目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

巻機山Part1~ヌクビ沢コース

2011-10-22 | 山行~信越

割引(わりめき)岳 標高 1930.9m 巻機山最高点 1967m 牛ヶ岳 1961.6m ニセ巻機山(前巻機山) 1861m  新潟・群馬県

2001年10月6日(土)~10月7日(日) 6日 晴れ 7日 曇り(ガス)時々晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 10月6日 16:30巻機山キャンプ場 
10月7日 6:40登山口6:45--7:38割引沢出合から右ルート入った地点7:50--8:33ヌクビ沢8:38--9:20ヌクビ沢渡渉地点9:30--10:15ヌクビ沢上部10:25--11:00稜線--11:10割引岳(昼食)12:00--12:20巻機山 御機屋(おはたや)12:30--最高点通過--12:50朝日岳縦走路分岐(荷物デポ)--13:00牛ヶ岳--13:15朝日岳縦走路分岐13:25--13:43避難小屋13:55--14:06ニセ巻機山(前巻機山)--14:40休憩14:55--15:50焼松(5合目)16:00--16:40登山口

6日はテント場までの移動日で、9:30頃都内を出発した。かなりののんびりモードだ。でも3連休初日だから、関越は混雑していた。13:00頃、赤城高原SAで昼食と思い、レストランを覗くと長蛇の列。すぐにきびすを返した。やめ、やめ。外の屋台でお好み焼きとかホットドッグなんかを買ってすぐさまパクつく。

16:30清水着。ちょっと遅すぎか。秋の日はつるべ落とし。巻機山キャンプ場にテントを張っていると、あっという間に日が傾く。周囲を見渡すとテント場は人であふれかえっている。まもなく係のおじさんがやってきて集金していく。当時で駐車代、テント1張り2人で、しめて¥1,700だった。

翌7日は、5:10に起床。6:25テント撤収して登山口の駐車場へ移動するも、もうすでに大量の車が駐車していた。さすがは3連休の百名山。

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割引沢出合から右へ進路をとる

6:45登山口のポストに登山届を出して、さあ出発。どこから湧いてきたのか、人だらけだ。天気は今イチで、ガスが湧いてきている。割引(わりめき)沢出合から右へ進路をとると、前方の谷筋の視界は真っ白いガスでさえぎられていた。

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ヌクビ沢をつめていく

この山行は自分の中ではかなりハードだった印象がある。上の写真のようなつるんとした岩が延々とつづく。登山道らしき登山道はほとんどなく、この沢をひたすら登っていく。足場は悪く、気を使う上りの連続だ。しかも鎖場もあって手もフルに使わなければならない場所も多いから、まさに四輪駆動(4WD)状態となって進む。4WDは、やはりガソリンをくうわけで、消耗度もあがるというもんだ。山の神も私も無口になり、もくもくと前進する。

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行者の滝(たぶん)。右側に登山道がついている

足元に気を使うせいで下ばかり見て歩く。たまに頭を上げると、登山者の群れが前方に連なって見える。紅葉の季節でもあるから、とにかく人が多い。

ヌクビ沢に苦しめられて、稜線上にあがったのは11:00。そこからほどなくして割引(わりめき)岳山頂に着いた。修験者が祠にお参りをしていた。祠の前にほら貝を置いている。

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左:割引岳山頂。修験者が祠にお参り 右:山の神と私。くたくたになって記念撮影

山頂からの展望はガスっていたが、まずまず。天狗岩や切り立った稜線が紅葉で赤く色づき、またそれとコントラストをなす笹の緑が美しい。景色を堪能し、山頂でお弁当を広げた。

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4点とも割引岳山頂より撮影

巻機山の魅力は、沢登りと稜線に上がってからの壮大な景色にある。この後、御機屋(おはたや)から最高地点を通過し牛ヶ岳に移動していくのだが、この間の景観はすばらしかった。この稜線は、たおやかな山容が眼前に広がり、心をなごませてくれる。ましてや紅葉しているからまさに絶景。この上ない幸せな気分にさせてくれる。

