OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

忘れられない星まり子

2013-12-30 15:48:29 | 歌謡曲

泣くなおっぱいちゃん / 星まり子 (ミノルフォン)

さて、昨日から続くエロジャケ特集の第二弾は、モロなようでいて、実はちっとも見えないという煮え切らないブツですが、サイケおやじの本音は主役たる星まり子を書きたかったのでっ!

それは彼女の場合、ロマンポルノの女優さんだった仕事が一番有名でありましょうが、実はそこに登場する前の昭和48(1973)年春には、掲載したシングル盤で歌手デビューしたのが、本格的芸能活動のスタートだったと思われます。

なにしろA面曲「泣くなおっぱいちゃん」のキャンペーンが話題騒然!?

確か件のレコードを5枚買うと、彼女の巨乳にタッチ♪♪~♪ 10枚買えば、両手で乳をモミモミ出来るとかっ!?

今日の道徳的観念に基く芸能姿勢からは、およそ驚愕の行動を、当時はマスコミで喧伝し、実行していたのですから、昭和元禄も爛熟していたというわけですが、もちろんサイケおやじは、現場には遭遇したことがありませんし、実際にレコードも後々になって中古でゲットしたわけで……。

だからこそ気になるのが、問題の「タッチ&モミモミ」キャンペーンが、生乳なのか、それとも衣服越しなのか?

その回答は未だ、サイケおやじの知るところではありません。

しかし当時、高校生の頃から既にロマンポルノの深みにどっぷりと浸っていたサイケおやじの前に、彼女は脇役ながらウリの巨乳と男好きのするルックス、さらには自らの肢体を活かしきった演技で強い印象を残し、その初出演は多分「実録エロ事師たち(曽根中生監督)」だと思われますが、以降「女子大生・かりそめの妻(武田一成監督)」「卓のチョンチョン(白井伸明監督)」等々、後追いも含めて観ていった諸作は、個人的に完全に星まり子目当てでありました。

そしてサイケおやじの人生に決定的な影響を及ぼしたのが、昭和49(1974)年10月に公開された「狂乱の喘ぎ(西村昭五郎監督)」です。

実はこれまで拙ブログで度々述べてきたとおり、当時のサイケおやじは、ある幸運から6~9月末までアメリカに渡航出来たんですが、そこは悪いムシ(?)が騒いだというか、帰国するや早速ロマンポルノ中毒が発症し、その勢いで鑑賞に赴いたのが、星まり子が出ているという前述の作品です。

しかし、ここでサイケおやじに強烈至極なショックを与えたのが、予告篇として上映された「生贄夫人」だったんですねぇ~~~♪

あぁ、これを運命の出会いと言わずして、何んと申しましょうか?

内容云々については、リンクしてある拙稿をご一読願いたいところですし、別に星まり子が出ている「狂乱の喘ぎ」を観に行かなくとも、遅かれ早かれ、「生贄夫人」には邂逅していたはずです。

でもねぇ~~♪

サイケおやじにとっては、星まり子が存在していたからこその「生贄夫人」という構図が、深く人生に焼きつけられているんですよっ!

ということで、最後になりましたが、肝心の楽曲「泣くなおっぱいちゃん」は作詞:富永一朗、作曲:井上忠夫、そして編曲:森岡賢一郎が手懸けた、ちょっぴりアップテンポの明るい歌謡ポップスで、星まり子の節回しも屈託が無いところに逆の深みが滲むという仕上がりです。

ちなみにジャケ写に入っているヌード隠しの挿絵は、作詞を担当した漫画家の富永一朗が代表作「チンコロ姐ちゃん」というのも、懐かしいですよねぇ~♪

残念ながら、CD化されているかは未確認ですが、それでも近年DVD化された東映スケバン映画の人気作として昭和49(1974)年秋に封切られた「女番長玉突き遊び(関本郁夫監督)」では、きっちり劇中挿入歌として用いられ、本人も出演しておりますから、機会があれば、ご覧くださいませ。

星まり子は翌年には芸能界からフェードアウトしていますが、掲載のシングル盤や諸々の話題、そして成人映画にも多数出演した巨乳スタアとして、サイケおやじは忘れていません。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする