分類 : 歴
いわき市鹿島町を歩こう 79
八幡神社(旧小社) 鎮座地 : いわき市鹿島町米田字家ノ前56
祭神 譽多別命(ほんだわけのみこと)
宝物 砲弾一個
例祭 旧暦4月15日 旧暦9月15日
譽多別命は、第15代応神天皇の御名
磐城国に八幡神の勧請されたのは後鳥羽院の御代前後であることは、他の八幡神社の由緒によって明らかにされているが、米田の八幡神社の場合、祭神を同じくしながらも古い記録を失って、創建年代は定かではありません。
《米田地区にある八幡神社》
社殿内の由緒板によると、孝明天皇の御代の安政4年(1857)に、社の寄進があり安政6年正月には氏子ら9名が銅二百文ほどずつ出し合い、社殿を再建しています。
慶応元年(1865)には鳥居を寄進、明治6年(1873)小社列格。
昭和12年の正月に社標碑を建立し、同年3月には三沢地区の吉田正義(※人物に関しては当ブログの2009・2・25付をご覧ください)の筆による 「八幡神社」 の刻字額を奉納しています。
《昭和30年代頃まで行われていた神輿渡御》
神輿(みこし)とは、神幸の際に神体または御霊代(みたましろ)が乗るとされる輿をいい、渡御(とぎょ)は神輿のお出かけ(おでまし)になる事。
いわき市鹿島町を歩こう 79
八幡神社(旧小社) 鎮座地 : いわき市鹿島町米田字家ノ前56
祭神 譽多別命(ほんだわけのみこと)
宝物 砲弾一個
例祭 旧暦4月15日 旧暦9月15日
譽多別命は、第15代応神天皇の御名
磐城国に八幡神の勧請されたのは後鳥羽院の御代前後であることは、他の八幡神社の由緒によって明らかにされているが、米田の八幡神社の場合、祭神を同じくしながらも古い記録を失って、創建年代は定かではありません。
《米田地区にある八幡神社》
社殿内の由緒板によると、孝明天皇の御代の安政4年(1857)に、社の寄進があり安政6年正月には氏子ら9名が銅二百文ほどずつ出し合い、社殿を再建しています。
慶応元年(1865)には鳥居を寄進、明治6年(1873)小社列格。
昭和12年の正月に社標碑を建立し、同年3月には三沢地区の吉田正義(※人物に関しては当ブログの2009・2・25付をご覧ください)の筆による 「八幡神社」 の刻字額を奉納しています。
《昭和30年代頃まで行われていた神輿渡御》
神輿(みこし)とは、神幸の際に神体または御霊代(みたましろ)が乗るとされる輿をいい、渡御(とぎょ)は神輿のお出かけ(おでまし)になる事。