OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

猛暑に歌謡ボサノバを

2010-07-23 16:55:51 | 歌謡曲

スノー・ドルフィン・サンバ c/w 恋のスノー・ドルフィン
                         / ユキとヒデ (ポリドール)

本場のボサノバよりもボサロックが好きなサイケおやじは、当然ながら歌謡ボサノバも大好きです。例えば本日ご紹介のシングル盤は両面共に愛聴して止まない、所謂マイ・フェイバリット・ソングス♪♪~♪

歌っているユキとヒデは日本人の男女デュオですが、バックは渡辺貞夫グループが演じたとされていますから、発売された昭和42(1967)年晩秋がGS大ブレイク期だったことを鑑みれば、当時の昭和元禄が如何に「何でもあり」だったか、今日でもあの時代のエネルギーは眩しいばかりだと痛感されます。

肝心の楽曲は、まずA面の「スノー・ドルフィン・サンバ」がタイトルどおりに軽快なボサロックのビートで歌われる楽しいメロディが、何度聴いても素敵です。もちろん「雪」とか「白い銀河」とか、スキーをイメージした作詞は、猛暑の夏には聴くほどに涼やかですよ。

ちなみに当時は「スノー・ドルフィン」って、意味が分からなかったのですが、実はプロスキーヤーとして有名な三浦雄一郎のニックネームだそうですね。確か「スノー・ドルフィン」というチームや教習所もやっているらしいですが、ここで聞かれる確かに颯爽とした歌と演奏は、まさに白銀の世界を滑りまくる三浦雄一郎のイメージにぴったりかもしれません。

それと今では有名なネタばらしなんですが、間奏で渡辺貞夫が演じるフルートのメロディが、ユーミンの「あの日に帰りたい」のイントロコーラスへと転用された疑惑(?)も、隠し通せないんじゃないでしょうか。

まあ、それはそれとして、B面に収録されたスローな「恋のスノー・ドルフィン」も、なかなかアンニュイな味わいで、ムード歌謡とボサノバの美しき融合という雰囲気が最高の極みです♪♪~♪

個人的には、こちらの方が好きなんですよ、本当は。

アストラッド・ジルベルトも日本制作のアルバムで歌っていましたが、やっぱりユキとヒデのバージョンを、サイケおやじは好みます。

で、主役のユキとヒデは、後にヒデとロザンナで大ブレイクする加藤英男とジャズを歌っていた佐藤由紀が昭和41年頃に結成し、渡辺貞夫にスカウトされて翌年の夏にレコードデビューしたのが、日本の芸能史では定説になっています。しかし実際はその時、ユキこと佐藤由紀は藤ユキの芸名で他社から再デビュー(?)していたというのが、今日での真相!

つまり2枚目の発売となったこのシングル盤で歌っているのは、オリジナルのユキではなく、いわば「二代目のユキ」という矢野育子だと言われていますし、当然ながらテレビやライプの現場で活躍していたのは、彼女でした。

結局、ユキとヒデは昭和43(1968)年に解散し、加藤英男はヒデとロザンナを結成します。また初代のユキこと佐藤由紀は、藤ユキからアン真理子となって昭和49(1969)年に再々デビューし、「悲しみは駆け足でやってくる」を大ヒットさせたのは、皆様がご存じのとおりです。

ちなみに矢野育子は二代目ユキを襲名する以前、ムード歌謡のグループに所属していたらしいのですが、その当時のグループ名も音源も、現在のサイケおやじには探求しきれていませんが、そういわれてみると、「恋のスノー・ドルフィン」におけるムード歌謡っぽいフィーリングの醸し出し方も肯けるところです。

ということで、このシングル盤は当時、我が家に下宿していた叔父が買ったものを私が後に貰ったものです。そしてジャケットにある「TARO」が表わすとおり、タイトル文字は世界的な芸術家の岡本太郎の手によるものという現実も、凄いですねぇ~~!?

それと両面共に作編曲は渡辺貞夫ということで、そのリズムとメロディのコンビネーションは流石に本物の魅力♪♪~♪ アメリカには遅れをとったものの、ボサノバの汎用性を特に尊重した作りは、我国の歌謡曲にもジャストミートした証明かと思います。

連日の猛暑に雪山のボサノバ!

なんて素敵なシングル盤でせう。

皆様もお楽しみ下さいませ。

コメント (2)
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