Part2へつづく  

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西駒山荘がなぜできたか~『聖職の碑』

2011-10-17 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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本をめくると、木曽駒の地図が出てくる。登山道が点線で描かれ、その点線上に、あるいはそこからはずれたところに名前が書かれ、「生存」「死亡」と付されている。『新装版 聖職の碑(いしぶみ)』は、いわゆる新田次郎による山岳遭難小説なのだが、事実に肉薄するべく、資料を渉猟し、関係者に話を聞き、徹底的にその時の状況を再現しようと試みている。その努力の跡は、巻末の取材記に詳しい。

最近の遭難であれば、何となく新聞やネットで見たり、読んだりしているわけだが、この遭難は、なんと大正2年。ただこの遭難事故は西駒山荘近くに遭難碑があるということで知っていたが、その内容はまったく知らなかった。

登山がまだ一般的ではなかったこの時代に、教育の一環として、木曽駒(舞台となる伊那では西駒と呼んでいる)に登るということにまずコトの発端がある。信州だから教育にとりいれるのはごく自然なのだろうが、なぜ山中で泊まらなければならないのか。日帰りであれば、そのまま下山して事なきをえたはずだ。

それよりも事故の最大にして唯一(?)ともいえる原因は、気象情報の欠如にある。この時代には富士山レーダーはない(今も時代遅れになってもうないが)。気象衛星ももちろんない。各地の気象観測データから天気図をつくり予報を出していたのだ。遭難時の予報は、くもりで午後にわか雨というものだった。出発時に青空が覗いていたこともあり、決行となる。でも台風が接近していたんだね。台風の予報ができないというのは、致命的だ。知っていればまず山には行かない。

それに加えて2番目の恐ろしき原因。それは泊まる予定だった伊那小屋(現在はない)が崩壊していたこと。前年の学校登山では老朽化がかなり目立っていたらしいが、このときには1/3の壁が壊れ、直前に登った人により、暖をとるために燃やされていた。

予算の問題で、前年までつけていた案内人もたてていなかったから、そんなことになっているとはつゆ知らず、また登山道や小屋がどうなっているか下見もしていなかったというから、行って仰天したことだろう。風雨が強くなり、移動もままならず、小屋を修復することになる。応急処置をした小屋では、夏とは言え、高地であるから冬のような気温のなか、1畳のスペースに5人が肩を寄せ合う。しかも仮ごしらえの天井からは雨漏りがひどく、体が濡れる。その過酷な状況で、まず生徒1人がおそらくは低体温症で逝ってしまう。

それがトリガーになる。皆その二の舞になることを恐れ、我先に小屋を出て、下山へと向かう。天井に敷かれていた、着茣蓙(きござ)は、早い者勝ちで引き剥がされる。強風にとばされてしまった着茣蓙もあるから、はおるものなく、外を歩かなければならない少年も出た。これが生死を分けたともいえる。寒さは体を衰弱させ、容赦なく体力を奪う。

遭難の状況は恐ろしいほどに克明に書かれている。その描写は真に迫っていて、情景が目に浮かんでしまう。かたやこの重大事を引き起こしてしまった校長赤羽長重の困惑と絶望感がひしひしと伝わってくる。

遭難時の息つくまもないドラマが終わるのもつかの間、今度は遭難後の人間関係のドロドロが描かれる。生還した子をもつ親と、遭難して亡くなった子をもつ親とでは、天と地ほどの激しい落差が生じた。赤羽校長の妻や、生還した先生方・青年団の若者は責められる。いつまでも村人たちの感情にこの遭難事件は影を落とし続けた。

あまりにも悲惨で暗い話なのだが、最後に救われるのは、遭難の碑(実際には記念碑)が建立され、赤羽校長の遺志を継いで学校登山が継続されたこと、そして伊那小屋に代わる西駒山荘が建てられたことだ。遭難から得た教訓、そして学校登山の意義は今日も生きていて、継承されているのだ。

