒布は1/12(火)からとのことです。(→詳細(公式Web)

■ 志木開運・招福七社参りもあります。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ■ 跳ね曲15曲 ■ 24年ぶり ス... »