■涙の太陽 / エミー・ジャクソンとスマッシュメン (日本コロムピア)
ちょうど今頃の季節からこの曲を聴きたくなるのが、私達の世代じゃないでしょうか?
と、本日も独り善がりを思い込んでいるサイケおやじです。
今となっては「涙の太陽」と言えば、安西マリアのバージョンが一番有名かもしれませんが、他にも青山ミチのポリドール時代のテイクも侮れません。
というように、「涙の太陽」は日本人が制作した所謂和製ポップスの走りのひとつだったんですが、これが発売され、忽ちの大ヒットになった昭和40(1965)年春~夏頃の一般的な認識としては、イギリスからやって来た女性シンガーのエミー・ジャクソンが歌う、実に素敵な洋楽ヒットでした。
それは実際、掲載したジャケ写からもご推察のとおり、渋皮の剥けた本物の外人女性シンガーの持ち歌として、我国では洋楽扱いのチャートにランクされるほどでしたし、来日(!?)して、ブルーコメッツをバックに歌う彼女の実演に、少年時代のサイケおやじはシビレた経験が今も鮮烈で、忽ちこのシングル盤をゲットさせられたというわけです。
しかし後になって知る本当の彼女は、音楽ジャーナリストとして既に活躍していた湯川れい子の推薦によって歌手デビューしたのが真相らしく、どうやらそれ以前は横浜のアメリカンスクールに通う学生であり、湯川れい子と福田一郎がDJを担当していたラジオ番組のアシスタントだったと言われています。
また「涙の太陽」という楽曲そのものが誕生した経緯についても諸説があって、中でも当時の音楽業界とレコード会社による作詞・作曲家の専属制度にとらわれない制作を試みるプロジェクトだったというのも、そのひとつだとか!?
ですからエミー・ジャクソンが歌う英詞を書いたのは、R.H.River = Reiko Hot River であり、作曲は堂々と中島安敏なのが、今日でも眩しいばかりじゃないでしょうか。
それとバックの演奏はスマッシュメンと記載されていますが、これはブルーコメッツの変名というのが、今日の定説になっています。
ちなみに同じ頃、「涙の太陽」の日本語バージョンが青山ミチによって競作となり、これがまたパンチの効いた素晴らしい出来栄えなんですねぇ~♪ 今となっては、そっちを買わなかったことが後悔されるばかりですし、当然ながら安西マリアのリバイバルヒットは青山ミチのバージョンを元ネタにしているのです。
ということで、エミー・ジャクソンの「涙の太陽」は、ご推察のとおり、洋楽ポップスでありながら、実はエレキ歌謡がど真ん中♪♪~♪ 正直言えば、このシングル盤のサウンドは今の耳では些かペラペラで物足りない気も致しますが、当時は最高にロックしていた真夏の定番曲でした。
既に述べたように、名曲「涙の太陽」はオリジナルのエミー・ジャクソンから青山ミチ、安西マリア等々の有名バージョンの他にも、多数のカパーがこれまでに作られています。願わくば、それらを纏めたCDが出ないかなぁ~、と毎年のように切望しているのですが……。
今日はそんな決死的熱望がレコード会社に届くよう、願い込めて書きました。