新装版 聖職の碑 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社
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会津の静かな山 大嵐山・湯ノ倉山

2011-10-13 | 山行~東北

000img_5376_4大嵐(おおあれ)山 標高 1635.4m 湯ノ倉山 1343m 福島県

2011年10月9日(日) 晴れときどき曇り 

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:20湯の花温泉駐車場9:30--9:45林道終点--10:25沢沿いの道休憩10:35--11:25尾根取り付き--11:45山頂直下11:50--11:55大嵐山(昼食)12:35--13:40湯ノ倉山13:50--14:55駐車場

先日新宿L-Breathで購入した日帰り用のkarrimor30?ザックを下ろした(写真右上)。新品は気持ちがいい。

それはさておき、せっかくの3連休。家にいる手はないと地図を見ながら、どこへ行こうかと、あれこれ考えてみた。帰りは渋滞にはまりたくないので、テント泊で翌朝帰宅。近すぎず、遠すぎず、登山者少なめ、できれば紅葉も見られるといいなと、条件がどんどん増え(年とるとどんどん贅沢になるのだ)、上州あたりか、会津かと。上州は翌週関越でそっち方面に遊びに行くしなと思考をめぐらし、結果行き先は会津に決定した。会津でも東北道からなるべく近いところで、荒海(あらかい)山か大嵐山あたりにすれば、行きやすいし人も少なめだろうとにらんだ。

山の神にこの二者択一を提示してみると、大「嵐」山に目が集中していた。……。

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左:湯の花温泉の観光案内板からすぐにある駐車スペース 右:林道終点の駐車スペース

5:00近く家を出る。出遅れ感があるが、ガソリンは満タン。すぐに首都高にのり、東北道を目指す。交通量はすでに多めで、休まずに先へ先へと進む。西那須野塩原ICで下り、塩原温泉への坂道に入る(道の駅湯の香しおばらの)直前の交差点でセブンイレブンに入り、買出し。そこからはほとんど信号がないので、だいぶ時間を節約できる。

湯の花温泉には9:00前に到着した。しかし、登山口がわからず、ぐるぐる辺りを巡っていた。地図の南北を逆に見ていたのだ。車を北に走らせているつもりでいたのだが、南に向かっていて反対側の路地に入っていっては、あれれ、とやっていた。登山口には永遠にたどりつけないわな。

湯の花温泉の観光案内板で間違いに気づいたときには、時計は9:20になっていた。正しき道を上がっていこうとすると、今度は入り口がかなり狭くて急だった。上がっていって立ち往生だけはいやだと、湯の花温泉に車を置いて出発とあいなった。しかし、狭くて急なのはそこだけで、ちょっと上るともう道幅は広いし、林道の終点も、5台くらいは優に停められるであろうスペースがあった。

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左:暗い沢沿いの道を登っていく(湯ノ倉山分岐付近) 右:シダ地帯をいく山の神

登山口から鬱蒼とした樹林帯の中に分け入っていくと、すぐに沢沿いの道になる。薄暗い道を延々と登ることになる。しかも登山者が少ないせいか、あるいはこの間の台風のせいもあるのだろうが、荒れた道だ。

湯ノ倉山分岐からしばらく登ったところで、小休止をとる。頭上を見上げると、サワグルミの高木の葉陰を行ったり来たりする小鳥がかまびすしくさえずっている。

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尾根筋から下界を見下ろすと、紅葉が始まっていた

沢沿いの急な上りをつき進んでいくと、そのうち沢から離れ、ブナの明るい林に出る。でも急な上りは続く。まるでトレーニングコースだ。それで訪れる人も少ないのだろうか。

尾根筋に出ると、紅葉が目に飛び込んできた。なかなかの目の保養になる。ただ遠くの山々はだいぶかすんできている。

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左2点:大嵐山山頂の碑 右:山頂から七ガ岳をみる

11:55山頂に到着した。単独行の男性が一人昼食をとっていた。この山は本当に人が少ない。すれ違ったのは、この男性と、山頂手前で年配の単独行おじさん、そして下山時に男性2人組だけだった。

