自動車メーカーが2040年を目標に、すべての生産をEVにすると発表した。てえと、あと20年か。ガソリン車をぶいぶい言わせて走れるのは。 さびしいなあ。スロットルべた踏みで、パッシングのハイビームを送り、スイッと追い越す快感は、もう今だけの楽しみだ。なんてな。
ところがコレは、大変な危険行為だと、今更気が付いた。んだから年間1万人も交通事故で犠牲者が出るんだよなあ。能代市の女子中学生が、降りたバスにはねられて亡くなった。秋田市から帰るはずの彼女がなぜ南の由利本荘市で事故に遭ったのか。乗るバスを間違えて、慌てて降りたんだろう。しかもはねられたのは、横断歩道の上。
あと20年すれば、車による事故という事故は、すべて無くなる。それがメーカーの目指すところだ。
車が、東京の地下鉄路線網のように、気軽にどこでも乗り降りができるようになる。道路がある限り、都会も田舎も等しく便利を享受できる。子供も年寄りも、車を使い、病院や学校、ショッピングに行ける。そういう未来だったんだね。
自分で運転しないで、車の中でテレビ見たりパソコンいじったり。何が面白いの? と思っていた。
車がシェアされることにより、台数が劇的に減り、道路に渋滞がなくなり、駐車場が他の目的に転用できる。そして「都会の過密」と「田舎の不便」が同時に解消される、という。
再び皆が振り返るような、ツインキャブのバリバリ音を響かせて走りたい。オレの欲望は、単なる感傷に過ぎなかったのか。自己満足に過ぎなかったのか。
犠牲者が劇的に減るのなら、シーオーツーがどうであろうと、脱炭素社会は来るべきだろう。
鶴岡から象潟まで。マニュアル車を片手で操り、手をつないだまま帰って来た。そんな危ない事を、子孫にやらせちゃいかんよ。なあ、妻よ。
「日本電産が時価総額70兆円のテスラを超える日」という記事に書いてあった。
きっとね、逆の意味でというか、車も時計と同じになるよ。40万円の腕時計とかして自慢してる人、たまにいるじゃない。あんなふうに、4千万円の自動車は無くならないと思う。高級家具の内装の車ね、自慢したいでしょ、ダイヤとかもちりばめたりして、そういう人たちは。人を乗せて移動する機能はタダ同然で手に入るようになったとしてもね。
大風呂敷。いろんな町の都市計画課長さんたちがね、あと、首長さんたちもね、日夜、大風呂敷、思い描いてると思うよ。地震、津波、噴火、(ミサイルは止めてほしいと思ってるかもしれないけど)、、真っさらになったら、理想的な街、楽に作れるんだがなー、早く来ないかないかなー巨大災害って、不謹慎なことを。