感涙、感涙、また感涙、という話であると、あちこちに書かれ、また耳にしていたものだから、そのような感動の本を読までおくべきかと思っていて、今回ヤマケイ文庫に入ったのをきっかけにさっそく手にとってみた。何のことじゃという方のために一言説明すると、北鎌尾根で吹雪かれて遭難死した松濤明(まつなみあきら)の記録本のことである。
でも、読み始めてみると、たんなる山行記録集じゃないかと思ってしまう。ヘタな作家なんぞよりも文章はうまく、コースタイムやその地点地点での状況をきちんと書き留めた正確な記録ではあるのだが、何せ山行記録、いくら読んでも山行記録。私は壁はやらんので、北岳バットレスの細かい状況を言われてもなあ。というわけで、しばらく忍耐力を駆使して読み進めていくと、彼の登山に対する考え(極地法はあかん)や、所属していた東京登歩渓流会のあり方についての彼なりの意見なども出てくる。
巻末に至ってようやく感動(?)のクライマックスが訪れるのだが、当然小説ではなく、たんなる彼のメモ書きを掲載しているだけなので、詳細な状況がよく把握できないばかりか、文章が短かすぎて感情移入する間もなく、終わってしまう。そりゃそうだ。今までの彼の記録は、手帳に書いたメモを基にして、会報に載せるべく、文章に肉付けし、推敲をしていたのだから。結局遭難死してしまったから、その機会もなくメモだけがひとり表舞台に出てしまった。
でもこの尻切れトンボ状態のママで、この本は終わっていない。遭難状況ついての分析は本編終了後の解説にある。あくまで解説者の推測の域を出ないのではあるが、なるほどそういうことなのかと合点がいく。
遭難死はあまりに悲惨で同情に値するが、最近山野井氏のギャチュン・カンからの生還(『垂直の記憶』)を読んだばかりで、もっと粘って生に執着してほしいと、まっ先に思ってしまった。松濤は6時に死を決意し、14時にまだ死ねていない自分を顧みて手帳を広げている。読む人で受け取り方は異なるだろうけど、やっぱり生きてこそ、生き延びてこそだよね。
最後に、この本でもっとも印象的だったことを。それは遭難時に書かれた松濤の手帳のメモがそのまま写真として掲載されていることだ。これを見ると、実際に起きてしまったことであり、取り返しのつかないこととして胸に迫ってくる。凍傷の手で書いた筆跡は痛々しく、切ないのだ。
新編・風雪のビヴァーク (ヤマケイ文庫) | |
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