松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

しあわせは、カネじゃない けど・・・

2015-03-17 19:02:32 | 日記・エッセイ・コラム

 まだ学生だった昭和49年3月12日(火)の日記より

 ずっと書かなかったが、きょうはぜひ書きたい。小野田さんが帰ってきたのだ。これほどショックの大きい事件は、オレにとっては、はじめてだった。なにが一番、オレをうろたえさせたかというと、あの人が帽子(戦闘帽)をかぶって、敬礼し、じっとこちら(テレビカメラ)を見つめているあの数秒間だった。カメラが、ズームしはじめた時(2~3秒たってからだと思う)はじめて、目をパチパチさせた。ちょっとテレたようなしばたきだった。ようにオレには感じた。じっとカメラを見つめた、あの目は、とても誠実な目だった。だがオレをはっとさせたのは、そんなことではないのだ。それは、あの人が帽子をかぶった時だった。30年間もちこたえたあの帽子~きっとなんどか、縫ったことがあるのだろう「つば」のねもとが、大きく縫ってあるように見えた~あの帽子を前からスッと頭にのせ、ひも(あごひも)をあごにかける時、あの人はドジッたのだ。あのひもは、つけかえたものにちがいない。よったあとがはっきりわかるひもであった。ひものかっこ悪さと、その時、もたついた気まずさがあの人の心にあったのではなかろうか。それにしても、30年たってから、あのようやくもっているような帽子をかぶって、オレたちに敬礼してみせる小野田さん。この時ばかりは、オレが男であることが残念だった。女だったら、かれるまで涙を流したろうに。

 昨年、91歳の天寿を全うして亡くなられた小野田少尉。戦後30年、まだ戦争をしている人がいた。あれから40年。敵国でさえなかった国と、形を変えた戦争をしている日本国。いつまでゼニを貢げば、気が済むのか。

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