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小松基地問題研究会

『革共同50年私史』(尾形史人著2016年) を読む(3)

2016年11月15日 | 落とし文
『革共同50年私史』(尾形史人著2016年) を読む(3)   2016年11月
 引用は要約・省略しているので、直接著書にあたってほしい。【 】は著書のページ数。

(5)沖縄闘争論
【350】沖縄奪還論=本土復帰・基地撤去、永久核基地化粉砕―現実に責任を取る、抽象的理論を振り回さない唯物論的合理性。革命的左翼は「沖縄解放」←一般的な最大限綱領。【370】沖縄奪還論は70年当時は革命的スローガン、しかし90年以降は古くさいスローガン。【371】革共同(中央派)のスローガンは「全島ゼネスト」―誰が主導するのか、幻想的スローガン。現在必要なことはオール沖縄会議の強化である。【373】革共同が沖縄辺野古現地で撒くビラは本土の10・21ビラ。【370】現在の革共同(中央派)は沖縄の自己決定権を沖縄自立論だとして批判←理由は自立論、独立論に連なるものであり、本土と沖縄の労働者を分断するから。資本家と一緒になった運動は労働者性を希薄化・解体するので有害。

<感想>
 
 尾形さんは2013年以降沖縄に滞在し、沖縄闘争に直に触れて、1968年に発出したスローガン「沖縄奪還」の革命性を確信し、かつ目の前の中央派批判を強めている。尾形さんはこのスローガンに本来の革共同の大衆運動とのかかわり方の基本的姿勢を見ている。

 中央派は「本土と沖縄の労働者を分断するから。資本家と一緒になった運動は労働者性を希薄化・解体するので有害」(370)という理由で、沖縄の自己決定権・自立論を認めようとしない。「沖縄独立論」は沖縄から本土への不信の言葉であり、私たちに突きつけられた「三行半」であることを自覚していない。

 20年も前になるが、1996年小松市内でおこなわれた沖縄交流会でも、知花昌一さんは沖縄独立論について触れていた。この頃の革マル派は「『沖縄独立論』は反戦・反安保闘争を骨抜きにする」と主張していた。現在の中央派と当時の革マル派はうりふたつである。

 最近の中央派は沖縄辺野古や高江の現場から逃亡し、悪罵を投げつけている。『前進』(2015/6/1)の写真には「オール沖縄を打ち破る階級的労働運動の力で全島ゼネストへ」という横断幕が掲げられている。5/25の記事では、「『オール沖縄』などのスローガンのインチキをぶち破って」と主張している。沖縄闘争を「(階級的ではないから)打ち破れ」「国家主義(の芽を摘め)」と、粉砕・打倒の対象としているのだ。

(6)労働運動・大衆運動
【207】今日革共同はゼネスト方針を革命戦略に祭り上げている。4大産別方針=夢想でしかない。【214】70年代後半~80年代―労働運動の領域に距離―労働運動放棄(誤り)。【217】70年代後半~労働組合という団結組織が生きるか死ぬかの攻防―革共同は過小評価。【244】経済闘争だけでは革命にならない→政治闘争の持ち込み。革共同は「労働組合運動は賃金奴隷の立場を解決しない無力なもの、次元の低いたたかい」と認識。【257】最近革共同が主張する「労働運動路線」の実相―経済的利益の擁護、生活防衛、生活改善。路線転換したが、職場に向かわなかった。【260】最近は「労働運動で革命をやろう」「動労総連合作り運動」―→再生の見込みなし→解体再出発しかない。【273】革共同は市民運動の自立運動を否定し、党の下に置きたがった→市民運動から忌避された。【320】労働者が社会主義をめざす意識→外部から持ち込まれる以外にない。【321】大衆運動に対しても支配介入型。【323】大衆団体への接触―その団体の一角で義務を果たすというよりは、常にヘゲモニーを取ろうとしていた←「何をしにきているのか」。

<感想>
 
 尾形さんは革共同が労働運動を軽視し、労働組合を過小評価していたことを厳しく断罪している。「経済闘争だけでは革命にならない」(244)という理由で、革共同は「労働運動を次元の低い運動」(244)とみなしてきた。まさに、労働者の自己解放闘争を蔑視する傾向を持っていたと指摘している。

 最近の革共同は「労働運動路線」と言いなしているが、その実相は「労働運動で革命をやろう」「動労総連合作り運動」であり、労働者の現実の要求とは交差しない、外部注入型の方針であり、もはや「再生の見込みはなく、解体再出発しかない」(260)と、尾形さんは匙を投げている。

 経済闘争は次元の低い運動か? 否。資本によって支配され、奴隷的労働(自殺を強いられた電通女性労働者のように)を強いられている労働者と家族の健康・生活・尊厳を守る(階級的再生産)ための不可欠のたたかいである。経済闘争は資本主義下で強いられる経済的差別から解放するための最も本源的なたたかいである(革命で決着をつける)。

 初期資本主義の時代から、経済闘争は労働者自己解放闘争としての位置にあり、幾多の血を流して勝ち取られてきたのである。ワイマール憲法(注1)やイタリア憲法(注2)、日本国憲法などの現代(資本主義)憲法では、労働権という形で実現しているのである。革命党が今を生きる労働者の生活と健康と権利を守るたたかいの先頭に立たずして、革命をめざすなど観念論である。

 尾形さんは革共同の大衆運動への関わり方について、「革共同は市民運動の自立運動を否定し、党の下に置きたがった→市民運動から忌避された」(273)、「大衆運動に対しても支配介入型」(321)、「大衆団体の一角で義務を果たすというよりは、常にヘゲモニーを取ろうとしていた」(323)などと書いているが、この指摘には同感である。

 革共同は大衆の自立的運動を信頼せず、自分達の定規にあわなければ、忌避し、排除し、妨害してきた。第2次不二越訴訟でも、中央派は党利党略をもって関わっていたのである。そんな革共同に誰が信頼を寄せるだろうか。最近の沖縄辺野古や高江では、現場のたたかいから逃亡し、たたかいに悪罵を投げつけている。かつての革マル派(他党派解体のための統一戦線論)のような腐りきった様相を呈している。

(注1)1919年「労働力は帝国の特別の保護を受ける」「労働力保護、母性保護…保険制度を創設する」「失業者には…生計のための配慮をする」など
(注2)1948年「母性、児童、青年を保護」「健康を基本的人権として…保護し、貧困者には無償の治療」「労働を保護する」「労働の量と質に比例した報酬を受ける権利」「毎週の休日および有給の年次休暇に対する権利」「女性労働者は男性労働者と同じ権利」「組合を組織することは自由である」
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