ウイルスに強い栄光の街は盛岡でしたね。4年間住んでいた私としては、うれしい限りです。
今、思い当たりましたが盛岡は、うるさいなあと思う場所がありません。思索には、うってつけの街です。宮沢賢治や啄木の時代から、それは変わってないように思います。
大通りを抜けて城跡のある中津川を渡った辺りから、その雰囲気は増します。東京駅と同じ(設計者の)レンガ造りの銀行や、わらじ・熊手の茣蓙九、川沿いの喫茶ふかくさ。
賢治を偲ぶなら駅方面に戻って光原社。恋人と語らうなら、桜を見ながら高松の池でボートに乗りましょう。子供連れなら、唯一の遊園地・岩山パークランド。
情報が古いって? 仕方ないでしょう、50年近く前ですから。
今でも歩行者天国、やっているらしいですね、大通り。あそこで学んだことは多いです。本屋で小説を選び、レコード店ではジャケットで(英語の)歌詞を覚え、オーディオ・ショップで見つけたサンスイのスピーカ。
大通りは夜には夜の顔があり、歩いていて額に道路をぶつけたこともある。
今行くとしたら、断られるだろうが、五百羅漢を見に行きたい。
法恩寺の五百羅漢の中には、マルコポーロとフビライハンが居るという。仏になった二人に、何があったのか。それを沈思黙考するために、もう一度行きたい。
?(やっぱり!)距離を保ってずらっと並んだペッパー君たちが「はい、じゃんじゃん」おわんにそばを放り込んでいた。
、、、とか