OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

アーサー・ブラウンの狂気の世界はキワモノか!?

2011-06-26 16:27:58 | Rock

Fire / The Crazy World Of Arthur Brown (Track / 日本グラモフォン)

極言すればロックなんていう音楽は、世間を呆れさせるぐらいの方が売れるという真実が確かにあると思います。

つまり、なんだっ! これっ!??

というインパクトをひとつのウリにしているタレントが、これまで夥しく登場してきた歴史を楽しむのも、また鑑賞のコツかもしれませんねぇ。

例えば本日ご紹介のアーサー・ブラウンという御仁は、掲載したジャケ写からも一目瞭然、常に仮面やドギツイ化粧で素顔を隠しつつ、ハードロックやサイケデリックをゴッタ煮とした音楽性で、時にはプログレの領域にまで踏み込んだレコードを出していました。

しかし結果的にヒットしたのは、本日ご紹介の「Fire」だけでしたから、キワモノと断定されても反論は出来ないでしょう。

実はサイケおやじがアーサー・ブラウンを知ったのは昭和43(1968)年末、今や伝説の若者向けワイドショウとして朝っぱらからGSやキュートな女の子を大勢出演させていた「ヤング720(TBS)」で、その奇怪なメイクとアクションで歌いまくるフィルムに接してからなんですが、もちろん演じていたのは、この「Fire」でしたから、大袈裟な炎や煙が使われていたことは今も鮮烈な記憶になっています。

ただし楽曲はオルガンをメインにドカドカ煩いドラムスを使っていながら、なかなかポップで親しみ易いメロディが印象に残りますから、世界中でヒットするのも当然が必然♪♪~♪ 我国でも相当に流行っていましたよ。

何しろ翌年早々には、今聴いても荒っぽくて、些かショボイ中身のアルバムが出たという事件(?)も、笑って許せる状況でしたからねぇ~~。

ちなみに追々に知ったところでは、アーサー・ブラウンは大学で法律や哲学を学んでいたインテリらしいのですが、同時にやっていたバンドではR&B専門だったとか!? そして幸運にもザ・フーのマネージャーだったキッド・ランパートと知り合ってからは、芝居っ気たっぶりのライプパフォーマンスをさらに推し進め、ロンドンのアングラ業界(?)では大評判になったようです。

そして1967年に公式レコードデビューとなるのですが、現代と異なり、視覚的な興味を惹く映像がそれほど簡単に見られなかった時代にワールドワイドなヒットを出せたのは、やはり楽曲が優れていたからでしょう。

ちなみにアーサー・ブラウンは決して単独のミュージシャンではなく、バックバンドを含めて「クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン」名乗るのが常で、メンバーはアーサー・ブラウン(vo)、ヴィンセント・クレイン(org)、ニコラス・グリーンウッド(b)、ドレイチェン・シーカー(ds) が、この「Fire」を出した時の4人組ながら、音楽的な枠組みの大部分はアーサー・ブラウンの作詞とヴィンセント・クレインの作編曲がポイントだったと言われています。

ですから、ヒット曲が途絶えた後も延々と続けているバンド活動には、アイズレー・ダンバー、カール・パーマー、ジョン・ハイズマン等々の有名ドラマーの他に多くのミュージシャンがグループに去来したのですが、その基本は所謂オルガンロック!

う~ん、後にEL&Pを結成するカール・パーマーが助っ人参加していたのは、なかなか興味深いですねぇ~♪

また過激なメイクや意味不明のアクションは、例えばアリス・クーパーやコックニー・レベル等々のグラム&グリッターロック勢に大きな影響を与えたという説も有力です。

ということで、例えキワモノ扱いの一発屋だったとしても、後々まで強いインパクトを残し続けるというエネルギーは、そう簡単には出せるもんじゃないでしょう。

まあ、このあたりは1960年代後半という、「時代の魔法」の奇蹟かもしれませんが、一度は聴いて、楽しむのも悪く無い名曲名演だと思うばかりです。

コメント (7)
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