山頂でセブンイレブンごはんを食べていると、雲が上空を覆いはじめ、日がかげってきた。日差しがなくなると、急劇に冷える。

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赤と黄色に染め上げられた葉を見ると、秋本番を感じる

12:35下山開始。湯ノ倉山への分岐からほぼ横移動となる。歩いていくと、巨大な真っ黒い糞が登山道に落ちていた。人間さまのように棒状になっている。こりゃあ、やばいな。いるな。でかい熊が。しかも足跡もあった。熊鈴を盛大に鳴らしながら移動する。その後小さめの熊糞も発見した。人が少ない分、熊も自由に行動しているのだろう。

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左:樹木が刈り払われていた湯ノ倉山山頂 右:湯ノ倉山からみた三角形の大嵐山

13:40急な上りを踏破して、湯ノ倉山山頂に到着。熊に遭遇することなく無事に山頂を踏む。樹間からは三角形の大嵐山が見えた。あの形だからこそ、急峻な登りの連続だったのだ。

ここから沢への下りも激しく急だった。最初から最後まで、急な上りと下りの連続だ。

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左:公衆浴場「弘法の湯」 右:テント場でおでんとビール

下山は14:55。目の前に温泉場だから、入っていかねばね。ここ湯の花温泉には公衆浴場が4ヵ所ある。一般的なのは、われわれも入った「弘法の湯」、ほかに「湯端の湯」、混浴の「天神の湯」、「石湯」がある。料金は¥200と格安だった。近くの売店で入浴券を購入し、温泉場の入り口の箱にそれを投入して入るしくみになっている。ちなみに最初は湯端の湯に行ったのだが、大変な混雑で弘法の湯に逃げてきた。

005img_5423_2お泊りは、しらかば公園キャンプ場。1張¥960。人が少なかったので、フリーサイトに車を乗り入れていいといわれ、オートキャンプ状態になった。テーブル椅子つきで、存分に利用させてもらった。

寒いから虫もおらず、天気のくずれもなく、ビールをあおり、おでんで温まり、なかなか快適に過ごせた。

翌朝8:00過ぎにはキャンプ場をあとにし、帰途道の駅たじまに立ち寄って、お買い物となった。会津産の巨大なめこやにごり酒を購入した。さっそくその日の我が家の晩餐はきのこ鍋になった。

ついでに腹が減ったので、けんちんそば(¥400)も食した。なにせ朝ごはんをおかゆにしてしまったから、あっという間に消化してしまったというしだい。このけんちんそば、会津のこづゆに裁ちそばといった組み合わせ(たぶん)で、なかなかおいしい。ボリュームもあってしばらく空腹とは無縁だった。

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日向山

2011-10-10 | 山行~南アルプスとその周辺

001p9160778 標高 1,660m 山梨県

2001年9月16日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:40頃 矢立石登山口9:55--10:45休憩10:55--日向山山頂--11:30雁ヶ原(昼食)13:10--13:55錦滝--14:55隧道4本越えた地点15:05--15:40錦滝15:50--16:25駐車場

 

6:30という遅めの出発で中央道にのり、いつものように談合坂SAで朝食をとった。長坂ICで下りて、サントリーの白州工場で有名な白州に入る。そこから甲斐駒の黒戸尾根登山口に近い尾白川林道へ。日向山の矢立石登山口には、最後未舗装の道を走って9:40頃到着した。すでに路肩には車があふれていて、バスまでもが停まっている。そのバスで来たらしき団体にはすぐに追いつき、追い抜いた。樹林帯をバリバリ歩き、1度の休憩をはさんで、山頂には11:30頃到着。まさにお手軽ハイキングコースだ。

