■裸足の妖精 / 黛ジュン (フィリップス)
芸能人の中でも殊更女性アイドルは、自らの年齢との戦いが避けて通れない宿業でしょう。
所謂「歳相応」の活動が出来るか、否か……?
つまり何時までも「可愛い子ちゃん」や「ぶりっ子」は通用しないし、また周囲もファンも対象が好きなるほどに、もう一歩進んだものを求める事は当然ですから、例えば「脱ぐ」という手段、あるいはそこまで行かないまでも、大人っぽい表現は業界で生き残っていく為に必要なはずです。
そしてもうひとつ、避けられない転機が「結婚」でありましょう。
さて、そこで本日掲載のシングル盤は昭和47(1972)年春に出た黛ジュンのなかなかイケイケなジャケ写も眩しい1枚なんですが、ご存じのとおり、当時の彼女は歴とした人妻!?!
それがなんで、こんなピッチ全開なムードにイメチェンしたのかは、個人的に謎の範疇ではありますが、振り返ってみれば既に昭和44(1969)年に出した「自由の女神」のジャケ写からして、ジワジワと伝わって来る同じ雰囲気が次なる展開への予兆だったのかもしれません。
もちろん言うまでもなく、その頃から彼女とスタジオセッションでは売れっ子だったベース奏者の江藤勲が結婚!?! という芸能ニュースもあり、現実的にそれは本当になったわけですが、そうなってみると今度は芸能よりも私生活ばかりが報道される印象になったのですから、なんだかなぁ……。
後に知ったところによれば、実は当時の黛ジュンは所属事務所やレコード会社の移籍があり、結婚を機に引退という方向性が見失われたという諸説もあるんですが、業界の掟に従えば、契約レコード会社を移籍した場合、半年は新譜を出せないという事情があったそうですからねぇ~~。
ならばイメチェンが企図され、実行されたのもムペなるかな、個人的には洋楽最先端の流行だったニューソウルの路線を狙ったのか??!? と思えるほどに高揚はしたんですが、同時に納得出来ないものがあった事も確かです。
それは世間様も似たり寄ったり、新しいレコード会社に移籍を果たして以降の黛ジュンの歌はヒット街道から離れていったわけで、一番痛かったのは昭和46(1971)年夏に出した大傑作「とても不幸な朝が来た」が局地的に放送禁止になった事かもしれません。
そこで続くシングル曲となったのが、この「裸足の妖精」であり、作詞:伊藤秀一&千家和也、作編曲:すぎやまこういち! という力の入ったヒット狙いであったはずが、ジャケ写のイメージとは異なるとしかサイケおやじには思えない、どことなく中途半端な仕上がりは???
う~ん、普通に聴いていれば、なかなか素敵なソウル系歌謡ポップスなんですけどねぇ……。
歌っているのが黛ジュンであれば正直、ど~しても煮え切らないものが滲んでいるとしか言えません。
結局、この頃から彼女は低迷期に入ってしまったというのが真相なのかもしれませんが、それでもレコード化された楽曲には秀逸な歌が多く残れさていますので、ファンはそれなりに満足していたのが、もうひとつの結論でしょう。
ということで、失礼ながら低迷期とさせていただいた昭和40年代末頃の黛ジュンについては、以降も書いてみようと思いますが、流石にファッションイメージは大人しいものに変えていきましたし、時には演歌フィーリングの作品もあって、これが飽きない世界です。
また、彼女の私生活では離婚~結婚~離婚、良き理解者であった実兄で作曲家の三木たかしとの死別等々、紆余曲折が人並みにあったればこそ、今も歌い続ける黛ジュンというスタアが未だ冒険出来た頃の輝きは不滅と思うばかりです。
もしも皆様が何かの機会に黛ジュンのレコードを探されるのであれば、ぜひとも東芝からフィリップスに移籍した前後のブツをオススメ致します。
なにしろそこには、新しい挑戦をしようとしていた彼女の全てがあるのですから!