『小松の空から朝鮮―アジア侵略のF15イーグルを飛ばすな!』第16集1996.8.30
(1)朝鮮情勢
米日帝国主義の朝鮮侵略戦争が切迫している。4・17日米安保共同宣言を起点にして、日帝は有事体制の確立、朝鮮侵略戦争への参戦の準備を進めている。改憲や破防法攻撃が激化している。
何よりも米帝国主義が朝鮮侵略戦争に突進している。朝鮮侵略戦争が起きれば、計り知れない重大な結果をもたらすだろう。中国侵略戦争から全面的なアジア侵略戦争、世界戦争への拡大は不可避である。
米帝の朝鮮侵略戦争政策は、「東アジア戦略報告(ナイレポート)」に基づいて推し進められている。米帝は1994年10月に北朝鮮に強制した「米朝包括合意」の履行を求めるという形をとって、戦争政治を進めている。
北朝鮮は原油不足で工場稼働率が20~30%落ち込み、93年の冷害、95年の水害、そして今年も水害に見まわれ、「飢餓寸前」という食糧危機に陥っている。これにたいして米帝は「北朝鮮の崩壊は時期と方法が残っているだけ」と、自己のコントロールのもとで北朝鮮を崩壊に追い込もうとしている。
また、米帝の朝鮮侵略戦争策動は日帝をも追いつめている。日帝は朝鮮侵略戦争に参戦し得るようにと、絶望的な飛躍=有事体制を作り上げようとしている。新進党の小沢一郎は「多国籍軍的形態であっても、湾岸戦争や朝鮮動乱のような場合でも日本は参加できる」「(集団的自衛権の)従来の政府解釈が間違っている」などと言い放ち、侵略戦争のために、憲法の制約を取り払おうとしている。
1996年版防衛白書では、北朝鮮と中国を対象化し、「専守防衛」から「周辺地域の危機の時代には米軍に協力して踏み込む」と大転換している。自民党の山崎拓は「米艦船、米航空機の護衛、戦闘地域での補給・整備・輸送・医療は合憲」と発言した。梶山官房長官は「朝鮮半島有事の際、難民が押し寄せてきて市街戦になる」と朝鮮侵略戦争のための日米安保強化をあおっている。これが日本帝国主義の基本方向である。
以上のとおり、日帝ブルジョアジー(中央政治家)は、朝鮮情勢がのっぴきならない段階に突入しており、米帝の朝鮮侵略戦争にたいする現実的対処(参戦)の方向を必死になって探っているのである。
(2)日本海側の戦争体制
A 小松基地―F15イーグル戦闘機の2飛行隊体制
1986年以来、小松基地はF4ファントム22機(303飛行隊)とF15イーグル18機(306飛行隊)の2飛行隊体制を敷いてきた。1997年3月までに、303飛行隊のF4(22機)をF15(20機)に機種変更し、F15イーグル2飛行隊(38機)体制に転換し、千歳、百里、新田原基地と並んで、朝鮮半島に向けた侵略体制の強化をはかっている。
F15イーグルは対地・対艦攻撃機能を中心として、爆撃機能が重視された戦闘機である。最大航続距離は5500キロで、3万メートルの高度に達するのに4分とかからない(マッハ2・5)。しかも180キロ先まで掌握できるレーダーや空中給油装置を具備している。このF15イーグルは中東、アジア侵略の要石といわれる沖縄の嘉手納基地にも70機配備されているように、小松基地にF15イーグルが38機も配備されることは、まさに小松基地が朝鮮侵略のための最前線基地として位置付けられているということである。
B 激化する訓練と事故
小松基地の戦闘訓練は航空自衛隊のなかでもトップレベルにあり、戦技競技会では常に上位を占めている。そして訓練の激しさゆえの事故が多発している。1995年11月、F15戦闘機間で展開された戦闘訓練で、相手機を撃墜する事故が発生した(輪島沖)。この事故は偶然発生したものではなく、訓練が実戦そのものとして展開されていることの証明である。
かつて、1988年に日本海で、小松基地から発進したF15戦闘機同士が衝突して墜落する事故が発生した。この事故で、自衛隊は「急旋回など『高機動飛行』の連続で、両パイロットに体重の4~8倍の重力がかかり、事態の判断や反射神経のような生理的な対応能力が低下したり、視覚を失う『ブラックアウト』現象に陥った」と説明している。
今回の事故でも、奥村渉外室長は「記憶していることがベストだが、戦闘機を操縦するという特殊な状況下では、分からなくなることもありうる」と説明しているように、常にパイロットは「ブラックアウト」「空間識失調」の一歩手前の状態での訓練をおこなっているのである。今回の事故は朝鮮侵略戦争のための極限的な訓練の故に起きたのである。事故原因を「機体故障」か「操縦の人為ミス」かにのみ求めようとすることは、最も本質的な問題である「激しい訓練がなぜ行なわれているのか」にたいする究明から的を外すための論議である。
ついでに、戦闘機事故の原図解明と報告が、以前から比べてかなり秘密主義的になっていることを指摘しておきたい。例えば1979年にFlO4Jが若狭湾沖に堕落した。小松基地は記者会見で墜落時までの飛行ルートを図示し、説明しているが、今回はほとんど闇のなかである。
このように、日本海上空という市民の監視の目が届かないことをいいことにして、小松基地所属の飛行隊が朝鮮情勢に対応するために、訓練が極限的までに強化されているという事実が、事故という形で現れたのである。
C 輪島レーダー基地の強化
輪島市の高州山(標高567メートル)の山頂には、中部航空警戒管制団(狭山)の隷下部隊である「第23警戒群」が配備されている。230人の部隊を擁し、今年の5月から、新たに地下深くに建設されたハイテク機能を備えたレーダーが運用され、朝鮮情勢を掌握し、出撃体制をとる小松基地と一体の侵略体制が強化されている。
1995年11月のF15撃墜事件に関連して元統幕議長の栗栖弘臣は「自衛隊は日本の領空より1000キロぐらい外に設けられた空域に国籍不明機が侵入してくると、自動的にスクランブルし、領空に侵入しないよう相手に警告する」(12/7『週刊新潮』)と書いている。輪島から1000キロと言えば朝鮮半島をほとんどカバーする距離であり、領土防衛のためのレーダー基地というよりも朝鮮侵略のためのレーダー基地である。<領空とは「領土および領海の上の空間」(広辞苑)であり、沿岸から21海里=22・2キロ>
輪島レーダー基地は戦前、陸軍が天神山(標高300メートル)に防空監視所を建設したことから始まっている。「防空」と命名されているが、「沿海州から800キロ」のゆえにレーダー基地が開設されたのである。敗戦後、1947年10月、米軍レーダー部隊150人が輪島に進駐し、1950年の朝鮮侵略戦争時には250人に増強され、輪島レーダー基地が朝鮮半島情勢を掌握するためのレーダー基地であることが示されている。朝鮮戦争後、米軍は標高300メートルの天神山では十分に朝鮮情勢を掌握できないと判断して、標高567メートルの高州山にレーダーサイトを建設した。
1956年には航空自衛隊「第23警戒群」が配備され、1959年には米軍が引き上げ、以後自衛隊による朝鮮情勢を掌握するための軍事情報最前線基地になった(1970年10月まで、在日米軍輪島通信連絡所があり、4人の米兵が常駐していた)。1964年には輪島レーダー基地は小松基地の迎撃機に直接スクランブルを発令する権限が与えられた。
1982年には「三次元レーダー」が設置され、1996年5月には最新式のハイテクレーダーが地下深くに設置されたのである。北朝鮮が試射した『ノドン1号』の落下地点を掌握したのは輪島レーダー基地であるといわれている(桧山良昭)ように、輪島レーダー基地は朝鮮情勢を24時間休制で監視し、小松基地のF15イーグル2飛行隊体制と一体となって、朝鮮侵略のキバを磨いているのである。
D 北朝鮮ののど元を締めつける海上自衛隊
1996年3月、イージス護衛艦「みょうこう」が舞鶴港を母港とする海上自衛隊第3護衛隊群に配備された。朝鮮半島情勢の切迫を見据えての日本海に面した海上自衛隊基地=舞鶴への配備である。「みょうこう」は時速55キロで航行し、高性能レーダー、コンピューターを搭載しており、目標物の捜索、探知から情報処理まで自動的に処理できる。10から20機の戦闘機を同時に攻撃できる最新鋭の護衛艦である。(日本には3隻のみ配備)
また海上自衛隊の艦船がここ数年頻繁に、休験航海とか一般公開などと称して、金沢港、七尾港、飯田港などに入港している(商業新聞に公表)ことも海上自衛隊が朝鮮半島危機に対応した動きであると思われる。
更に6月15日、米海軍は「米空母インディペンデンスをペルシャ湾方面に派遣せず、東アジア(朝鮮半島周辺)に常駐させる」と発表した。まさに海上自衛隊も米海軍も朝鮮半島情勢をにらんで、日本海に集中し、即応態勢をとっているのである。

