いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

いわき市鹿島町を歩こう81

2015-10-04 07:06:57 | Weblog
                             分類 : 歴
 いわき市鹿島町を歩こう   81
    圓福寺の歴代和尚碑      所在地 : いわき市常磐上矢田町

 鹿島街道を平から小名浜方面へ向かって行くと、鹿島神社の手前右側の高台に大きく立派なお寺が見えますがそこが圓福寺で、看板も確認できます。
 
 曹同宗の金峯山圓福寺は地元の上矢田をはじめ、平、小名浜、その他近郊に多数の檀家がいます。同寺は歴史が古く、今のいわき地方を支配していた岩城氏は文明1~18年(1469~1486)、大舘城を大本家としておよそ48館を置き、その1つに中山舘(飯野村)があったが、中山領主に嗣子がなかったため大本家の岩城下総守、常陸の2男を養子として迎え、中山讃岐守隆吉と名乗らせました。


            《同寺の歴代和尚名が刻まれている石碑


            《金峯山圓福寺の本堂と庫裡

 隆吉の死後、跡目を継いだ隆朝(右衛門太夫)は、岩城大本家の菩提所である上荒川龍門寺大和尚の勧めで、天文23年甲寅年(1554)に居城を上矢田に移し、菩提所「大中山圓福寺」もまた上矢田の金ケ峯へ移して伽藍を建立し、隆吉の守り本尊であつた十一面観世音を安置し、山号を金峯山と改めました。
 また、同寺にある山門は寺誌によると、宝暦年代(1751~1764)に存在し、幅が9尺(約2m800)×8尺(約2m500)あり、現在の山門は昭和12年3月茅葺屋根を瓦葺きにする際、復元されました。


      《手前の道が鹿島街道で、圓福寺は並行して上ったところにある

 金峯山圓福寺開山、大亭芳賢大和尚は永禄12年(1569)に96歳で亡くなった。
 因みに、第32世(現住職)は、三田仙芳大和尚です。
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