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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

いわき市鹿島町を歩こう84

2015-10-07 06:51:00 | Weblog
                                        分類 : 歴
 いわき市鹿島町を歩こう    84
    志賀直哉の家      所在地 : いわき市鹿島町下蔵持字嘉睦家(かもか)15番地

 昭和の前半期に、鹿島で偉大な指導者であった志賀直哉(明治20年6月12日~昭和31年2月7日)は、後人に遺した教訓は計り知れません。 享年71歳。
 昭和4年に村議会議員となり、翌5年には助役になっています。村長補佐をし、その手腕力量を高く評価されて村議会の推挙を受け村長となり、2期8年間村政に傾注した人です。


             《屋根など一部リフォームされてはいるが実存する志賀邸》

 県から農業経済指定村の指定を受け、農村振興に意を用いる傍ら潅漑用貯水池・堰の改修等に努力。更に毎月の1日を道路愛護デート決め、各ごとにこれを実施して道路の整備をしました。
 一方、百田刈りを推奨して堆肥作りや家畜の導入を推し進め、食糧の増産と農家収入の増収を図りました。
 常に人づくりに意を配り、村長辞任後は太平洋戦争下の石城郡翼賛青壮年団長として、郡の指導的責任を担ったが敗戦となり、占領軍司令官マッカーサー指令により公職追放になってしまいました。


           《昭和12年に撮られた下蔵持の全景で、右手前の家が志賀直哉邸》

 下蔵持の如来山正福院は、昭和5年鹿島の大火で焼失し、昭和5年再建に掛かり翌6年に完成したが昭和11年6月、今度は豪雨による裏山の土砂崩れにて寺院が崩壊。
 志賀直哉は、これの再建に再び東奔西走して昭和30年9月、ようやく洋風の寺院を建設し同年10月には二宮尊徳翁100年祭慰霊塔を建立しました。=関連記事は9月11日付の当ブログ参照。
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