(3)諸党派の小松基地闘争論(略)
(4)沖縄闘争の爆発を
以上のとおり・日帝は、米帝の朝鮮侵略戦争に規定されて、日本海をはさんで相対する北陸の小松基地、輪島基地、舞鶴基地などの侵略戦争体制を作り上げるために全力をあげている。また米帝は沖縄人民の生活を踏みにじり、在日米軍4万4000人休制=沖縄の米軍基地を再編強化しょうとしている。
これにたいして沖縄人民は昨年来、米軍基地にたいして激しく闘いはじめた。1995年10・3の8万5000人集会、今春「像のオリ」をめぐる闘い、そして9月8日の県民投票に向けて基地撤去の闘いが沖縄全島でうなりを上げて巻き起こっている。この闘いは日米安保体制にたいする闘いであり、切迫する朝鮮侵略戦争阻止の闘いである。
沖縄で知花昌一さんや大田県知事を先頭にして、日米の朝鮮戦争政策と全面的に対決している沖縄県民の闘いに連帯しなければならない。アジア支配のキーストーンと言われる沖縄の米軍基地撤去というもっとも困難な闘いに立ち上がっている沖縄人民と共に汗を流さないで、小松基地を撤去する闘いができるだろうか。アジア侵略のための沖縄米軍基地や小松基地をそのままにしておいて、「反戦・平和を願う」ことは欺輔である。それは侵略によって支えられた平和であり、アジア人民に銃を向け、足げにした平和である。
次に、社会党の転向は論外であるが、共産党も革マル派も、多少角度の差こそあれ、「米帝も日帝も侵略戦争はしない」論に立っており、労働者人民の反戦闘争を解体する役割を担おうとしている。特に、革マル派は侵略戦争と闘おうとする勢力にたいして、反革命暴力をもって闘いを解体する極悪のファシスト集団であるということを確認しなければならない。それは小松における破防法反対集会(1996年3月)や知花さんとの交流会(同年6月)に襲撃をかけたことでも明らかである。
以上のように、当面の北陸での反戦闘争―小松基地闘争は沖縄人民の闘いに応え、全国の力で沖縄の米軍基地を撤去する闘いに立ち上がることである。
1996年8月20日
(1)朝鮮情勢
米日帝国主義の朝鮮侵略戦争が切迫している。4・17日米安保共同宣言を起点にして、日帝は有事体制の確立、朝鮮侵略戦争への参戦の準備を進めている。改憲や破防法攻撃が激化している。
何よりも米帝国主義が朝鮮侵略戦争に突進している。朝鮮侵略戦争が起きれば、計り知れない重大な結果をもたらすだろう。中国侵略戦争から全面的なアジア侵略戦争、世界戦争への拡大は不可避である。
米帝の朝鮮侵略戦争政策は、「東アジア戦略報告(ナイレポート)」に基づいて推し進められている。米帝は1994年10月に北朝鮮に強制した「米朝包括合意」の履行を求めるという形をとって、戦争政治を進めている。
北朝鮮は原油不足で工場稼働率が20~30%落ち込み、93年の冷害、95年の水害、そして今年も水害に見まわれ、「飢餓寸前」という食糧危機に陥っている。これにたいして米帝は「北朝鮮の崩壊は時期と方法が残っているだけ」と、自己のコントロールのもとで北朝鮮を崩壊に追い込もうとしている。
また、米帝の朝鮮侵略戦争策動は日帝をも追いつめている。日帝は朝鮮侵略戦争に参戦し得るようにと、絶望的な飛躍=有事体制を作り上げようとしている。新進党の小沢一郎は「多国籍軍的形態であっても、湾岸戦争や朝鮮動乱のような場合でも日本は参加できる」「(集団的自衛権の)従来の政府解釈が間違っている」などと言い放ち、侵略戦争のために、憲法の制約を取り払おうとしている。
1996年版防衛白書では、北朝鮮と中国を対象化し、「専守防衛」から「周辺地域の危機の時代には米軍に協力して踏み込む」と大転換している。自民党の山崎拓は「米艦船、米航空機の護衛、戦闘地域での補給・整備・輸送・医療は合憲」と発言した。梶山官房長官は「朝鮮半島有事の際、難民が押し寄せてきて市街戦になる」と朝鮮侵略戦争のための日米安保強化をあおっている。これが日本帝国主義の基本方向である。
以上のとおり、日帝ブルジョアジー(中央政治家)は、朝鮮情勢がのっぴきならない段階に突入しており、米帝の朝鮮侵略戦争にたいする現実的対処(参戦)の方向を必死になって探っているのである。
