目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

山登りの第1歩、第2歩

2011-10-26 | 山雑記

なぜ山登りを始めたのか。

山登り自体は始めるのは遅く、28歳からだ。きっかけは、屋久島に行って縄文杉を見てしまったこと、これに尽きる。このバカでかい巨大な魔物のような杉を見るために、山の中を這いずり回り、ようやっとその巨躯に手をかけたのだ。

当時はまだ縄文杉は知っているけれど、見に行こうという人は少なかった。何せたどりつくまでのロングウォークを考えると、皆腰が引けたからだ。それにまだ世界自然遺産にも登録されていなかった。だから、今のように大勢が押しかけて環境破壊とまではいたらず、その巨躯に触れることができたギリギリの時期であった。

トロッコ道をバリバリ歩いて、苔むした湿気の多いぬかるみの道を、四輪駆動(両手両足フル活用)で登高していった。若かったせいもあって、それほど時間もかからなかったし、疲れ知らずだった。たまたまその日に泊まった民宿には、山好きの人やヤマケイの編集者が泊まっていて、山の話題で盛り上がっていた。

私を指して、そんなに早く歩けるなら、宮之浦岳の山頂まで行けただろうにとか、もったいぶらずにいよいよ山デビューか!とかおだてられ、私もその気になっていった。さらにこのときの山談義はつづき、北アルプスの野口五郎岳でやたら背の低いおばちゃんたちのパーティがやってくると思ったら、ニホンザルの群れだったという話に腹を抱えて笑ったのを覚えている。楽しくて、なおかつ自然の美しさ、心地よさを自分の力で体験できるなんて、こんな面白いことはないんじゃないかと、この頃思い始めていた。

東京に帰って、しばらくすると、東京でいちばん高い山、雲取山に猛烈に行きたくなった。思い立ったが吉日で、即実行。この山がよかったからだろうか、それから奥多摩通いが始まった。まさに山登りにハマッた瞬間だ。毎週のように早朝車を駆って奥多摩へ行くようになった。そして昼ごろにはアパートに戻って、近所の喫茶店でくつろぐという贅沢な過ごし方が病みつきになる。さらに登山熱は高じて、山岳会に入り、山の神と知り合うことになった。

山の神は屋久島には行ってないというから、次に島を訪れるときには、宮之浦岳登頂計画を携えてだねえ。

コメント
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