山頂付近は花崗岩の白い岩と砂礫がむき出しになっていて、周囲の山から見ると、その白い部分から日向山だとすぐにわかる。

日向山の山頂は狭かった。当初の計画では、ここで昼食をと思っていたのだが、もっと手ごろな場所はないかと写真(冒頭)だけを撮って移動することにした。山頂から広がる白い花崗岩地帯である雁ヶ原で昼食にする。

 

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この神秘的な真っ白い土壌が日向山の特徴

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生き物のように白い岩が躍動しているように見える

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左:白い奇景は延々とつづく 右:江戸時代の石碑だろうか。真ん中は「大明神」と刻まれている

雁ヶ原の倒木にナラタケが密生していた。おばちゃんたちが思い思いの量を収穫していくが、それでも大量に残っている。おいしいよこれ、といわれ、私もコンビニのレジ袋に獲物を心置きなく入れていく。山の神は本当に食べられるのかと疑心暗鬼でしり込みしていたが、私は家に持ち帰り、きのこ汁にしてたらふく食った(残念ながら写真なし)。

下降を始めても、しばらく白い花崗岩地帯は続いた。かなりの急な道を下っていくと、まもなく錦滝手前で階段が現れる。今では立派な階段がつけられているが、このときには台風15号の影響で崩れていて、まさしくガケになっていた。

006p9160785 錦滝と山の神

錦滝でマイナスイオンを浴び、気持ちよく再び下り始める。ここまではよかった。
失敗は尾白川林道に出てからだった。何人かが休憩していて、邪魔しちゃ悪いと人のいない方へ何気なしに歩いていったのだが、それがまるで逆方向だったのだ。しばらく歩いても人はいないし、隧道は出てくるし、だんだん草ぼうぼうの裏ぶれた道になって、焚き火あとに出くわした。その先は行き止まりだった。何かおかしいなといいつつ、進んできたのだが、行き止まりでは明らかに間違いだ。

あ~あ、引き返すかと、山の神に。でもくたびれた。無駄足踏んだ分よけいに。がっくりきて、ばったりと腰を下ろした。

007p9160788しばらく休憩して重い腰を上げ、通り抜けてきた隧道を再び抜けて、間違った地点まで戻った。そこにはちゃんと道標があった。ここに人がいたために目に入らなかったのだ。

そこからとぼとぼと林道を進んでいくと、きのこ採りのおじさんがうれしそうに山ほどの収穫物を車に積んでいるのに出くわした。自分で食べる分だけではなく、明らかにお仕事の量だ。この辺りはきのこの山なのだろうか。

愛車には16:25にたどり着いた。とんだ遠回りで2時間近くもロスしていた。尾白川名水公園の温泉に入るつもりでいたのだが、なんと16:30までの営業で断念せざるをえなかった。

代わりに公園内の喫茶店でシフォンケーキを食べてまったりする。この喫茶店、ネット検索してもヒットしないから、今はもうないようだ。残念。

最後にこの山で見つけた、お花を列挙して筆を擱こう(写真なし。悪しからず)。
オオビランジトモエシオガマコゴメグサイカリソウ

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塩見岳Part3~テント撤収

2011-10-03 | 山行~南アルプスとその周辺

Part2のつづき

コースタイム 9月25日 三伏峠小屋テント場5:38--6:48三伏峠から2km地点6:53--7:20林道へ下りる直前の鞍部7:25--8:30鳥倉林道駐車場先路肩

本谷山から三伏沢(水場)へ下る分岐を探しながら歩いてくると、それらしき場所があった。ロープが張られていて、立入禁止になっていた。朝登ってくるときには、三伏沢テント泊禁止という文字しか目に入らず気づかなかったが、まさにここだった。閉鎖されたルートにわざわざ入っていくのは気が引けたので、三伏沢へ下り、水場をまわって三伏峠のテント場へ戻るルートは取りやめ、朝来た道を忠実にたどり、テント場に戻った(24日14:05)。