(2)日本海側の戦争体制
A 小松基地―F15イーグル戦闘機の2飛行隊体制
1986年以来、小松基地はF4ファントム22機(303飛行隊)とF15イーグル18機(306飛行隊)の2飛行隊体制を敷いてきた。1997年3月までに、303飛行隊のF4(22機)をF15(20機)に機種変更し、F15イーグル2飛行隊(38機)体制に転換し、千歳、百里、新田原基地と並んで、朝鮮半島に向けた侵略体制の強化をはかっている。
F15イーグルは対地・対艦攻撃機能を中心として、爆撃機能が重視された戦闘機である。最大航続距離は5500キロで、3万メートルの高度に達するのに4分とかからない(マッハ2・5)。しかも180キロ先まで掌握できるレーダーや空中給油装置を具備している。このF15イーグルは中東、アジア侵略の要石といわれる沖縄の嘉手納基地にも70機配備されているように、小松基地にF15イーグルが38機も配備されることは、まさに小松基地が朝鮮侵略のための最前線基地として位置付けられているということである。
B 激化する訓練と事故
小松基地の戦闘訓練は航空自衛隊のなかでもトップレベルにあり、戦技競技会では常に上位を占めている。そして訓練の激しさゆえの事故が多発している。1995年11月、F15戦闘機間で展開された戦闘訓練で、相手機を撃墜する事故が発生した(輪島沖)。この事故は偶然発生したものではなく、訓練が実戦そのものとして展開されていることの証明である。
かつて、1988年に日本海で、小松基地から発進したF15戦闘機同士が衝突して墜落する事故が発生した。この事故で、自衛隊は「急旋回など『高機動飛行』の連続で、両パイロットに体重の4~8倍の重力がかかり、事態の判断や反射神経のような生理的な対応能力が低下したり、視覚を失う『ブラックアウト』現象に陥った」と説明している。
今回の事故でも、奥村渉外室長は「記憶していることがベストだが、戦闘機を操縦するという特殊な状況下では、分からなくなることもありうる」と説明しているように、常にパイロットは「ブラックアウト」「空間識失調」の一歩手前の状態での訓練をおこなっているのである。今回の事故は朝鮮侵略戦争のための極限的な訓練の故に起きたのである。事故原因を「機体故障」か「操縦の人為ミス」かにのみ求めようとすることは、最も本質的な問題である「激しい訓練がなぜ行なわれているのか」にたいする究明から的を外すための論議である。
ついでに、戦闘機事故の原図解明と報告が、以前から比べてかなり秘密主義的になっていることを指摘しておきたい。例えば1979年にFlO4Jが若狭湾沖に堕落した。小松基地は記者会見で墜落時までの飛行ルートを図示し、説明しているが、今回はほとんど闇のなかである。
このように、日本海上空という市民の監視の目が届かないことをいいことにして、小松基地所属の飛行隊が朝鮮情勢に対応するために、訓練が極限的までに強化されているという事実が、事故という形で現れたのである。
C 輪島レーダー基地の強化
輪島市の高州山(標高567メートル)の山頂には、中部航空警戒管制団(狭山)の隷下部隊である「第23警戒群」が配備されている。230人の部隊を擁し、今年の5月から、新たに地下深くに建設されたハイテク機能を備えたレーダーが運用され、朝鮮情勢を掌握し、出撃体制をとる小松基地と一体の侵略体制が強化されている。
1995年11月のF15撃墜事件に関連して元統幕議長の栗栖弘臣は「自衛隊は日本の領空より1000キロぐらい外に設けられた空域に国籍不明機が侵入してくると、自動的にスクランブルし、領空に侵入しないよう相手に警告する」(12/7『週刊新潮』)と書いている。輪島から1000キロと言えば朝鮮半島をほとんどカバーする距離であり、領土防衛のためのレーダー基地というよりも朝鮮侵略のためのレーダー基地である。<領空とは「領土および領海の上の空間」(広辞苑)であり、沿岸から21海里=22・2キロ>
