OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

日本の流行洋楽は世界最高

2014-10-17 14:42:00 | Pops

木枯しの少女 / ビョルン&ベニー (Polar / CBSソニー)

クイーンと同じく、日本で最初に認められた後に世界規模で大売れしたグループがアバでしたねぇ~~♪

本日掲載のシングル盤は、まさにその端緒となった有名作として、収録A面曲「木枯らしの少女 / She's My Kind Of Girl」が昭和47(1972)年初頭~春にかけて我が国独自の洋楽ヒットになり、信じてもらえないかもしれませんが、当時の歌謡スタアであった天地真理、小柳ルミ子、南沙織、欧陽菲菲、ペドロ&カプリシャス等々と全く遜色の無い売上があったんですから、流石に1970年代の洋楽は勢いがありました♪♪~♪

しかし、この「木枯らしの少女 / She's My Kind Of Girl」は、あくまでもビョルン&ベニー名義というところが大切で、実は楽曲そのものは2年ほど前に制作され、バックコーラスには後に堂々とアバを名乗った時のアグネタとフリーダの美女チームも参加していたのですから、なかなかに意味深長?

今となっては立志伝中の逸話でしょうか、とにかくビョルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソンが1960年代中頃に出会い、意気投合して曲作りやライブ活動を行いながら公式デビューは果たしたものの、本国スウェーデンにおいてさえ、些か鳴かず飛ばず……。

まあ、失礼ながらご両人とも、曲作りの才能は抜群でも、ポップスタアとしては地味な雰囲気が優先していますからねぇ、そこで1969年春のある日、テレビ出演時の彩(?)に起用されたアグネタとフリーダを誘って(?)活動する事になったそうで、実はアバがスタートしていたのは、その時からでした。

そして日本において、ど~してこれが発売され、大ヒットしたかについては、リアルタイムの我が国では洋楽業界も広く欧米にアンテナを張っていた証でしょう。それはこの「木枯らしの少女 / She's My Kind Of Girl」に限らず、日本人ウケするメロディや曲調があれば殊更歌詞の意味は重視されないという、如何にも外国語が日常一般に浸透していなかった国内事情を逆手に活かした方策の成功例のひとつと思います。

だって歌詞を読んでみたって、どこにも「木枯らし」なんてフレーズは出ていませんからねぇ~~。

で、首尾良く売れたビョルン&ベニーは洋楽雑誌にも登場するようになり、更に広くプロフィールが紹介?される中で、用いられるグラビアカットには何時の間にかアバとなる4人組が写っていたというわけですが……。

正直に言えば、リアルタイムでのヒットはこれだけで、もちろんビョルン&ベニー名義のレコードは続けて発売されながら、ちょっぴり忘れられた頃の1974年、突如としてヒットしたのが「恋のウォルタールー / Waterloo」でありましたから、おぉ、ビョルン&ベニーか!? 懐かしいぃぃ~~!?

なぁ~て、思ったのも束の間、実質的にはアバというグループ名にして、メインで歌っているのはアグネタとフリーダであり、ビョルン&ベニーはヒモ状態といっては失礼でしょうか?

もちろんビョルンとアグネタ、ベニーとフリーダは夫婦関係にあったのですから、所謂ファミリーグループであったわけで、そうなれば共に同じ目的意識を携えた活動が成功するのも当然が必然でした。

そしてそれを支えたのが、「木枯らしの少女 / She's My Kind Of Girl」の日本だけの大ヒットであり、アバとして世界的に名声を得た頃のインタビューにおいても、メンバーはその事に触れるほどなのは、よっぽど嬉しかったんでしょうねぇ~~。

ということで、日本の洋楽業界の「読み」の確かさやファンの耳と嗅覚の素晴らしさと鋭さは、堂々と世界レベルにまで達していたのが昭和40年代後半の真実でしょう。

他にもエアロスミスとかキッスとかチープトリックとかジョーン・ジェットシェリー・カーリーが在籍していたランナウェイズとか、あのボストンでさえも、我が国で売れた諸事情の重なりがあって、世界的にブレイクしたミュージシャンは他にも多いです。

そして同時に言えるのは、だからこそ日本での成功を目指して媚を売り、逆にヘタレをやらかした現実の厳しさもあるんですが、それはそれとして、既に「ロックの殿堂」入りも果たしたアバの事ですから、もしも将来、ロックの歴史がテストの問題になるとすれば、日本というキーワードも学習の対象になるような気がしますよ。

例え英語なんか話せなくとも、我々日本人は己の耳と感受性を世界に誇って良いと思うばかりなのでした。

コメント (2)
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