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アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

踊るケネディ大使の迎え方

2013年12月18日 | 軍事問題(小松基地など)
             踊るケネディ大使の迎え方

 12月16日、神奈川県三浦市内に在日米軍厚木基地のMH60ヘリが不時着しようとし、横転した。事故機は原子力空母ジョージ・ワシントンの艦載機で、厚木基地の第5空母航空団に所属している。事故後、神奈川県警が飛行経路や目的を問い合わせたが、米軍は日米地位協定を盾に、「情報提供はしない」と回答した。

 翌17日、ケネディ米大使が横須賀市と神奈川県庁を訪れたが、事故を起こし不時着した三浦市を訪問すらしなかった。黒岩知事との会談の冒頭、ケネディ大使はAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を踊り、一言の謝罪もせず、新たに罪を重ねた。

 横須賀市長も神奈川県知事もケネディ大使に原因究明と再発防止を求めたが、肝心の謝罪を求めなかった。かつて、小松基地所属のF15戦闘機が燃料タンクを落下した際には、関係自治体も住民も謝罪と原因究明・再発防止を求め、小松基地司令も防衛大臣もしぶしぶ地元住民(自治体)に頭を下げた。

 本土の関係自治体が米軍の責任を追及せず、謝罪も求めない卑屈な態度をとるから、米軍ヘリが事故を起こしても、ケネディ大使が謝罪しないのだ。沖縄の米軍基地を固定化し、くりかえし事故が起きるのは本土の姿勢に責任がある。

 1989年、長崎港に入港した米海軍フリゲート艦ロドニー・M・デイビスのピーター・G・ロバーツ艦長が長崎市役所や県庁を表敬訪問した。

 本島市長は「核を積んでいるかどうか聞き、被爆都市の市民感情を説明する」ために訪問に応じ、艦長に会ったが、平和公園の献花の同行は断った。

 平和祈念像の前には長崎原爆被爆者ら約50人が「片手で核兵器を運びながら、もう一方の手で花輪をささげることは許されない」と、日英両語で書いた横断幕を持って座り込んだ。このため、艦長は祈念像の十数メートル手前に臨時に置いた台の上に花輪を置きその場を去った。

 被爆者らはこの間、「花輪を持って帰れ」と叫び続け、艦長らが去った後、長崎原爆被災者協議会会長ら3人が、台を倒して花輪を踏みつぶした。これこそが謝罪しようとしない米軍への正しい迎え方である。
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