テント場に戻る道すがら、山の神と、烏帽子岳へ向かう道から水場に行けそうだけど遠そうだよなとか、水は小屋で買うか?とか、へなちょこ(死語!?)な会話をかわしていたが、やはり汲みに行くことにした。

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左:水場と烏帽子岳の分岐 右:分岐から烏帽子へつづく道

最初は渋っていたから、当然行かないと思っていた山の神は、水汲みに同行することになった。歩き始めてすぐ、先ほどテント場ですれちがった妙齢の女性たちが容器に水を満たして帰ってくる。時計を見ると、あれから30分くらい経っている。往復でそんなものか。意外に近い。

001img_5349 三伏山を見上げる

烏帽子への分岐から水場へ下っていくと、三伏山の緑が目にまぶしくうつる。見上げる山頂には人影が見え、いぶかしそうにこちらを覗いているように見える。ここに水場があることを知らないのだろうか。

水場は熊が出るらしく、ラジオがつけっぱなしになっていた。

それにしてもなぜ、三伏沢ルートは閉鎖されたのだろうか。このときは熊のせいか、あるいは土砂災害のせいかと思っていたが、ネットで調べてみると、最大の理由はし尿処理の問題ということだ。もともとここには三伏小屋があり、その周囲が三伏沢テント場だったのだが、その問題があって、2003年に小屋は閉鎖、あわせてテント場も閉鎖となったようだ。

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左:水場のタンク。ポンプで水を小屋へ上げている 右:恐ろしい張り紙「熊に注意」

翌25日も4:00起床。昨日のうちにテントを撤収して下山していった人もいたが、われわれはムリせず、もう一泊しての下山を選択した。おかげでもう1回、満天の星空を拝めた。久々に見る昴は感動的だった。

テントをたたんで、三伏峠を5:38出発。三伏峠小屋からも人があふれ出てきた。今日塩見岳へ登る人は、すでに暗いうちに出発しているから、どうやら皆下山組のようだ。

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左:そろそろ新しいデカザックがほしいな 右:暗い樹林帯。休憩ポイント

3連休最終日ながら、今日登り始める人もいる。次から次へと登山者とすれ違った。そのなかで、ひときわ変わったシャツを着た一見インド人ふうのおじさんに大きな声で「おへーす」と挨拶された。一瞬頭が真っ白になった。なんて言ったんだ今? 「おはようございます」の彼独特の省略らしかった。ふふ~ん、そう来たか、自分の挨拶バリエーションにも追加しとこうかと。

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最終休憩地。これから塩見岳を目指す登山者を見送る

往路もそうだったが、林道歩きが長く感じた。山の神とくだらない会話をかわしていると、いつの間に来たのか、後ろから追い越していくおじさんがいた。挨拶もせず、歩度をゆるめることなくスタスタと軽快な足取りだ。もしや、テレポーテーション(瞬間移動)。まったく後ろから来る気配がなかった。そして、ふと気づくともう100メートル先くらいを歩いている。またハッと気づくと、はるか前方を歩いていて、いつのまにか視界から消えた。

ホントは、テレポーテーションで家から来たんじゃないかとアホな想像をめぐらす。今もテレポーテーションを繰り返してるから、どんどん先を歩いていくように感じるんだ。駐車場に着いてもあのおじさんはいないぞ、きっと。車で帰るフリをして、じつはテレポーテーションで帰宅だ。などとふざけているうちにゲートが出てきて、駐車場に着いた。そのおじさんは当たり前だが、帰り支度をしていた。最近、テレポーテーションが出てくる、半村良『産霊山秘録』を読んだせいの妄想だった。

帰途、中央高速の諏訪SA内の温泉に立ち寄る。オープンの10:00を少し回っていて、タイミングよく入れた。男湯は湯船が2つあって、湯船1つの女湯より広い。トラックの運転手さんが主に利用するからなのだろうか。気持ちよく湯浴みして山の神と合流。その後、多少渋滞にはまったものの、14:30には帰宅できた。

Part1~三伏峠へ戻る
Part2~西峰・東峰へ戻る

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