輪島レーダー基地は戦前、陸軍が天神山(標高300メートル)に防空監視所を建設したことから始まっている。「防空」と命名されているが、「沿海州から800キロ」のゆえにレーダー基地が開設されたのである。敗戦後、1947年10月、米軍レーダー部隊150人が輪島に進駐し、1950年の朝鮮侵略戦争時には250人に増強され、輪島レーダー基地が朝鮮半島情勢を掌握するためのレーダー基地であることが示されている。朝鮮戦争後、米軍は標高300メートルの天神山では十分に朝鮮情勢を掌握できないと判断して、標高567メートルの高州山にレーダーサイトを建設した。
1956年には航空自衛隊「第23警戒群」が配備され、1959年には米軍が引き上げ、以後自衛隊による朝鮮情勢を掌握するための軍事情報最前線基地になった(1970年10月まで、在日米軍輪島通信連絡所があり、4人の米兵が常駐していた)。1964年には輪島レーダー基地は小松基地の迎撃機に直接スクランブルを発令する権限が与えられた。
1982年には「三次元レーダー」が設置され、1996年5月には最新式のハイテクレーダーが地下深くに設置されたのである。北朝鮮が試射した『ノドン1号』の落下地点を掌握したのは輪島レーダー基地であるといわれている(桧山良昭)ように、輪島レーダー基地は朝鮮情勢を24時間休制で監視し、小松基地のF15イーグル2飛行隊体制と一体となって、朝鮮侵略のキバを磨いているのである。
D 北朝鮮ののど元を締めつける海上自衛隊
1996年3月、イージス護衛艦「みょうこう」が舞鶴港を母港とする海上自衛隊第3護衛隊群に配備された。朝鮮半島情勢の切迫を見据えての日本海に面した海上自衛隊基地=舞鶴への配備である。「みょうこう」は時速55キロで航行し、高性能レーダー、コンピューターを搭載しており、目標物の捜索、探知から情報処理まで自動的に処理できる。10から20機の戦闘機を同時に攻撃できる最新鋭の護衛艦である。(日本には3隻のみ配備)
また海上自衛隊の艦船がここ数年頻繁に、休験航海とか一般公開などと称して、金沢港、七尾港、飯田港などに入港している(商業新聞に公表)ことも海上自衛隊が朝鮮半島危機に対応した動きであると思われる。
更に6月15日、米海軍は「米空母インディペンデンスをペルシャ湾方面に派遣せず、東アジア(朝鮮半島周辺)に常駐させる」と発表した。まさに海上自衛隊も米海軍も朝鮮半島情勢をにらんで、日本海に集中し、即応態勢をとっているのである。



(3)諸党派の小松基地闘争論(略)
(4)沖縄闘争の爆発を
以上のとおり・日帝は、米帝の朝鮮侵略戦争に規定されて、日本海をはさんで相対する北陸の小松基地、輪島基地、舞鶴基地などの侵略戦争体制を作り上げるために全力をあげている。また米帝は沖縄人民の生活を踏みにじり、在日米軍4万4000人休制=沖縄の米軍基地を再編強化しょうとしている。
これにたいして沖縄人民は昨年来、米軍基地にたいして激しく闘いはじめた。1995年10・3の8万5000人集会、今春「像のオリ」をめぐる闘い、そして9月8日の県民投票に向けて基地撤去の闘いが沖縄全島でうなりを上げて巻き起こっている。この闘いは日米安保体制にたいする闘いであり、切迫する朝鮮侵略戦争阻止の闘いである。
沖縄で知花昌一さんや大田県知事を先頭にして、日米の朝鮮戦争政策と全面的に対決している沖縄県民の闘いに連帯しなければならない。アジア支配のキーストーンと言われる沖縄の米軍基地撤去というもっとも困難な闘いに立ち上がっている沖縄人民と共に汗を流さないで、小松基地を撤去する闘いができるだろうか。アジア侵略のための沖縄米軍基地や小松基地をそのままにしておいて、「反戦・平和を願う」ことは欺輔である。それは侵略によって支えられた平和であり、アジア人民に銃を向け、足げにした平和である。
次に、社会党の転向は論外であるが、共産党も革マル派も、多少角度の差こそあれ、「米帝も日帝も侵略戦争はしない」論に立っており、労働者人民の反戦闘争を解体する役割を担おうとしている。特に、革マル派は侵略戦争と闘おうとする勢力にたいして、反革命暴力をもって闘いを解体する極悪のファシスト集団であるということを確認しなければならない。それは小松における破防法反対集会(1996年3月)や知花さんとの交流会(同年6月)に襲撃をかけたことでも明らかである。
以上のように、当面の北陸での反戦闘争―小松基地闘争は沖縄人民の闘いに応え、全国の力で沖縄の米軍基地を撤去する闘いに立ち上がることである。
1996年8月20日