FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

日めくり万葉集(99)

2008年05月23日 | 万葉集
日めくり万葉集(99)は1巻目に収められている、女帝・持統天皇の歌。選者は古代史・服装史が専門の歴史学者、武田佐知子さん。

【歌】
春過ぎて
夏来(きた)るらし
白たへの
衣(ころも)干(ほ)したり
天(あめ)の香具山(かぐやま)

巻1・28   作者は持統天皇(じとうてんのう)

【訳】
春が過ぎて夏が来たらしい。真っ白な衣が干してある天の香具山には。

【選者の言葉】
視覚的に思い浮かべると、香具山の新緑の若葉が萌えだしているいい頃。衣が翻っているのを見て、季節の移り変わりをすっと実感するという、色彩的にも綺麗で、空気も澄んでいる(のを感じ取れる)歌。

夏が来たというのを衣を干してあるというのでわかるというのは、いつも夏の晴れた空に洗濯物が翻(ひるがえ)っているということとは違って、春から夏、あるいは秋から冬へという、その季節に限って洗濯というのがされたかもしれない。

今の(TVで流れている)洗剤の宣伝のような、白い洗濯物が翻っているというのとは、まったくイメージが違う、衣替えの季節の洗濯なのだろうと思う。(当時は)1年以上、麻の着物の洗濯をしていなくて臭くて仕様がないなどと、正倉院などで下級役人たちが待遇改善要求をだしていたりする。

皇位継承権の問題で、非常に微妙な立場にある夫に嫁いで、彼が皇位を狙うということで、都を去らなければいけないときに、それに付いて吉野まで行くという、決断力のある、おそらくあっぱれな女性だったと思う。

それでも自分が産んだ、多分あんまり出来のよくない、身体も弱い男の子に、どうしても皇位を譲りたいと、他の出来のいい“坊や”を次々に排斥していく。というようなところは、女というのか、母ゆえの情愛というのか。

そういうものを二つながらに持っているという。どちらだけでは哀しいが、二つとも持っているというところが、私がすきなところ。女性らしいかどうかわからないが、ある光景から季節の移り変わりをピッと気がつく、それを鮮やかに歌に詠ったというところが素晴らしい。

【檀さんの語り】
この歌を詠んだ持統天皇は、天地天皇の皇女で、天皇の弟、大海人皇子(おおあまのみこ)の妃となり、夫と自分の弟が争った【壬申の乱(じんしんのらん)】でも夫に従った。

夫・天武天皇が亡くなり、さらに我が子、草壁皇子(くさかべのみこ)が亡くなると、自ら天皇に即位し、古代国家の完成に努めた。

【感想】
とうとう【日本史年表・地図】(吉川弘文館)を本屋で買ってきた。このあたりの行ったり来たりする皇位継承なるものがなかなか覚えられないし、複雑で理解できないからだ。万葉集から入門して、すっかり古代史の森を彷徨うこの頃になった。

ついでに古本屋まで足を運んで見たら、この間図書館に返却してしまった【水底の歌】(上下巻)梅原猛著の文庫版を見つけた。【天武朝】(北山茂夫著)という(中公)新書版もあって、これなら素人でも読めそうだ。新刊として買うのより安いし、返却の日を気にしないで読めるというのがありがたい。

武田佐知子さんは何回もこの番組に登場している、古代史の専門家。持統天皇のイメージは、以前に大きなニュースになった、関西の船場吉兆の女将と重なってしまうというのが、我ながらどうにも困ったものだ。

もっと後の歴史に登場してくる戦国時代に生きる女性たちも夫の運命次第というところがあるのだろうが、この時代も血を血で洗うすさまじい権力闘争に、付き合っていかねば生きられない。

武田さんの言う、出来が悪く身体も弱いわが子というのは、あまりにも近すぎる血族結婚によるのではないかという気がする。現代では考えられないような近親結婚を繰り返せば、どうしたって劣性遺伝になってくるのではないかと思うが。

天武天皇の子どもは6人いても、持統天皇との子どもは草壁皇子、ただ一人。吉野へ行って詠んだ【淑き人の良しとよく見て・・・】という天武天皇の歌も、家族を集めて遊びに行ったというだけではなく、6人の子どもに(うち兄の天地天皇の皇子が二人)、皇位を草壁に譲るための布石を打ったという出来事の後の歌らしい。

この歌にある、当時は1年以上麻の着物の洗濯をしていないなどとという話には、湿気の多い気候なのに耐えられないだろうとびっくりだ。麻は皺が寄りやすく、今のようにアイロンのない時代にそれを延ばすのはどうしたのか。

もっとも、うろ覚えの子供のころの記憶では、(もう他界している)母が夏になると細くてかなり長い板に、ほどいた着物をのりを付けて貼り付けていた。それを屋根に当たるように立てかけて干し、乾くとぴっと皺一つない新品のようになり、これをまた縫い直していた。











最新の画像もっと見る