松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

行司の災難

2019-09-19 07:35:08 | 日記・エッセイ・コラム

 今場所は、行司の悲哀を感じる。まず6日目の朝乃山・豪栄道戦で、木村玉治郎が土俵から消えた。

  力士が頭から土俵下へ転落するのは見るが、行司が同じ事をすると、ああなるのか。玉治郎には悪いが、笑ってしまった。だって消え方がエグかったんだもん。

  しかしその時、土俵下に控えていた式守伊之助がとっさに上がって裁こうとしたのは、さすが立行司やなと思った。その伊之助が動揺したんだろう。自分で裁いた結びの一番を、行司差し違え。

  そしてきのう貴景勝に押し倒された栃ノ心に、玉突き衝突で押し倒されたのが玉治郎。

 また、あなたか。と災難は続く。行司って、大変だなあ。 見逃した方は、NHKスポーツオンラインで、心ゆくまでスロー映像で見られるので、玉治郎の哀悼を(もといっ)、悲哀を味わって下さい。

 バレーボールを見ているとイライラする。なぜまともな「バヂッ」というスパイクが打てないんだ。トスがネットに近かったり、てんでバラバラだから。

  それはつまりサーブレシーブがまともにセッターに返らないから。結局、あのブレ球を、右腕と左腕の間で受けていないからだろう。それはバレーボールセンスというものだ。オレに言わせれば、野生の感覚が無いせいだと思う。若い頃、野山を駆け巡った。木に登った。枕木の山からジャンプした。対象物との距離が、このくらいなら飛べる。そういう感覚がある。だから飛ぶ。

  しかし最近は、飼い猫もたまに着地に失敗して、ツメで引っ掻いて落ちる時がある。弘法も筆の誤り。専門家でも、そういうことがある。野生の感覚が足りないと、思うな。

  カメルーンの選手は、さすが人類発祥の地で育っただけのことはある。足でパスを上げたもんな。動物に近いって、バカにしてるんじゃないよ。人間も、そうでなくっちゃいけない。

  動体視力と反射神経を養うために、もう一度、小学校の校庭にあったアスレティックから、始めよう。 

 

 ゆうべの夕焼けは、美しかった。360度、全周にわたって空が赤かった。

 これは秋田市議会が、イージス非難決議を先延ばししたことに対する、

 市民の燃え上がる怒りかも知れない。

 

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