アジアと小松

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小松基地問題研究会

20180521 小松基地爆音訴訟口頭弁論と大飯原発行動

2018年05月22日 | 小松基地爆音訴訟傍聴記
5・21 小松基地爆音訴訟口頭弁論と大飯原発行動

 今日は、前回に引き続き4人の原告本人尋問がおこなわれた。被告国側からの主尋問で、「危険への接近」を立証するためである。「住民が危険性(騒音)を知りながら、転居してきた」として、住民に受忍を求めるための訊問であった。人間は社会生活を営んでおり、実家、職場、病院、学校などの条件から住居地を選択せざるをえないことを理解しようとしない、理不尽な尋問がおこなわれた。。

 Aさんの居住歴は加賀市→安宅町→伊切町→安宅町である。Aさんは実家の近くに住居を決めたあと、妻と自分の実家の中間点に家を新築したが、そこが伊切町だったのである。騒音は伊切町の方がひどく、戦闘機が飛ぶと電話もテレビも聞こえない。

 Bさんの場合は丸の内町→城北町→浜田町。Bさんは浜田町にパン屋を開店したが、国側代理人はなぜやかましいことが分かっていて、浜田町に店を出したのかと問う。Bさんは交通量が多く、駐車場が十分あることが店の前提条件で、騒音は二の次だったという。Bさんの店では、騒音が激しくて、客からの注文の電話が聞き取れなくて困っている。遠方から来た客は、突然の離陸轟音に、「戦闘が始まったのか」と聞かれたことがある。店の休日は月曜日なので、昼間の騒音が激しく、気持ちが休まらないことを訴えた。

 Cさんは、大聖寺→小塩町→日末町。結婚を契機に、妻の実家の隣に転居した。妻の両親の面倒を見る必要があったから。

 Dさんは木場町→安宅町→浮城町。安宅町でひとり暮らしをしていたが、結婚を機に妻の実家の近くに転居した。非騒音地域(小松市苗代町)も選択肢にあったが、病院が遠く、生活面で不便だったので、騒音地域であることはわかっていたが、浮城町に決めた。

大飯原発行動
 小松基地爆音訴訟の傍聴後、裁判所兼六園側入口でおこなわれている大飯裁判行動に合流した。関西、福井、石川、富山から、4~50人ほどの仲間が結集し、鳴り物あり、歌あり、演説あり、シュプレヒコールあり、通りがかりの高校生の一群と討論がおこなわれたり、外国人観光客からグッドサインをもらったり、にぎやかな1時間だった。

 連休明けには判決期日が通告されるかと予想していたが、裁判所からは音沙汰なしである。安倍政権の顔色をうかがっているのではないかと勘ぐりたくなる。


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