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アジアと小松

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小松基地問題研究会

特定秘密保護法(案)と裁判

2013年11月14日 | 軍事問題(小松基地など)
特定秘密保護法(案)と裁判
『ある北大生の受難 国家秘密法の爪痕』(上田誠吉著 2013年復刻)


 特定秘密保護法違反で訴追されたとき、裁判はどうなるのだろうか。
 Iwj Independent Web Jounalによれば、「公正な裁判が行われない懸念。秘密保全法違反で起訴されれば、漏洩したとはいえ、公にまではなっていない特定秘密も、法廷で扱うことになります。裁判公開の原則から、裁判を通して秘密が明るみに出ます。裁判手続に例外規定ができる可能性もゼロではありません」と書かれています。

 裁判を傍聴した人ならわかると思いますが、検事は被告の罪を立証するために、様々な証拠を提出し、証人を尋問します。裁判は公開を原則としていますから、新聞記者はもちろん市民が傍聴しているので、証拠を提出し、証言がおこなわれれば、「特定秘密」は秘密でなくなります。
 特定秘密に関する裁判は公開法廷では審理できないという理由で、特定秘密に関する裁判は秘密法廷を不可避とします。

 具体的に、過去の例を検証してみました。1941年の宮沢弘幸さんの「スパイ事件」について書かれた『ある北大生の受難 国家秘密法の爪痕』(上田誠吉著 2013年復刻)の中から裁判に関係することを整理しました。

 28ページに、「戦時中に国家秘密法によって検挙、処罰された百数十人のうち94人の量刑が確認できる」と書かれ、死刑(2)、無期(2)、罰金(2)、執行猶予付懲役・禁固刑(30)、懲役数ヶ月(9)、同1年(4)、同1年6月(3)、同2年(12)、同3年(13)、同4年(2)、同5年(7)、同6年(3)、同7年(1)、同12年(1)、同13年(1)、同15年(2)と記されています。宮沢弘幸さんは懲役15年でした。

 宮沢弘幸さんは1941年12月8日に逮捕され、1942年3月25日に札幌地裁検事局に送局され、4月9日に起訴されました。予審がおこなわれ、非公開の裁判が開かれ、無期懲役が求刑され、12月16日に懲役15年の判決が下されました。国防保安法の規定で、控訴することができず、大審院に上告し、1943年5月27日に上告が棄却され、刑が確定しました。

 「両親は…各方面に逮捕の理由と事件の見通しを尋ね回ったが、どこも口を閉ざして応えてくれなかった。ことは軍規にかかわる…弁護人でさえも事件の内容を説明することは許されていなかった。だから宮沢夫妻は息子に対する嫌疑を知らなかった」(137p)、「判決書には、被告人の住所を伏せ字…」(156p)と書かれており、徹底的に裁判の非公開が貫かれていました。

 軍法会議でさえも、公開・傍聴が原則で、鶴彬を裁いた軍法会議でも傍聴席が埋まり、裁判が報道されました。しかし、重要な局面に来ると、記者・傍聴者を退廷させて審理がおこなわれました。宮沢弘幸さんの裁判はそれ以上の扱いで、裁判そのものが非公開で、裁判官も弁護人も事件について口外することが許されませんでした。

 現在国会で審議されている特定秘密保護法(案)が成立すると、今度は裁判の秘密性を保障するための法律(裁判非公開の特別法)を作り、さらに軍法会議へと突き進むことになります。特定秘密保護法(案)は戦争への一里塚であり、修正とか対案とかではなく、廃案にしなければなりません。


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