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飯田の古井戸 所在地 : いわき市鹿島町飯田字越巻
明治22年(1889)に近郷12村が合併して鹿島村(現・いわき市鹿島町だが、うち3地区は常磐町を名乗っている)として村政が布かれたが、この飯田地区もかつては12村の1つで飯田村として独立していました。
民家が7軒で村政を維持してきた訳ですから、全国的にみても稀なのではなかったでしょうか。△明治初期の記録上では戸数は8軒あったようです。
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《一見、何の変哲もない古井戸だが長い歴史を持っている》
いつの頃からかは定かではないが、「飯田7軒鍋7つ、すり鉢3つで井戸1つ、鶏3羽でホーイホーイ」 と他の人たちから冷やかされたこともあったらしく、今でも古老の中にはハッキリと覚えている人がいます。
これは小ではあるが何事も助け合い、どんな相談事でも纏まりが早いことが他の人たちから見ると羨望の的であったらしく、それが揶揄される原因にもなったと思われます。
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《財務省としての地籍を有する古井戸》
唄の文句にあるように、昔は井戸が1つであったことを物語っています。
また、地区内の小泉宅で古井戸の場所を訊ねたところ、スグそこにあるのがそうだと言いながら、「昔はその井戸で7軒が使っていたのだ」 と説明を受けました。
井戸の深さは約4mほどあり、水はいくら汲まれても元の水位に戻るという湧出量の豊富さで、以前は有地としてその周囲数坪の敷地を持ってたが、現在は財務省財務局の官有地になっているそうです。
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《この開成病院の裏側の道を右折して約50mくらいの所に古井戸はある》