嘉南大圳は農民のために造ったとされているが、そのもとでの三年輪作は小農民・小作には強制されたが、大地主である製糖会社にとっては自由だったことが判る。(写真は『台湾の水利』挿絵より)
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以前、製糖会社が台湾農民から、詐欺と暴力で農地を取り上げた様子を描いている『新聞配達夫』(楊逵著1934年)を紹介しました。今回は、『秤(はかり)』(頼懶雲著1926年)を紹介します。
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九州大学図書館から『台湾の水利』全巻(1931~43年、13巻78号(うち2号欠号))の目次が届いた。八田与一は13本の原稿を投稿している。目を通したい投稿が幾つもあるが、とりあえずは、下記の論文を入手して読もう。
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「金沢ふるさと偉人館」には『水明り』(濱田隼雄編集)、「技師八田氏についての覚書」(濱田隼雄著1942年『文芸台湾』)、『台湾の水利』(12-5)が展示されており、「技師八田氏についての覚書」(『日本統治期台湾文学日本人作家作品集』第四巻)は金沢大学図書館で読むことができた。
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「烏山頭ダムを世界遺産に」と報道されている。烏山頭ダムの遺産的価値は日帝による台湾植民地支配を対象化するためならば妥当だが、植民地支配を美化するためならば、それは欺瞞以外のなにものでもない。
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八田与一がダムをつくった頃の農民の実状はどうだったか。
嘉南大圳などで、甘蔗栽培がおこなわれたが、その農地はどのようにして製糖資本のものになっていったのか。
小説『新聞配達夫』の一節を転載する。八田与一に関心のある方々の一読をおすすめする。
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李登輝が植民地時代の嘉南大圳と八田与一について語りながら、植民地支配そのものについて語らないのはなぜか。2002年慶応大学で予定されていた李登輝講演の草稿には、日本による植民地支配については、一言「私はかつて日本の植民地・台湾で生まれ」と語るのみで、完全に封印している。
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