義母の大叔父に横川省三という人物がいる。省三は1865年4月に生まれ、盛岡の求我社で自由民権運動に共鳴し、1884(M17)年7月に上京し、有一館に入門したが、加波山事件の関係者をかくまい、1年8ヶ月間投獄された。
省三は出獄後も自由民権派の三大事件建白運動(外交策の転換・言論集会の自由・地租軽減を要求)に参加し、政府に危険人物とみなされ、1887(M20)年12月、保安条例により尾崎行雄、星亨、林有造、中江兆民らとともに皇居三里以内から追放された。 . . . 本文を読む
2007年安倍首相は米CNNのインタビューに「慰安婦の方々に大変申し訳ないと思っている」と答え、昭恵夫人は「同じ女性として本当にお気の毒だと思う」と答えた。CNNは「あなたのご主人は慰安婦の強制連行はなかったと言ったのだが」とたたみかけると、昭恵夫人は「えっ、あなた、そんなこと言ったの」と醜い猿芝居をしていた。(梶村太一郎著『「慰安婦」強制連行』より)
そして第2次安倍内閣も「強制はなかった」という発言を撤回していない。ここに、インドネシアジャワ島のスマラン事件をレポートする。 . . . 本文を読む
波多野澄雄「東アジアの歴史問題と日本の対応」(2013.11.19)
頭書の講演を聴く機会があった。戦後補償問題について語りながら、講師には被害者に寄り添う感性が全くない。ほとんどが日本政府の立場の解説であり、とても聴いていられず、中座を考えたが、最後まで聴くことにした。 . . . 本文を読む
『宮崎稻天』(榎本泰子著2013年)を読むと、稻天(桃中軒牛右衛門)には「信州快男子林政文」という演目があり、林政文が「北國新聞」の第2代社長であることが記されていた。「北國新聞」の社長に、宮崎稻天から絶賛評価されている人物がいるとは、意外に思い調べてみた。 . . . 本文を読む
2013年4月、『もっと知りたい 金沢ふるさと偉人館 91人の偉人たち』が、金沢市内の小学生に配布され、教材として使われることになった。現場の教員にとっても、体制順応型の30人の人物を教えるのか、体制批判的人物も含まれている91人の中から選んで教えるのか、教育空間が広がったと思う。特に、小さいスペースに閉じ込められた人物たちの中に社会を変えてきた人物がいることに注目してほしい。 . . . 本文を読む
1972年「沖縄返還」の年に、沖縄出身の大城俊雄さんが名古屋から手配師にだまされて金沢に来た。大城さんは戸板小学校の校長に「金次郎像は皇国教育のシンボルとして、こどもたちを戦争の担い手として教育した。戦後の今も、このような像が学校に建てられているのはおかしい」と説明し、持っていた大型ハンマーで粉々にしたのである。 . . . 本文を読む
「維新政党・新風」は、独島(竹島)、釣魚台(尖閣諸島)は日本の領土だとして、さまざまなところに1メートルほどの「竹島の碑」や「尖閣の碑」を立てかけ、その写真をインターネット上に投稿している。
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石川県出身者から「偉人」をむりやり作り上げ、ナショナリズムよりもっと狭い「郷土主義」みたいなもので子どもたちを教育しようと考えるなど、なんと了見の狭い人たちなのだろう。
子どもたちには、世界的に評価されている文学作品などを提供し、世界観、人生観を育てるべきだろう。
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死の直前までジャーナリストとしての批判精神を守り続けた桐生悠々と日中戦争・太平洋戦争の過程で、政府批判を鈍化させ、体制に順応していった三宅雪嶺との違いは明確である。編集委員会が桐生悠々をとらず、三宅雪嶺をとった理由は何だろうか。また、振幅の広い三宅雪嶺を子供たちにどのように伝えるのだろうか。 . . . 本文を読む